見出し画像

GoToトラベルキャンペーンはそこまで否定すべきものだったか|辻田真佐憲

★前回の記事はこちら。
※本連載は第30回です。最初から読む方はこちら。

 非難囂々のGoToトラベルキャンペーン、いまや菅内閣の支持率を押し下げる要因にもなっているが、それほど否定すべきものだったのだろうか。今月28日の一時中止を前に、いまいちど冷静に振り返っておきたい。

 詳しくない人のために説明しておくと、政府は、コロナ禍における緊急的な経済振興策として、トラベル・飲食・イベント・商店街の4分野でGoToキャンペーンを打ち出した。そのうちトラベルは、旅行費用が最大で実質半額になるという破格のもので、7月22日より一部前倒しでスタート、10月1日より本格的に稼働した。

 その割引の対象は、ホテルや旅館の宿泊費だけにとどまらない。新幹線代や飛行機代を含む商品を買えば、それまであわせて値引かれる。1泊2万円までの上限があるとはいえ、数泊すれば倍々ゲーム。大手予約サイトを使えば自動的に値引きされるので、大した手間もいらない。

 ネット上の批判をよそに、GoToトラベルが人気を集めたのも当然だった。観光庁の発表によれば、11月15日までに、少なくとも約5260万人泊の実績があったという(速報値)。

 実際、大っぴらに利用を喧伝するひとこそ少なかったものの、“隠れ利用者”はたくさんいた。ここ数ヶ月、やや小声で、「実は、使っています……」と何度言われたことか知れない。冗談みたいな話だが、Zoomの打ち合わせ中に「いま東京ですか」と訊くと、「いまワーケーション中です」と、それまでの仮想背景がパッと南国の景色に切り替わったこともあった。

 筆者も例に漏れず盛んな利用者だったが、秋が深まるにつれて、キャンペーンの盛り上がりを実感した。「これは」と思う温泉旅館ほど予約がむずかしく、土日は争奪戦になった。行ってみれば、案の定、どこも人だかり。若者ばかり出歩いていると思われがちだが、平日は圧倒的に高齢者のほうが多かった。自家用車で乗り付け、貸し切りの温泉にでも入っていれば、たしかに感染のリスクは低いのだろう。

 国の経済政策がここまでハッキリ実感できる機会も珍しい。しかも、いかに割引額が大きいといっても、少なくとも半額は自己負担なのだから、単なるバラマキよりも効率がよい。利用者も喜んで支払っているのだから、御の字だ。

 いっぽうで働く側にとっても、施設が稼働することで、サービスや料理などのノウハウの伝授ができる。このような無形の財産は、補助金などでかならずしも補填できない。アフター・コロナの観光復興を見据えれば、この点でもバラマキより効率的だろう。観光業はいまや地方経済の中核でもあるから、そこを中心に景気刺激の波及効果も期待できる。

 給付金の配布にも限りがあるし、なんでもかんでも支給すると、民間の活力や知恵を削ぎかねない。GoToトラベルは短期間で作られたキャンペーンにしては、よくできていたほうなのではないか。少なくとも、筆者はそう考える。

 ではなぜ、ここまで非難囂々になっているのだろうか。感染症拡大の原因ではないかとの懸念はあるだろう(もっとも、関東近郊のある温泉街は行楽シーズンに例年並みの人出になったにもかかわらず、いまだにひとりの感染者も出ていないように、そこまで大きな原因になったようにも思えないが)。政府の対応が柔軟さを欠いた点も否定できない。本来であれば、感染拡大の局面で、部分的にキャンペーンを停止するなど、もう少し多様なオプションを準備しておくべきだった。あるいは、観光業を支持母体とする大物政治家の蠢動が目立ったということも、内閣支持率の低下に影響しているのかもしれない。

 ただその最大の原因は、そのようなファクトやエビデンスというより、むしろ空気の変化に求められる。日本社会は空気で動く。過剰な自粛ムードになることもあれば、行け行けドンドンの熱狂に包まれることもある。現在はふたたび自粛ムードに回帰しつつあるので、緩みきったひとびとに“活を入れる”ためにも、GoToトラベルは生贄に捧げられなければならなかった。

 あまり考えたくないことだが、また有名人がコロナで亡くなりでもすれば、ティッシュペーパーやトイレットペーパーの品薄や、県外ナンバーの車への投石や落書きのような異常事態が再来する恐れも否定できない。

 これは理屈を超えている。超えているからこそ、どうしようもない。振り回された観光業の従事者には同情するほかないが、同調圧力の嵐のなかでも、いまのうちに言うべきことは言っておかなければならない。GoToトラベルキャンペーンはそこまで否定すべきものだったか。どうしても筆者にはそうは思われないのである。

(連載第30回)

【お知らせ】本連載は来月より有料記事としてリニューアル予定です。ご愛読をよろしくお願い申し上げます。
■辻田真佐憲(つじた・まさのり/Masanori TSUJITA)
1984年、大阪府生まれ。作家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください