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羅針盤も火薬も中国が発明した /野口悠紀雄

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 中国は、歴史の早い時点で、羅針盤や火薬を発明していました。羅針盤は航海に使われ、火薬は戦争の様相を一変させました。

◆羅針盤


 羅針盤(コンパス・方位磁石)は、磁石を用いて方角を知る計器のことです。

 そのひな型的なものは、中国ではすでに紀元前から使われていたと言われます。

 その後、「司南」と呼ばれるものが作られるようになりました。

 これは、盤の上にひしゃくの形をしたもの(「司南杓」と呼ばれる)が乗ったものです。この先端が南を指すので「司南」と呼ばれます。

 戦国時代(紀元前5~3世紀)の本に、すでに「司南」についての記述があります。「鄭の人は、道に迷わないように司南を持っていく」とあります。

 中国で「司南」が作られたのは、天然磁石が産出したからです。これは、紀元前の中国で発見されたと言われています。慈州が磁鉄鉱の産地であったため、磁鉄鉱は「慈石」と呼ばれました(これが、日本語の「磁石」の由来と言われます)。

 なお、紀元前600年頃のギリシャでも、岩石の中から、鉄を引き寄せる石が発見されていました。

 中国では、古くから方位が重視されていました。地位の高い人は「坐北朝南」(北側に座って顔を南に向ける)ことになっていたからです。

 また、方位は、「占い」、つまり「風水」にもかかわっています。中国では家や墓を作る時、凶を避けるため、土地の地形や方位を重視していたのです。

 古くは、地面に棒を垂直に立て、影の長さや位置を測って、東西南北の方位や時間を知る「圭表」によって測定されていましたが、「司南」の方が正確です。

 やがて、方位をもっと正確に示すために、「針」が開発されました。

 地理的な北極と磁気的な北極とでは、わずかにずれがあります。これを「偏角(へんかく)」というのですが、8世紀から9世紀頃の中国では、すでに「偏角」が発見されていました。

 ヨーロッパで偏角が知られるようになるのは、15世紀頃のことと言われていますから、中国の先進性は明らかです。

◆羅針盤を航海に利用


 遣唐使の時代には、多くの船が海の藻屑となりました。その原因は、方位が分からなかったことです。

 当時の航海術は、太陽や星に頼っていました。曇りや雨になると、方角が分からなくなります。

 唐代、日本の僧侶・円仁が著わした『入唐求法巡礼行記』には、海上で嵐に遭遇した時の様子が描かれています。方向がまったくわからなくなり、人によってさまざまな判断が錯綜して、大混乱に陥った様が書かれています。

 羅針盤があって方位を知ることができれば、防げた遭難も多かったでしょう。

 羅針盤が航海に使われるようになったのは、9世紀から11世紀頃と言われています。

 北宋時代(960年~1127年)になると、航海に広く使われるようになりました。元(1271年~1368年)の時代には、航海に不可欠な機器となりました。こうして、航海の安全性が高まりました。

◆火薬の発明


 火薬は、偶然に作り出されたものです。

 中国では、古くから、「方術士」(道教の道士。神仙術士)たちが、不老長寿のための仙薬を求めて、「煉丹術」と呼ばれるさまざまな試行錯誤的実験を行なっていました。『抱朴子』を書いた葛洪は、すでに4世紀の前半に、不老不死の仙薬を作ろうと、さまざまな研究をしていました。

 彼らは、さまざまな物質を混合させると化学変化が起きることを知っていたのです。

 7世紀頃に、そうした実験過程のなかから、黒色火薬が発明されました。

 これは、硝石(硝酸カリウム)、硫黄、木炭のそれぞれの粉末を混ぜ合わせて作ったものです。

 方術士にとって、硝石や硫黄は薬品として使っていた材料であり、手近なものでした。ある時、たまたま材料を混ぜ合わせていたら爆発事故が起こり、それがきっかけとなって、火薬が生まれたのだと考えられます。

