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同級生交歓 千代田区立麹町小学校 昭和48年卒

人の一生を左右するのは校風か、学歴か、友人か。意外な組み合わせ、納得の顔ぶれが並ぶ“誌上同窓会”。「文藝春秋」の名物グラビア企画です。

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東京都千代田区 麹町小学校にて
(撮影・山元茂樹)

(右から)
東京大学史料編纂所教授
本郷和人
読売日本交響楽団理事長
福士千恵子
日本歯科大学客員教授
久保田智也

正確に言うと私たちは、旧麹町小学校卒、ということになる。1993年に永田町小と統合し、新たな麹町小が誕生した。建て替えられた校舎を取り巻くフェンスは昔より高く、オフィスビルやマンションも林立、校庭から見上げる空は何だか窮屈そうだ。

高度成長期までの麹町は、商店や小さな家が並ぶ庶民の町だった。同級生の家業は、理髪店、銭湯、鮮魚店に薬局。久保田の家は歯科医院だった。子供の頃からハンサムで、みんなの人気者。「慶応ボーイ」になったのも当然だ。経済学部を卒業後、父上と同じ仕事を志し、改めて日本歯科大へ。回り道は幅広い見識と豊かな人脈につながり、日本歯科医師連盟の理事長も務めた。町の変貌とともに多くの住民が転出したが、久保田は今もここに残り、日々患者さんを診る。母校の学校歯科医でもある。

校庭を歩きながら本郷が「体育は苦手だったなあ」。では得意だったのは何か。歴史だ。授業中に教師が振り向き、「おい本郷、これでいいんだっけ」と確認する。机を叩きながら「摂政だっ関白だっ」と自作の歴史ソングを歌っていた。さまざまな媒体でわかりやすく面白く歴史を語る「本郷先生」を見かけると、いつも思う。人間は変わらない。そして、好きなことをまっすぐに追求できるのは、何という幸せか。

放送局や劇場が近かったせいか、有名無名問わず役者など文化人も多く住んでいた。そんな環境にあって福士が熱中したのは、様々なものを見たり聞いたり読んだりすること。一つを突き詰める能力には欠け、移ろいゆくものを追う方が性に合う。というわけで、新聞記者になった。今はオーケストラの運営に携わる。

高度成長、バブル、大震災、そしてコロナ禍。「いろいろあったねえ。でもおれたち、戦争だけは経験しなくてすんだ」と久保田が言った。この校庭を駆け回っていた頃から半世紀、小さくなった頭上の空は、今も変わらずに青い。(福士)

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