連載小説「ミス・サンシャイン」#5|吉田修一
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連載小説「ミス・サンシャイン」#5|吉田修一

【前号まで】
昭和の大女優・和楽京子こと石田鈴の元で荷物整理のアルバイトをする岡田一心は、思いを寄せる桃田真希に彼氏がいることを知る。一方、和楽京子は『竹取物語』でカンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞後、活躍の場をハリウッドに移した際に暮らした邸宅について明かした。

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ハリウッドスター

 一九五〇年代の終わり、鈴(すず)さんが三年ほど暮らしたビバリーヒルズの家は、錚々たる映画スターたちの家々が建ち並ぶ通りにあった。

 実はこの邸宅、旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの愛弟子が建てたもので、旧帝国ホテルと同じように、加工しやすい大谷石をわざわざ日本から船で運ばせた。家の隅々にまで目の配られた大谷石のレリーフと煉瓦のコントラストは、一つの芸術作品と言える。

 当時、この邸宅を所有していたのは貿易商を営む一族だったが、親日家であり、和楽(わらく)京子という日本の女優がビバリーヒルズで家を探しているという噂を耳にすると、四つあるベッドルームの一つに畳を入れて和室風に作り変え、ぜひここに住んでくれと申し出たそうである。

 鈴さんの話によれば、三つあったベッドルームにはそれぞれバスルームがついていたらしい。

「それが三部屋とも色違いのタイルが貼られててね。その色で、ひまわりの部屋、草原の部屋、紫煙の間って名前をつけて。あたしはね、草原の部屋をベッドルームとして使ってたのよ。小さなバルコニーがついてて、真っ青なプールが見下ろせてね」

「プールがあったんですか」

 改めて羨ましがる一心に、鈴さんも懐かしそうに教えてくる。

「当時の日本人なんて、まだプールに入ったこともない人だっているでしょ。だから日本から来た記者さんたちなんて、ふんどし一丁になって日が暮れるまで泳いでたわよ」

「鈴さんも泳いだんですか?」

「あたし? 泳いだわよ。子供のころに、長崎に鼠島っていう海水浴場があったのよ。そこで遠泳大会があって、あたし、男の子たちに負けないくらいだったんだから」

 鈴さんは家のオーナーが畳を入れてくれた部屋を茶室にしたという。週末にはこの茶室に映画会社の重役や俳優たちを招き、茶会の真似事をしていたようで、この「わびさび」の世界が当時のハリウッドでは大変珍しがられ、評判を呼んだらしい。

 当時、渡米した和楽京子が契約を結んだのはアメリカンシネマという巨大映画会社だった。

「ミス・サンシャイン」

 これが全米デビューを果たす彼女に映画会社から与えられたキャッチフレーズで、この言葉に後押しされるように、まさにサンシャインのように眩い和楽京子の笑顔は、アメリカの観客たちに受け入れられていく。

 ただ、後年、彼女はこの「ミス・サンシャイン」というキャッチフレーズが好きになれなかったと語っており、帰国後は一切使われていないところを見ると、彼女が意図的に使われないようにしたのではないかと思われる。

 ちなみに、この当時、彼女がアメリカンシネマと二年間に五本の映画に出演することを条件に結んだ契約額は、今の価値にすれば五億円は下らない。

 実際、映画会社はすぐに和楽京子が演じる日本人役を作る。

 まずは、すでに企画が進んでいた『フィーリング・グッド』というニューヨークを舞台にしたミュージカル映画への出演が決まり、和楽京子はもちろんメインの役ではないながら日系人の花売り娘として、この映画で見事な歌唱力を披露する。

 この日本語訛りの英語がキュートであると、和楽京子自体の評判は良かったのだが、まず楽曲が良くなかったことが致命的で、映画自体はまったくヒットしていない。

 実はあまり知られていないことだが、この二年間の契約期間中、彼女は映画会社に黙って、日本に帰国してしまったことがある。もちろん契約社会のアメリカでは重大なルール違反であり、撮影予定だった映画の役はなんとか代役を立てて進められたが、アメリカンシネマ側はこの事態を重く見て、契約解除及び損害賠償の裁判に入ろうとする。

 ただ、運よく、すでに撮影を終えていた次作の『さくら、さくら』が、映画会社も驚くような全米大ヒット作となるのだ。

 これは東京を舞台にした進駐軍の少尉と日本女性を描いた物語で、簡単に言ってしまえば、オペラの『蝶々夫人』の焼き直しでしかないのだが、当時のアメリカ人にはこの悲恋が大いに受けた。

 このヒットのおかげで、和楽京子の名前は一気に全米に広がり、アメリカンシネマ側も訴えは取り下げ、厳重注意で事を済ます。もし裁判になっていれば、彼女はかなりの損額賠償を背負うことになっていたはずだ。

 この当時、彼女が出演したアメリカのテレビ番組の映像は数多く残っているが、なかでもエリザベス・テイラーと一緒にインタビューに応えているものは有名である。

 この和楽京子の全米での活躍を、誰よりも歓迎し、また熱狂したのは、当時の日系アメリカ人たちだった。

 時代的には強制収容がやっと終わったとはいえ、土地や家、そして仕事を奪われたまま、まだ途方に暮れている人たちも多かったころである。アメリカの著名人と肩を並べている「ミス・サンシャイン」こと、和楽京子という日本の女優が、彼ら日系アメリカ人社会にどのように見えていたかは想像に難くない。

