90_s_赤_2__1_

西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」#10

第二章
BIRD SONG / 自由の小鳥

★前回の話はこちら。
※本連載は第10回です。最初から読む方はこちら。

(10)

 1995年のゴールデン・ウィークに突入した頃には、下北沢に足を運ぶのが日課になっていた。

 ライヴがある夜の基本的な流れは、まず客としてステージを観て、その後そのまま打ち上げに混じる。大抵は先輩達がドリンク・チケットをくれるので、飲み代を払う必要もなかった。STARWAGON の裏方として手伝わせてもらう約束を湧井さんと交わしたものの、リハーサル・スタジオにやる気満々で向かっても重い機材を運ぶパワーのない僕は足手まといで……。アンプやエフェクターの扱いも未熟なので良かれと思って運んだつもりが変にツマミをいじってしまい混乱させる始末。その後、現場で調子良く喋ってばかりいたら「ゴータ、もうお前は普通に客として見てろ、邪魔になる」と湧井さんに苦笑され「解雇」されてしまった。

 ドラムの欽也さん、ギターの盛也さん、双子の上条兄弟は、有志参加でありながら追い返されしょげている僕を見て「まぁ、いいよ。人間、適材適所ってもんがあるからさ」とそれぞれ優しく慰めてくれた。

 打ち上げは、一期一会の大勝負。絶対に周囲に顔と名前を覚えてもらう、爪痕を残そうと醜いほどに張り切っていた。吉田仁さん、竹中仁見さんが打ち上げに参加された際、湧井さんから「ゴータ、サロン・ミュージックの仁さんと仁見さん。80年代にイギリスのフォノグラムからデビューしていて、ともかく物凄くカッコいいからさ。聴いてみな」と紹介され「必ず聴きます!」と元気よく返事をした。後ろで誰かが「仁さんは、フリッパーズのプロデューサーって言った方がゴータにはわかるかもね」と言った。「フリッパーズってフリッパーズ・ギターのことですか? 名前しか知らないんで是非そのバンドも聴いてみます!」と僕が威勢良く答えると、そこにいた全員が「それも知らんのかい」とずっこけた。

 泥酔して調子に乗り、大失態を犯したことも。ザ・コレクターズのベーシスト小里誠さんと CLUB Que で飲んだとき、僕は大先輩である小里さんのジーンズにビールをわざと大量にコボすという最低のギャグにトライしてしまったのだ。流石に失礼過ぎる後輩の行為。翌日猛反省し、その場を大きな笑いに変えて許してくださった小里さんに心から感謝したのは言うまでもない。名も無い若手である僕は、どんな手を使ってもそこに集う先輩達にインパクトを与えようと必死だったのだ。ただし、この場合は明らかに「悪い意味」で調子に乗っていた。

 CLUB Que を中心に、251か、SHELTER、どこでも近場でイベントが行われていれば顔を出す。まだ携帯電話を所有している仲間はほとんどいなかった。なのでいずれかの場所に向かうしかない。そこには必ず誰かがいて、その結果深夜になる頃にはハメルンの笛吹きのように日によって少しずつ違うメンバーの輪ができた。

 ギター・バンド「マーズ・クライメイト」のベーシスト里中憲さんの彼女で、ソニーからポップ・ユニット「フレイヴァー」のシンガーとしてデビューすることが内定していたお嬢様育ちの志賀玲子さん。異常なまでの霊感があり誰の背中にも守護霊・背後霊がくっきり二重に見えるという小雪ちゃん、女優の卵で実は凄腕ドラマーでもあったマイカ、若くして確立した「おかん」的キャラでイベントを取り仕切る人気者モリへーなど、女友達もどんどん増えた。彼女たちとはまるで海外留学先で一時的に結ばれた究極の友情のような、同時代を生きる異常なまでの一体感を共有することになる。

 深夜、イベントの熱が高まるタイミングでDJが定番曲をセレクトすると、その瞬間フロア全員が両手を挙げ大合唱、完全にひとつになる。特にスウェーデンのバンド、ワナダイズの〈ユー・アンド・ミー・ソング〉は、毎晩浴びても飽きることなく、むしろ身体に染み込むごとに歓喜のレベルが上がる曲だった。疲れたら始発まで誰かと喫茶店『ぶーふーうー』で時間を潰し無駄話。

 麻痺してくると、まるで自分自身が夢を叶えたかのような錯覚に陥るほど、下北沢にいるだけで満足感を得てしまう危険性もあった。棚倉さんにバイトを辞めたいと訴え、それなら頑張れよと我儘を受け入れてもらった。創作に使えたり、ライヴやイベントに顔を出す時間的猶予が出来たが、このままでいいわけもない……。一度決心したものの、親に金の無心をするのは恥ずかしいものだ。

 5月3日、夜。テレビをつけると、数か月前に近鉄バファローズを混乱の中で退団し、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約していた野茂英雄投手が晴れてメジャーに昇格したとスポーツ・キャスターが報じていた。サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でマウンドに立ち、日本人として1965年の村上雅則投手以来2人目のメジャーリーガーになった、と……。キャスターは彼の背番号16番は、昨年公開された映画『メジャーリーグ2』で、野茂投手と親交のある「とんねるず」石橋貴明演じる「タカ・タナカ」からインスパイアされたと豆知識を添えた。加えて米国の野球事情に詳しいという大学教授による「大リーガーは、縦の変化に弱いから、彼のフォークが通用するのでは」というコメントが流れた。

