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佐藤愛子 文藝春秋と私「ドタバタ昭和探訪記」

連れ込みホテル、日比谷公園のノゾキのノゾキ……。/文・佐藤愛子(作家)

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佐藤さん

作家で馬主だった父

私が父(作家の佐藤紅緑)以外で初めて見た作家が菊池寛さんでした。あれは昭和8年頃、私が小学校の4、5年生だったでしょうか。父は競馬の大ファンで競走馬を何頭か持っていました。それで近くの阪神競馬が始まると、よく連れて行かれたものです。父と母や私ら子供たちがスタンド上段の馬主席にいたとき、「アレ、菊池寛だ」と言う声が聞こえ、下のほうを見ると5、6人の男性がかたまっていました。

誰かが「直木三十五もいてるわ」と言うのも聞こえました。着流し姿で帯は垂れ下がって今にも地面に届きそうな人が菊池さんで、「今寝床から出てきた感じ」は多分直木さんだったのではなかったでしょうか。

当時、作家で馬主だったのは父と菊池さんくらいのものでしたが、2人とも持ち馬が走らなかったことで有名でした。出馬でんま表を見て、どの馬券を買うか、相談していた人が、

「なに、紅緑の馬か。そりゃやめや」

と言ってたという話を聞いて子供ながらに私は笑いました。

菊池さんの名前はいつからということなく知っていました。新聞の雑誌広告なんかでよく「菊池寛」の名前を目にしましたから。自然に馴染んでしまったのですね。

それから十数年後に菊池さんが亡くなった時、新聞を見ていた父が、「菊池、死んだか……そうか。死んだのか、菊池……」といきなり声を上げ、「かわいそうだなあ……」とつぶやいていたのを覚えています。「可哀そう? ナニが可哀そうなんやろ」とけげんに思ったことをよく思い出します。

一世風靡して文藝春秋という会社を造った人でしょう。功成り名を遂げたのに、「何がかわいそうなのだろう?」。父は菊池さんの華やかな活躍の裏で何か悲しいことがあったのを知ってるのかしらん、なんて思ったり。

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父・佐藤紅緑(上段)と、幼少期の佐藤愛子さん(下段中央)

それから1年くらい後のことでしょうか。

父の老衰が進んで、私なども婚家先から看病に帰っているという時、突然、兄ハチローがどかどかとやって来たのです。父の病気見舞いなんてわざわざ来る人じゃないので珍らしいこともあるものだと思っていましたら、つかつかと病室へ入りながら大声で「お父さん、ぼく天皇陛下に会いましたよ!」と興奮して叫び、恩賜の煙草をいただいたといって父に渡したのでした。

父は床の上に正座し、押しいただいて受け取り、感極まって何もいえません。父は国粋主義者陸羯南くがかつなんに鍛えられた天皇崇拝者でした。親不孝の限りを尽した不良少年が父の最期にはじめて親孝行をしたという、長谷川伸先生の小説にでもありそうなうるわしいひと幕だったのです。

その時のことを語った座談会が文藝春秋に掲載されたのでしたね(「天皇陛下大いに笑ふ」昭和24年6月号)。

断られてはプリプリ

佐藤愛子さんは、本誌創刊の大正12年に生まれた。昭和44年7月、夫が経営する会社の倒産とその後の離婚の顛末を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。一躍人気作家となる。破天荒な佐藤家を描いた大河小説『血脈』では菊池寛賞を受賞した。

令和3年5月、「女性セブン」の連載エッセイで断筆宣言。今回は「文藝春秋と私」をテーマに本誌との思い出を語ってもらった。

直木賞をいただくまでは、あっちの出版社、こっちの出版社に原稿を持ち込んでは、そのたびに断られてプリプリして帰って来ていました。

電話ではらちがあかないのでノコノコ文藝春秋社へ出かけて行き、「文學界」編集部のHさんのところへ行くと机の上には持ち込み原稿がうずたかく積んでありました。「佐藤愛子ですけど、読んでいただけましたか?」と言ったら、「佐藤さんねえ……」と、その原稿の山から私の原稿を探し出しては、「ああ、ありました、コレ」といったあんばいで、あるにはあってもすぐには読んでもらえないので、出直す日を約束してもらって再度出かけて行く。そしてボロクソにいわれる。私はその意見に反駁し「あなたにはこの小説のよさがわからないのか」と毒づいてみたものの、もっとへり下ってモノをいわなければ反感をもたれると反省し、笑いたくもないのに、今のは冗談、冗談、といわんばかりにムリに笑ってみせたりして。なつかしい思い出です。その後、Hさんとは仲よくなりましたよ。

その頃、どこの社に行っても、必ず立原正秋さんがいました。向うも同じように思っていたでしょうが。私なんか座らせてもらえなかったけれど、立原さんは勝手に椅子を引っ張ってきて、いつも編集長の机の横に座っていました。戦争が終わってまだ5年経つか経たないかという時代ですから、産業がまだ復興していない。他にすることがないから物書きになろうとする人が大勢いたんですね。

