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ワーストヨットレース 石原慎太郎

60年前のあの夜、多くの仲間が狂った海で死んでいった。/文・石原慎太郎 (作家)

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石原氏

その年最後を飾るにふさわしいレース

西暦1962年の11月最初の土曜日に運輸省管轄の任意団体『日本外洋帆走協会』通称NORCが主催しての初島ヨットレースが行われた。

日本でオーシャンレースも恒例になり、各艇の技量も上がり島をまわる初島回りも食傷されだしていて、協会の権威で行う島回りのレースもさらに南進して、やがては憧れの八丈島レースもという気負いが横溢した頃でもあった。合わせて32艇エントリーがあり、その年最後を飾るにふさわしいレースともなった。

主な参加艇として私の乗る「コンテッサ」、アメリカ海軍所有の「カザハヤ」そして、早稲田大学の「早風」辺りが有力艇だった。スタート直後、スピンネーカーを上げるのに手間取る各クルーに腹を立てた私が「2風で上がらなければこのレースはやめにするぞ」と怒鳴っているうちに何とかトップには立てた。

しかし船が三ツ石岬をかわし初島を抱える熱海の内海にかかった頃、突然天候に異変が起きた。元々熱海の町の作る気温の吹き出しと、冬は西高東低で天城連峰からの吹き下ろしに泣かされるものだが、夕刻に吹き下ろしてきた天城おろしは、その風圧からして並みのものではなかった。

よく冬場のレースの最中に、はるか遠くに真っ白な横線をひいた寒冷前線の到来に身構えることがあるが、あの日の夕刻に初島を目前にして見舞われた前線の風圧は並みのものではなかった。

それは並み外れた何か重い物を抱えた物が衝突したように、運転を為損しそこなったダンプカーが小型の車を轢きつぶして過ぎるように、各艇をなぎ倒し、過ぎていった。

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巨きな化け物が富士山の頂にいた

大型艇たちは何とかその風圧から逃れて島をかわし外海へ逃れ出たが、後に聞けば可憐な慶応大学4人乗りの「ミヤ」は横倒しにされそのまま沈んだそうな。

レースを突発して攪乱したあの異常気象の予兆は少なくとも事前には見られなかった。神奈川県全体ではこの11月3日当日の午前午後とも霧雨で山間部では雷雨。翌日の午前も軽い雨と雷雨。静岡地方気象台の網代観測所の記録では3日の午前も20ミリ弱の雨とヨットレースを襲った凶悪な天候の乱れの予兆はほとんど見られない。

ただ、富士宮市の職員が3日の遅く市役所の屋上に上って見たら間近に仰いだ富士山の頂辺りにいつになく黒く厚く濃い雲が、巨きな化け物がとぐろを巻くように動くのを見て、恐ろしい思いをしたそうな。その光景とやがて裾野間近の海で起こった悲劇との関わりを解く者は誰もいない。

いずれにせよ、確かな事はその黒い不吉な雲が生み出した巨大な寒冷前線が相模湾を覆って、停滞しながら何らかの原理に依ってか、ズタズタに裂けて、複数の嵐に分かれて海を攪乱させ点在するヨットを弄んだ事に違いはない。そしてその海にいた者たちは、我が身に何が起こっているのかを予想も理解も出来ぬまま、船を囲んで立ち上がる、マストの高さをしのぎ兼ねぬ巨大な三角波に持ち上げられては、また叩きつけられ通したものだった。

オーシャンレースのために作られたヨットは、横倒しにされてもなお強かに立ち上がる性能を備えているはずだが、突然四方八方から立ち上がるマスト並みの高い波に弄ばれて、なす術もなかった。四方八方から船を突き上げる三角波の谷底でのたうち回っても舵は利かず風も拾いきれずに芥のような船はもはや大きな木切れに過ぎない。

その内波の頂点に押し上げられた時、船尾にいたクルーの一人が後方でタックし進路を変えて北に向かうアメリカ海軍の「カザハヤ」を目にして叫んだ。彼等はこの荒天下でのレースをあきらめ江の島のハーバーに退散するらしい。「あいつら軍に連絡してこの時化の情報を掴んだな」。

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早稲田艇は狂った海に消えた

羨んでも立場が違う。ともかくもこのレースの先頭艇はうちとセイルも最小のストームジブに切り替え懸命にうちを追う早稲田の「早風」2杯となってきた。

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