 次の話題は「イチロー」なる野球界を席巻している新たなスーパースターのバックボーンについて。約1年前、スポーツ新聞の見出しに初めてカタカナで「イチロー」という文字を見つけた時、変な名前の外人選手だと思った。しばらくして僕はそれが、「鈴木一朗」なる日本人だと知る。またしばらくして、その意外なほどに痩せっぽちに思えたオリックス・ブルーウェーブの外野手が自分と同じ1973年生まれの、二十歳だと知って驚愕した。1994年、パ・リーグ首位打者、プロ野球史上初となるシーズン200本安打など様々な記録を塗り替えたイチローは一躍時の人となる。それと並行して話題を集めたのが、少年時代に日が沈むまで毎日野球の練習に付き添い、毎晩息子の足の裏をマッサージして育てたという「チチロー」こと父・宣之さんによる献身ぶりだった。

 僕は閃いた。「今しかない」と。番組終了を待って、22時。父親に電話をかけたのだ。

「もしもし……。あのさ、お願いがあるんやけど、今、大丈夫?」

「あぁ、さっきまでテレビ観てたけど。うん? どうした?」

「俺、プロのミュージシャンになりたくて。24歳の誕生日までは、その夢を目指したくて。あと1年半しかタイムリミットないんやけど」

「ホォーオ……」

「単刀直入に言うけど、仕送りを増やしてほしいねん。学校は4年で卒業する。で、すでにバイトも辞めてん。お父さん」

「ん?」

「お父さん、俺のチチローになってくれへんかな。イチローは今、俺と同い年で全部の時間を野球に注いでる。正直、俺はこのままでは無理やねん。自分でもそれくらいはわかる。確かに夢を追ってるけど現実的な判断もできる。だから信じて欲しい。24歳の誕生日が来て、プロになれてなかったらキッパリ諦めるから……。今はまだ授業と卒論はあるけど、これから1年半、本気で、全力で音楽に没入してみたいねん。そのためには軍資金と時間が必要で。それで無理なら諦める。だから……」

「えーよ」

「え?」

「お父さん、ゴータのチチローになるわ」

「え? まじで? やった!」

 成長期の頃、白いご飯を美味しく食べていると、勝手に大量のチリメンジャコをかけてくる親父が大嫌いだった。中学校のラグビー部顧問だった彼は、京都市伏見区のヤンキーだらけを集めたまさに「リアル・スクール・ウォーズ」の世界で修羅場をくぐってきた男。関係のない町を歩いていて煙草を吸っている少年少女を見つけても、「おー! あかんでー」などと笑いながら不良どもに注意しにいくようなタイプだ。11年前、僕がどれだけ懇願しても頑なにファミコンを買ってくれなかった古臭い考え方の親父。気合を入れて一世一代の勝負に挑んだ電話だったが、返事は拍子抜けするほどにあっけなく、優しかった。

 そういえば……。歳を重ねるごとに彼が「丸く」なっていたことにその時改めて気がついた。1988年、ソウル・オリンピックが開催される頃、テレビで「コナミックスポーツ イン ソウル」と名付けられたゲームのCMが流れ、それを見た当時9歳の弟が「欲しいなぁ」と呟くと、父親は「おーし! ソウル・オリンピック記念にファミコン買うたるわ!」とノリノリで購入。「ソウル・オリンピック記念ってなんやねん、俺の時はロス・オリンピックやったのに!」と半笑いながらも腹を立てたことも脳裏をよぎった。

 自分がやるべきことはわかっていた。まず新しい曲を2曲作り、デモテープを完成させる。そして、両面10分のカセットテープを大量に買い、A面・B面に「シングル」のようなスタイルで収録するのだ。 Mac の Illustrator を使ってきちんとカセット・レーベルをデザインし印刷し、パッケージし、下北沢で出会った人々に配る。ミュージシャン仲間や先輩、友人だけでなく、レコード会社のスタッフ、そして今人気のバンドに群がるファンに、まずは知ってもらい聴いてもらわなければ何も起こらない。

 あとは、曲……。ただし、それが一番難しかった。

★今回の1曲――The Wannadies - You & Me Song  (1994)

(連載第10回)
★第11回を読む。

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としてもSMAP、V6、YUKI、岡村靖幸、私立恵比寿中学、「ヒプノシスマイク」など多くの作品、アーティストに携わる。
近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。
代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
現在NHK-FMで放送中の「ディスカバー・マイケル」に案内役としてレギュラー出演。


【編集部よりお知らせ】
文藝春秋は、皆さんの投稿を募集しています。「#みんなの文藝春秋」で、文藝春秋に掲載された記事への感想・疑問・要望、または記事(に取り上げられたテーマ)を題材としたエッセイ、コラム、小説……などをぜひお書きください。投稿形式は「文章」であれば何でもOKです。編集部が「これは面白い!」と思った記事は、無料マガジン「#みんなの文藝春秋」に掲載させていただきます。皆さんの投稿、お待ちしています!

▼月額900円で『文藝春秋』最新号のコンテンツや過去記事アーカイブ、オリジナル記事が読み放題!『文藝春秋digital』の購読はこちらから!

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

記事へのご意見・ご感想をお待ちしています。「#みんなの文藝春秋」をつけてご自身のnoteにお書きください。編集部がマガジンにピックアップします。皆さんの投稿、お待ちしています!

ありがとうございます!
52
シェアしたくなる教養メディア。100年近くの歴史がある総合月刊誌「文藝春秋」が、あなたの人生を豊かに彩るコンテンツを毎日お届けします。

こちらでもピックアップされています

文藝春秋digitalオリジナル無料連載
文藝春秋digitalオリジナル無料連載
  • 287本

“文藝春秋の顔”というべき筆者たちによる「文藝春秋 digital」オリジナル無料連載をまとめました。三浦瑠麗、門井慶喜、中野信子、出口治明、森功、辻田真佐憲、野口悠紀雄、西寺郷太、麻生幾の各氏が交代で執筆します。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。