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「大阪都構想否決」が自民党「憲法改正」に与える影響とは?|三浦瑠麗

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※本連載は第46回です。最初から読む方はこちら。  

 大阪の都構想が約1%の僅差で再び否決されました。変わらない日本の象徴がそこに見える気がしますが、つくづく民意というものの難しさについて考えさせられます。維新はかつて、最も勢いがあったときには保守二大政党の一翼を担いうる存在として期待を集めたことがあります。現時点では全国政党としては振るわないものの、関西圏においては統治勢力としての勢いを保っています。大阪市の有権者の判断は、維新政権は続けてほしい、改革も続けてほしいが、都構想に関しては真っ二つで、僅差で反対、ということでしょう。

 直前に増加したと言われる浮動票の反対は、日本の政治構造を示しています。地方政治においては盤石であるかに見える維新さえも、支持層だけでなくふわっとした民意に頼らざるを得ないということです。そのふわっとした浮動票は、ネガキャンに影響を受けやすく、またその本質において変化を好まない人が多い。少しずつ温度が上がってゆでガエルのようになってもなおかつ、将来がこのまま変わらないことを信じられる、という人たちでもあります。同時に、政令指定都市としての大阪市の解体と特別区への再編はアイデンティティに関わる問題でもありますから、反対派の理由も理解できます。しかし、岩盤反対層はともかく、揺れ動く浮動票についてはアイデンティティだけで説明することはできないということです。

 住民投票で否決された直後に行われた記者会見で、松井市長と吉村知事がともにさわやかに負けを認めたことは、日本の民主主義が健全であることを再確認する機会となりました。ご承知の通り、現在の米国では11月3日の大統領選投開票日を控え、法廷闘争に持ち込まれるとか、敗北した場合も大統領が勝利宣言するつもりではないかとか、取りざたされているわけですから。住民投票は八百長だ(=“Rigged”)などという宣言が出てこないところが日本の素晴らしいところです。

 さて、本日のテーマは都構想の住民投票否決で影響が出るのではないかともいわれる憲法改正問題にかかわる自民党の態度についてです。

 本連載では、日本だけは左傾化と右傾化の同時進行が進まない理由について考えてきました。その理由は、護憲派と改憲派、そして日米安保の論点が相変わらずこの国の左右対立を規定しているからです。55年体制への回帰などともいわれますが、一連の新党ブームや政党の離合集散を経て、結果的に多くの有権者は、経済的価値観ではなく、憲法と安保に関わる価値観で政党支持を決めるところに落ち着いています。

 そのいずれも他の先進諸国には見られない論点であり、こうしたテーマこそ日本では政治の主人公となっているのです。55年体制下の日本において、有権者が投票する際には政党のイデオロギーに関わるイメージが重要な役割を果たしていることを三宅一郎氏らがかつて丁寧な社会調査を通じて指摘しました(三宅一郎・木下富雄・間場寿一『異なるレベルの選挙における投票行動の研究』、1967)。その後も、保革対立は有権者を分断する重要な軸であり続けました。大嶽秀夫氏は、そのような日本の保革対立の特殊性を「価値の対立が防衛問題に絡み、さらには戦前の政治体制の復活という形で、体制選択の問題に絡んだことによって、生まれた」点だとしています(『日本政治の対立軸』、1999)。つまり、憲法や安保に関する論点は、もともとは戦前回帰的な文化とそれに反感を覚える都会的文化との間の社会的な価値観の対立に根差していた、ということでしょう。

 ところが、憲法や安保に関するイデオロギー対立は、しだいにその根っことなる社会的文化や体制思想を離れて独立していきます。冷戦が終わってソ連が崩壊したのちも憲法9条や日米安保の非対称性という具体的な論点が持続したため、日本では西側陣営諸国の多くで起きたような左右対立のパラダイムシフトは起きませんでした。出発点では改憲や同盟強化の主張と大いに連関していたはずの共産主義に対するリアルな警戒心も、米国から自立するためのナショナリズムも、いまや安保に関わる左右のイデオロギーとはあまり関係のないものになってしまった。社会主義思想も、いまでは共産党のエリートだけが頑なに保持しているファンタジーのようなもので、無害化されています。おそらく、現政権に至るまでの自民党政権や警察官僚など、統治権力の一部に残った反共アレルギーも、冷戦を記憶する世代が表舞台から退場すれば消えてしまうだろうと思われます。

 自民党はなぜ本気で憲法改正をしなかったのでしょうか。おそらく、それは憲法改正が実利よりもアイデンティティをめぐる問題だったせいです。ナショナリズムを掲げ、改憲を模索した自民党政権は安倍政権が典型ですが、その前に憲法改正に関心を抱いた政権としては中曽根政権が挙げられます。小泉政権は同盟を強化し、ナショナリズムを動員した政権ではありましたが、それを機会主義的に内政改革に利用したのにすぎず、改憲にはさほどの興味を持ちませんでした。それ以外の政権は皆抑制的な態度を貫きました。イデオロギーよりも統治を優先したから、というのがその理由でしょう。そういう意味では、最右派であったはずの安倍政権とて、実際にはイデオロギーよりも長期安定政権であることの方を優先します。

 政権を担わなかった政治家を見渡しても、小沢一郎の「普通の国」論は自由主義的な研究者や官僚の立場を反映していましたが、そうしたいささかバタ臭い価値観の表明は、素朴なナショナリズムの部分しか大衆の受け入れるところとはならず、小沢氏自身は確実に集票が見込める小規模農家などへの利益誘導政治に回帰していきます。自民党の政治家にとっては、改憲イデオロギーを胸に抱くことこそが目的であり、その実現自体は実務的な課題ではなかったわけです。とすれば、自民党の政治家たちは「改憲に反対する敵を抱えておくこと」の有用性に気づいていたことになりはしないでしょうか。

 次回は、憲法と同盟をめぐる分断の裏で展開されていた利益誘導政治が有権者に与えた影響について考えたいと思います。

★次週に続く。

■三浦瑠麗(みうら・るり)
1980年神奈川県生まれ。国際政治学者。東京大学農学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了。東京大学政策ビジョン研究センター講師を経て、現在は山猫総合研究所代表。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『あなたに伝えたい政治の話』(文春新書)、『シビリアンの戦争』(岩波書店)、『21世紀の戦争と平和』(新潮社)などがある。
※本連載は、毎週月曜日に配信します。

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