
【24-政治】「3・11」から10年 被災地を分断しかねない“地元の意向”という巧言|木田修作
文・木田修作(テレビユー福島記者)
“地元の意向”が激しく対立
春が来れば、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年を迎える。
この10年、国は事あるごとに“地元の意向”という言葉を繰り返してきた。復興を進める上で不可欠な要素だが、巧言に過ぎないこともあれば、新たな負担や分断を生む要因となることもある。
その一つが、処理水の問題だ。福島第一原発の廃炉では日々、建屋に雨水や地下水が流れ込んで、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水が出続けている。汚染水は、様々な工程を経て放射性物質が取り除かれるが、トリチウムは除去できず、タンクに保管されている。この容量が2022年に限界を迎えるため、処分方法を決める必要があるとして「海か大気中への放出」を軸に議論が進められてきた。
一方、処理水の約7割はトリチウム以外にも環境に放出する際の基準を超える放射性物質を含んでおり、2次処理が必要となる。海への放出は30年程度かけて行われる見通しで、その間の風評もさることながら、環境への負担や将来への影響が想定できない部分もある。このため、農林水産業を中心として放出に強い反対意見があるほか、福島県内の約7割の市町村議会が反対や慎重な議論を求める意見書を可決し、一般からの書面での意見でも、同様の懸念が多数を占めた。
国は「できるだけ早く、責任をもって処分方針を決めたい」(菅義偉首相)などと早期決定を強調し、一旦は海洋放出の決定に傾いたが、こうした意見を受け、「さらに検討を深める」(梶山弘志経産相)として延期した。(20年10月現在)
福島の漁業は、20年2月に出荷制限魚種がゼロとなり、21年4月の本格操業再開を目指している。処理水が放出されれば、これまで積み上げてきた努力が水泡に帰すどころか、将来にも壊滅的な打撃を与えかねず、沿岸部以外の地域からも反対や懸念は広がっている。一方で、タンクが立地する双葉・大熊両町議会は「復興の足かせになる」などとして、処分方法の早期決定を求めている。
一部では、漁業者の反対のために処理水が処分できず「廃炉が遅れる」という主張も再びされるようになった。
この間、国あるいは福島県でさえ、積極的に合意形成を図ろうとした形跡はない。内堀雅雄福島県知事は、国が処分方針を決定した後に「県として意見を言っていく」との姿勢で、調整はもとより処分方法への見解すら表明していない。
本来なすべき調整や合意形成がされないために、当事者が自らの立場を守ろうと懸命になった結果、大事にされるはずの“地元の意向”が激しく対立し、最も影響を受ける利害関係者が追い込まれる形すらできつつある。
国は「安全性の根拠の発信」を今後の主要な課題として挙げているが、地元の関心は、科学的安全性が担保されてなお残る問題の方が大きい。処理水の放出後、これまで少しずつ回復してきたものが壊されないか。壊れたときに誰がどういう形で責任をとるのか。こうした点に向き合わず科学的性質ばかりが焦点となることは、どこかズレた印象さえある。
“地元の意向”は議論の出発点に過ぎないはずである。しかし、廃炉のために行われる処理水の処分が、“意向”を衝突させ分断を残す結果となれば、復興とは明らかに矛盾している。
衝撃を与えた飯舘村の決断
もう一つ注目されるのが高線量で立入りが制限される帰還困難区域の問題だ。