◆火薬が戦争の様相を変えた

 11世紀の宋代には、火薬は武器に用いられるようになりました。

 はじめは竹筒に火薬を詰めた矢を飛ばすという簡単な火矢(火箭)でしたが、次第に爆発力が増し、1132年に金との戦争中に起きた内乱では、宋が火薬兵器である「火槍(かそう)」を用いたとされます。

 火薬は軍事機密とされました。そして、12~14世紀に、火炎放射器である火槍、最初の爆弾である「震天雷(しんてんらい)」、軽量爆弾である「群蜂砲」、などの火薬兵器が作られました。

 13世紀、モンゴルの西方への軍事遠征では、火薬が本格的な武器として使われるようになりました。

 1288年当時の青銅製の銃身が発掘されたことによって、モンゴルが火槍から銃へと装備を変えたことが明らかになりました。

 これまで、銃は西欧発明と考えられてきたのですが、モンゴル帝国を通じて、ヨーロッパへ伝わったのです。

 モンゴルに制圧されたイスラム世界では、硝石は「中国の雪」、ロケットは「中国の矢」と呼ばれて恐れられていました。

 13世紀後半の元の日本遠征を描いた『蒙古襲来絵詞』には、火薬を爆発させて火玉を飛ばす武器が、「てつはう」として描かれています。

◆天体観測


 以上で述べた紙・印刷・火薬・羅針盤は、「中国の四大発明」と言われます。

 暫く前まで、印刷・火薬・羅針盤は、「ヨーロッパルネサンス期の三大発明」とされていたのですが、実はずっと前に中国で発明されていたものなのです。

 四大発明以外にも、科学技術の分野における中国の先進性は特筆すべきものがあります。

 例えば、天文学の分野でも、中国は非常に長い歴史を持っています。

「 28宿 」 に分類された星の名前は、中国の青銅器時代である殷の中期 にまでさかのぼることができます。

 紀元前500年に、惑星の記録が作成されています。紀元前400年頃には、史上初の彗星図解が作成されています。彗星の出現を地上の出来事と関連づけて解釈したのです。

 超新星についても、世界で最も古い観測記録が残っています。

 天文観測の詳しい記録は 、戦国時代 (紀元前 4 世紀) に始まります。そして、 漢王朝 以後に大きく発展しました。

 太陽の黒点や太陽風なども観測しています。

 天体観測がなされた目的の一つは、暦の作成です。

 暦は、王朝の象徴と考えられていました。

  王朝の盛衰と共に、 その時代の天文学者と占星術師が新しい暦を用意し、そのために天体を観測したのです。

◆四大発明以外に山ほどある中国の発明


 四大発明の他にも、沢山の発明が中国でなされました。

 日時計の前身である「影時計」は、紀元前2000年頃の発明。

 算盤は、紀元前1000年~500年の間ごろの発明。また、数学や天文学に使う計数・計時装置があります。

 この他にも、中国が発明したものは、山ほどあります。列挙すれば、つぎのとおりです。

 磁器・マッチ・将棋・カードゲーム・紡ぎ車・地震計・蛍光塗料・漆・つり橋・凧・パラシュート・舵・マスト・世界初の人工飛行体。

 発見としては、十進法・小数・負数・雪の結晶の構造など。

 また、鍼灸術や漢方薬などの伝統中国医学があります。鍼灸術の始まりは、紀元前1世紀頃。さらに、血液の循環・糖尿病の発見などもなされました。

 建築では、紀元前220年~紀元前200年頃の秦の始皇帝の時代に建設された万里の長城が有名です。

(連載第21回)
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■野口悠紀雄(のぐち・ゆきお)
1940年、東京に生まれる。 1963年、東京大学工学部卒業。 1964年、大蔵省入省。 1972年、エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。 一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、 スタンフォード大学客員教授などを経て、 2005年4月より早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授。 2011年4月より 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問。一橋大学名誉教授。2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。著書多数。
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