後に、私が直木賞をもらった時のパーティーでHさんはニヤニヤしながら、

「無名の人が原稿を持ちこんで来たときは『あまりいい出来ではないですけど、一生懸命書きましたから読んでください』と言うものですがね。『これは傑作ですから』と持ってきたのは佐藤さんだけでしたよ」。

忘れていたけれど言いそうだなと思いました(笑)。

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直木賞受賞当時

「“銭こ”は入るぜ」

直木賞発表の夜、私は急性肝炎で入院していた親友川上宗薫の見舞いに行っていたんです。

それは畑の広がる寂しいところで、どこまで歩いて行ってもなかなか見つからない。しばらく迷ったあげく、遠くに病院らしい明かりが見えたので、「アレだ!」と思って畑の上を踏みしだき、やっとたどりついたのです。

私が病棟に入って行くと、宗薫はナースステーションで電話に出ていました。私を見るなり、受話器に耳を当てたまま、

「おい、何やっているんだ。取ったぞ! 賞!」

と叫びました。

直木賞受賞の報らせは、はじめ私の家に電話で入ったのですが、母が川上さんのお見舞いに行ったといったもので、係の人は私より先に病院へ来て私を待っていたのです。

宗薫の病室には文春の人が待っていて、そこで妙に改まって、

「直木賞が佐藤さんと決定しましたが、お受けいただけますか」

と、聞かれました。

私は即答できませんでした。その前にわが家では夫の会社が倒産し、膨大な借金を背負って私はその攻防に明け暮れていたからです。

あの頃は、読物雑誌が今よりたくさんありました。直木賞を受賞すると1冊残らずそれらの雑誌からドッと注文が来る。それを全部こなさなければ、文壇には入れないというような風評がありました。

そんな状況の中、借金取りとの戦いの上に仕事までこなせるだろうか。思わず迷ってうろうろし、とっさに宗薫に「川上さん、どうしよう」と言ったんです。すると彼は少し考えて、こういいました。

「しかし、“銭こ”は入るぜ」

それで私の心は決りました。

「お受けします」

神妙に答えたのでした。

それからは死に物狂い。ひと月足らずで全誌に書きました。あの修羅場を乗り越えたことが、作家としてのひとつの自信につながったと思います。

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川上宗薫

モジャモジャ争奪戦

直木賞を受賞した年の暮れから本誌で社会探訪記「愛子の小さな冒険」(昭和45年1月~12月号。4年前、青志社から新装版が刊行された)がスタート。連れ込みホテル、ピンク映画の撮影現場、日比谷公園のノゾキのノゾキ……ふつうの女性作家なら敬遠しそうな場所に乗り込んではユーモアたっぷりに冒険を綴った。

賞をもらった後、文藝春秋から最初の仕事として来たのが社会探訪記の話でした。

当時、私は45、6歳。担当のMさんは30代前半で、私から見たらまだ青年でした。「どうですか、見てください」と背広をめくると、裏地に女性の立姿が描いてある。「アハハハ」と私は笑いました。この人とならうまくやれる、と思ったのです。

京王遊園の化けモノ屋敷探訪では、化けモノ屋敷の中を歩いて見物が怖がる様子などをレポートするのではなく、「怖がらせる役」をやるのです。暗がりに潜んでいて、歩いてくる人の脚を、モジャモジャの毛のついた棒でサァーッと撫で上げるのです。ズボンの男性はダメだけれど、もう初夏でしたから女性はズボンなんかはいていない。素足なので、キャーッということになる。いや、面白いの何のって、病みつきになりそうでしたよ。Mさんとモジャモジャ棒の取りっこでね。本業の人はそっちのけ。

「ちょっと私にもさせてったらさせて!」

そういってもMさんはなかなか渡してくれない。取材そっちのけモジャモジャ争奪戦になったりしましたよ。

“ノゾキのノゾキ”

Mさんが選ぶ探訪先はだんだんエスカレートして、ついに「連れ込み宿の穴の部屋」と過激さを増してきました(「恋愛ホテルの夜は更けて」昭和45年2月号)。

場所は新大久保の何だかゴチャゴチャしたところでした。一見してヨレヨレの古アパートで、奥からノコノコ出て来たのは「ヒッチコック劇場」に出てくる下町のインゴウばあさんという感じです。6、70に思えるのに大きな顔にべったり白粉をぬりつけている。

Mさんは、

「穴の部屋、空いてる?」

なんてもの馴れた口調で、

「2階の2つ目の部屋」

といわれて、ギシギシの階段を上る。部屋は3つ。入ってみると、なるほど片方の白壁は2、3センチほどの穴だらけ。

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