 おそらくKYOKO WARAKUは、当時のアメリカ人にとってエンペラーヒロヒトの次に有名な日本人であり、七〇年代にオノ・ヨーコが登場するまでその座は守られていた。

 当時、リチャード・クロスが和楽京子にどれくらい真剣だったのか、彼が亡くなった今となってはもう誰も知り得ないが、鈴さんと昌子(まさこ)さんの思い出話を聞く限りでは、彼はわりと真剣であり、ドル箱俳優、かつ、西部劇の大スターである彼が、日本人女性とおおっぴらに交際することを嫌った映画会社の反対があったのは確かなようだが、彼は彼でこの差別的な反対を押し切ってまで、彼女との交際を続ける熱意はなかったようである。

 とはいえ、鈴さんや昌子さんが教えてくれる当時の二人の様子は聞いているだけで微笑ましくなる。

 お互いの家に仲間を招いて開かれるパーティー。リチャードのクルーザーでのデート。ラスベガスでの大博打。

 どれを取っても、まるでそのままハリウッドがお得意なハッピーエンドの恋愛映画を観ているようである。

 なかでも、一心が一番好きなのは、誰もいなくなった夜の撮影スタジオで、二人きりでデートをした話だ。

 巨大なスタジオには、ニューヨークの五番街を精巧に模したオープンセットがあり、その隣にはパリのシャンゼリゼ通りがある。

 二人がスタジオにこっそりと忍び込んでいるのを知った守衛たちは警察に通報したり、追い出したりするのではなく、そのオープンセットに照明をつけてくれたという。

「今、考えると、ほんとに子供っぽいったらありゃしないけど、当時、リチャードが乗ってたオープンカーで、シャンゼリゼ通りや五番街をドライブしながら、スタジオ中に響くような大きな音で音楽をかけて」

 鈴さんがリチャードとの楽しい思い出話をすればするほど、その視線の先に彼ではない誰かがいるような気がしてきたのはいつごろからだったか。

 あるとき一心は昌子さんにそれとなく尋ねたことがある。

「リチャードが鈴さんにベタ惚れだったのは分かるんですけど、鈴さんもやっぱりリチャードのことが好きだったんですよね? ある意味、人種差別的な理由で映画会社に交際を反対されたわけでしょ。やっぱり落ち込んだだろうな」と。

 しかし昌子さんは、「さあ、どうだろうね」とぺろっと舌を出した。

「……きっと鈴さんは割り切ってたわよ。こういう言い方すると、鈴さん、怒るだろうけど、呼ばれて行ったとはいえ、あのころのハリウッドでの日本人の立場を考えたら、リチャードの後ろ盾はかなり役に立ったでしょうよ」

「計算ずくってことですか?」

「いっくん。あなたも、つまんないこと聞くわねぇ。あなた、モテないでしょ。……男と女のあいだのことよ。愛も恋もあれば、計算だってあるわよ」

 あとで気づくことだが、鈴さんがリチャードとのことを話すとき、「そういえば、そのころ、満男さんがね……」と、必ず名前の出てくる人がいた。

 当時は画家を目指す日系二世の青年であり、のちに世界的な画家となる宝生(ほうしよう)満男、その人である。

「あたしね、映画会社には内緒で、満男さんのモデルになったことがあるのよ」

 あるとき、鈴さんがさも未だに秘密であるかのように教えてくれた。

 当時、彼は家族とともに長い収容所生活を終えてからさほど経っておらず、土地や家を奪われた彼らと同じように、まだ行き場のない他の日系人家族たちと一緒に、現在のリトルトーキョーにあるアパートメントで狭い部屋を分け合うように暮らしていたという。

「……いくら誘っても、満男さんだけはビバリーヒルズのうちに来なかったわ。無理やり友達に連れられてきたとしても、賑やかなパーティーに背を向けて、ひとりだけ不機嫌な顔しててね」

 鈴さんが彼について公の場で語ったことはない。もちろん昌子さんのように近しい人には話している可能性もあるが、雑誌のインタビュー等々で彼の名前を出したことは一度もないと思われる。

 ただ、この当時、鈴さんが本当に好きだったのは、リチャードではなく彼である。そして、彼もまた本気で鈴さんを心から愛していた。

 というのも、六〇年代に拠点をニューヨークに移し、アンディ・ウォーホルらとともに現代美術界で脚光を浴びるようになった宝生満男が、のちに自叙伝を出版しているのだが、そのなかに「和楽京子」という名前こそ伏せられているが、おそらく鈴さんと思われる女性との若く、淡く、真剣な恋の様子が綴られているのだ。

 そして残酷な別れの理由も。

 初めて彼女がモデルになってくれたときだ。

「今、あなたに見えている私じゃなくて、もちろん強いライトを浴びてスクリーンに映ってる私でもない私を描いて」と彼女は云った。

 私はとても混乱した。

 目のまえには人生を心から楽しんでいる彼女が座っていた。人生を楽しんでいる女性ほど魅力的なものはない。しかし彼女はそんな自分を描いてほしいわけではないと云う。そして、暗い映画館の大きなスクリーンに映る美しい彼女の姿も描いてくれるなと云う。

 途方に暮れた。

「そんなこと云われたら、どう描けばいいか分からないよ」

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