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塩野七生 勝てる男 日本人へ218

文・塩野七生(作家・在イタリア)

イタリアは今、元気になりつつある。コロナで落ちるところまで落ちた状況から立ち直りつつあるということだ。とは言ってもまだ、コロナの完全撲滅に成功したわけではない。ただし、犠牲者ゼロなどという非現実的な要求は、野党もマスコミもマスでない「コミ」も一言も口にしないのがイタリア人なので、感染者も病床も死者もコントロール可能な数にはなったということだ。ワクチンの接種率も劇的に改善した。日本では大臣が担当しているのを、軍隊のロジの専門家にまかせたからである。夏中には、全人口の8割は達成するだろう。どうやらこの元気回復の要因には、2人の男が関係しているらしいので、今回は、その2人について書いていきたい。

歴史エッセイや歴史小説を書き始めてからの50年以上にわたって、私に向けられた批判の最たるものは、個人では動かない歴史を個人を通すことで書いていくのは歴史叙述の邪道である、というものであった。

私とて、個人で旗を振っているだけでは何ごとも動かないくらいは知っている。しかし、客観的ということになっているデータに基づくだけでは充分でなく、プラス・アルファが加わって始めて動くのが歴史であり人間世界であると思っているのだ。だからこそ、AIが入ってこようと、人間とは面白い存在であり続けるのではないかと。

イタリア語に、「ウォーモ・ヴィンチェンテ」という言い方がある。訳せば「勝てる男」。

現首相のマリオ・ドラーギ、73歳。サッカーのナショナルチームの監督ロベルト・マンチーニ、56歳。

だが、何であろうと厳しい評価を下す英国の新聞でも書いていた。長く信用のおけなかったイタリアが、ドラーギに率いられるようになってヨーロッパのモデルに一変した、と。G7での彼の存在感は、前任者コンテのときとは見ちがえるよう。政治の世界でも、信用は有効な武器なのだ。言い換えれば、あのような席でも孤立せず、トップたちが話を持っていく位置にあったということである。

では、もう一人はなぜサッカーの監督なのだ、という疑問に答えるのも簡単だ。イタリア人にとっては、オリンピックでいくら金メダルを取ろうと、サッカーの国際試合でイタリアチームが勝ち進むほうが、比較できないくらいの喜びになるのである。今この時期、コロナで1年延期されたヨーロッパ選手権が再開されているのだが、そこでイタリアは3戦3勝のトップで決勝トーナメント進出が実現した。前回のW杯では予選で敗退したのだから、落ちるところまで落ちた後の再スタートがこの戦果。イタリア人が熱狂するのも無理はなく、マンチーニは今や、「勝てる男」と見られるようになった。もしも、イタリアチームが決勝トーナメントでも勝ち進むとしたら、イタリア人は絶対に、コロナなんて吹っ飛ばせ、という気になるのは確か。

「勝てる男」とは、すでに輝かしい実績があるというよりも、あの男にまかせておけば上手く行く、と思わせる男である。ならば、その他大勢とはどこがちがうのか。息子にたずねたら、こんな答えが返ってきた。「勝つのに怖れをいだかない人」

その他大勢でも、ある時点までくると、このまま行けば勝てるのではないか、とは思うのだ。ところが、そう思う一方で迷いが出てくる。やっぱりダメかな、とか考えたりして。そうなると、足が前に出ていかない。他の人たちも同じで前に出ていかないから、全員が立ち止まったままになる。そこを一人が、敢然と言う。勝てる、と。これで安心した全員が、前に進み始めることになり、その結果、事態も眼に見えて改善の方向に向う。プラス・アルファの存在意義はこれにある。

それで、イタリアの「勝てる男」2人に共通している点を列記してみよう。

第1は、話が短い。ゆえに簡潔で明快だから、聴いている側にも正確に伝達される。

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