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夫ピート・ハミルとの33年|青木冨貴子

文・青木冨貴子(ジャーナリスト・作家)

猛威を奮ったニューヨークのコロナ禍が少し落ち着きを見せた8月5日明け方、病院からの電話で目を覚ましたわたしはそれが夫の最期を告げるものとは思わなかった。

長い間、糖尿病を抱えていたピートは6年前に急性腎不全で入院し、心臓には4つのステントが入り、ペースメーカーも付けられ、歩行器なしには歩けなくなっていた。85歳という高齢のうえ、3年前からは週3回の人工透析が必要になっていた。

「ぼくの車椅子を押してくれるかい」

『ニューヨーク・スケッチブック』がベストセラーになって初来日したピートにインタビューしたわたしは、3年後の87年に彼からこうプロポーズされた。冗談で言ったその言葉がまさか、本当になるとは思いもしなかった。

その頃のピートは60、70年代に新聞に書いていたコラムでニューヨークの声を代弁するジャーナリストになり人気は高かったが、街の本屋に彼の本はなかった。新聞や雑誌、映画台本などの仕事に翻弄され、まとまった本を執筆する時間が持てなかったからである。

作家として本領を発揮しはじめたのは『ドリンキング・ライフ』(94年)がベストセラーになってからだった。北アイルランドから来た貧しい移民の長男としてブルックリンに生まれ、高校を中退、海軍除隊後、メキシコの大学へ行ったが1年で帰国。ニューヨーク・ポスト紙へ出した手紙が運良く編集者に認められコラムニストになったものの、大酒飲みになった末、人生を破綻させそうになったという半生を描いた自叙伝である。

続いて『八月の雪』(97年)、『フォーエバー』(03年)などの小説でもヒットを飛ばすなかで、古巣のニューヨーク・ポストを救済するために編集長として先頭に立ったときには連日CNNでニュースになった。数年後ニューヨーク・デイリー・ニューズでも編集長を務めた。

仕事が大好きで、友達が多く、人から頼まれると嫌と言えない性格は一生変わらなかった。彼のお陰で人生をやり直せたとか、物を書くことを教わったなどと心から感謝する後輩が山ほどいる。

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