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塩野七生「日本人へ」 危機を甦生に

文・塩野七生(作家・在イタリア)

 帰国して日本にいると、やはり面白いことに出会う。「桜を見る会」もその一例。参院の予算委員会での田村智子議員の、質問を重ねることでの追及ぶりは見事だった。

 まず、この種の席ではありがちな感情的なところは少しもなく、声も荒らげずに理路整然と追及するところがよい。しかも、首相がそれに答えるやただちに別の角度から球を投げてくる論法に至っては、この人、文章が書けるなと思わせる出来で、テレビ中継を見ていた私は、このまま起せば立派に一文になると感心した。

 しかし、彼女のくり出す直球とくせ球を混じえた投球に三振してしまった感じの安倍首相だが、その彼にも同情したのである。

 安倍首相の頭の中は、四六時中、アメリカやロシアや中国や韓国や北朝鮮に、どう対処したらよいかで占められているにちがいない。

 だから桜を見る会への招待客などは、「よきにはからえ」のたぐいに属してしまい、それを選挙区の事務所が「はからいすぎ」たのではないかと思う。

 一私人でしかない私でさえも、この種の心境はよくわかる。日本では1人では新幹線に乗れないのだ。

 どこ行きの新幹線に乗るとだけ考えていれば乗れるのだが、いつも何か別のこと、たいていは現在進行中の作品のことを考えているものだから、ここから入るのですと誰かに言われないと、乗る車輛どころかその列車が発つホームへの入口さえもまちがってしまう。

 人間には、重要なことを考えているとそれ以外の事柄までは注意が行き届かないという性癖があるのだ。

 というわけで、見事な論法を駆使した田村議員には感心しつつも、それを受けて苦々しい表情になるしかなかった首相にも同情したのだが、あの日のテレビ中継を見ながら私が直感した、これは大事になる、という予想は当ってしまったようである。なにしろ、民主主義の始祖である古代ギリシアのアテネでは公金悪用とされていたことと、同じたぐいになってしまうのだから。

 それは安倍首相もわかったらしく、来年の桜を見る会は、首相決断で中止と決まった。ところが私は、つづければよいと思っているのだ。ただし内実は、完全に変えて。

 まず第一に、主催者側と招待者側の資格を一変する。主催者側は、首相以下の国会議員、与野党区別なしの国会議員全員とその家族とする。もちろん、県会議員とか後援会関係者は全廃。

 一方、招待される側だが、こちらは全員が外国人。実際には各国の大使館関係者になると思うが、こうすることによって始めて、美しく咲いた桜の下での国際交流が成り立つからである。大人は大人たちの間で、子供は子供たちの間で。

 外国語に自信がないことなんて心配する必要はない。必要は発明、と言うかイノベーションの母だから、身ぶりでもブロークンでも通じるようになりますよ。

 子供まで加えたのは、子供の頃に体験した事柄は大人になっても心に残っているもので、これも将来の親日家を育てるための深謀遠慮の1つ。こうなれば、公金悪用どころか公金の善用になるだろう。

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