見出し画像

令という文字、自律の美|中野信子「脳と美意識」

★前回の記事はこちら
※本連載は第26回です。最初から読む方はこちら。

 令という文字は「美しい」を意味するという。美というのは多次元的である。令の示すところの美は、どのような美しさなのだろうと思い、万葉集研究の第一人者、国文学者の中西進先生にお聞きしたことがある。中西先生は「令和」の元号の考案者であるとしてその名の知られた人であるが、ご本人は、元号は天の声で決まるものであって、考案者というような者は存在しないのだ……とおっしゃっている。

 先生によれば、中国の辞書で「令」を引くと「善なり」と記されているという。「善」という字の部首は「美」の部首「羊」と同じであり、その下の部分は、「言」の変化したものである。つまり善は「美しい言葉」という意味なのだ。善、は言語や論理といったロゴスに価値を置く中国文化から生まれてきた文字だということがよくわかりますね、と中西先生は言う。

 一方で、日本では必ずしもそうではないのではないか、という疑念も湧く。お聞きすると、先生は、たしかに日本で尊ばれるのはロゴスよりも天然でしょうと喝破された。これは、うそがなく本当であること、天の意思を枉(ま)げず自然であることを、日本では大切にするということだと私は受け止めた。

 そして先生は、万葉集の歌を一つ引用して語ってくださった。

 よき人の よしとよく見て よしと言ひし よしのよく見よ よき人よくみつ(天武天皇)

 日本語で「善」は「よし」である。しかし、「よし」は「善」だけを表すわけではない。

 この万葉集の歌にはいくつもの「よし」が登場する。そして、それぞれに異なる字が当てられている。先生の解釈では、よしということの内容は多様であって、その一つ一つを区別して認識できないときにも、よしと言おう、その多様であることを寿ぐという歌なのではないかということだった。

 2020年の最も暗い要素の一つが「自粛警察」であったと思う。各人が自分勝手な「よし」を楯に、他人を傷つけてもよいと無意識に攻撃行動を取った。ネットではそれが頻繁に、顕著に見られた。誰もが誰もをくさし、批難することで一時的な解放感を得た。自粛警察がエンタメ化しているような節もあった。相手には相手の「よし」があり、世の中には多様な「よし」があることを認識できない残念な脳の持ち主が、自分勝手な基準で「不正義=悪し」を攻撃し、それが互いに攻撃し合う火種となるすさんだ世の中になったのだ。

 モラルが猛威を振るう時代に輝くのは「令」だと中西先生はいう。そしてまた、令という文字を訓読みにするとき、うつくしいと読むよりも、うるわしいと読むほうが相応しいのではないでしょうかとおっしゃる。令は自律性を含意しており、法則でもって縛ったり、誰かが言ったことに従うというのでなく、自ら律してそう思うところを行うということですと。どんな宗教や思想に救われてもいいけれど、ものごとの本質は手の届かない向こうにあるのではなく、自分が納得することにある。それがひとつの価値だろうと思う、と。

 日本語で「ものがたり」「もののけ」「もの悲しい」というときの「もの」という言葉がある。これは単に物体を指す用法から魂という意味を示すに至るまで、広い範囲の事物を表す言葉である。先生によれば「もの」という言葉は、音韻的にはポリネシアやメラネシアのマナ信仰で言われるマナ(神や生物、無生物に宿る霊力)と結ばれ、また、旧約聖書にも「マナ」が登場するのを興味深いとおっしゃっていた。

 古代の日本人は中国を先進地域とみなしてその文化を採り入れ、国家をつくり上げた。その後、10世紀ごろに、中国文化を真似するのでない日本の独自の文化を尊ぶ機運が高まり、平安文化が花開いた。「ものがたり」が生まれ、「もののあわれ」を味わうことが文化となった。中国の真似でなく、日本自身に回帰したときに「もの」が現れたのは面白いと先生は指摘された。

 さらに、「マナ」は仏教で言う八識のうちの第七識である「末那識(まなしき)」にも通じる。末那識とは、眼、耳、鼻、舌、身、意という六つの識の背後で働く自我意識のこととされる。脳科学ではいまだにこの末那識について、その存在の有無も含めて解明されてはいない。これまでに研究されてきたのは、もし八識が存在するとすれば、そのうち五感を表す眼、耳、鼻、舌、身の五識であり、第六識である意識にはようやく手をつけられるかどうかといったところである。第七識である末那識に関しては、そのように統合的な感覚を我々は持っているかもしれない、という大まかなコンセンサスはあるが、科学的なアプローチとしてどのような方法があるのかを検討している段階といえる。

 先生の思考の内には「令」のうるわしく自律のとれた状態の土台となるのが末那識であり、マナであり、ものであるという自然への理解がある。互いに自分勝手な正義をぶつけ合い、人を追い詰めるようなすさんだ世界にあって、令という文字の持つうつくしさ、うるわしさをもう一度かみしめていきたいものだ。

(連載第26回)
★第27回を読む。

■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
文藝春秋digital

記事へのご意見・ご感想をお待ちしています。「#みんなの文藝春秋」をつけてご自身のnoteにお書きください。編集部がマガジンにピックアップします。皆さんの投稿、お待ちしています!

ありがとうございます!
月刊誌『文藝春秋』の特集記事を中心に、一流の作家や知識人による記事・論考を毎日配信。執筆陣のオンラインイベントも毎月開催中。月額900円で記事読み放題&イベント見放題のサービスです。