中野信子

キリストとバナナ / 中野信子「脳と美意識」

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 クリスマスを前に、不謹慎と思われかねない話をするようで、やや気が引けなくもないが、いろいろな意味で重要なのでご紹介したい作品がある。《Piss Christ》というタイトルで、ガラス瓶のなかにプラスチックのキリストの磔刑像を入れ、作者であるアンドレス・セラーノ本人の尿を流し込んで撮影したものだ。聖母子像を沈めた作品もシリーズとして制作された。《Piss Christ》が発表されたのは1987年のことである。

 この問題作でアンドレス・セラーノは一躍その名を知られるようになった。しかし、当然のことながら多くのクリスチャンからの抗議を受け、世の非難の的ともなった。この作品は、公的な資金によって運営される全米芸術基金からの助成計2万ドル(当時のレートで300万円強)を受けて制作されていたのだが、あまりにも批判が強まり、最終的には、こんな作品を政府が支援するのは政教分離に違反する、との声によって助成金は停止された。セラーノ自身も激怒した人々から脅迫を受けるなどの仕打ちに遭っている。

 断っておくが、アンドレス・セラーノ自身は敬虔なクリスチャンであるとされている。むしろ、クリスチャンでなければこうした作品をアートとして制作するという発想は生まれにくいのではないかという考え方もあり得る。鑑賞者によってはバタイユ的な涜神の歓びをこの作品に見出す人すらいるかもしれない。この根底には実は、キリスト教に対する深い信仰があり、本作は非常に屈折してはいるが強い思いの証であるという解釈もできなくはない。

 セラーノの他の作品では、Metallicaの『LOAD』のジャケットに使われた《Blood and Semen II》が有名かもしれない。これは牛の血と自身の精液をまぜ、アクリル板に挟んだところを撮影した作品である。《Piss Christ》ほどの強烈さではないが、やはりインパクトのある創作物といえるだろう。

 ともあれ、2019年のあいちトリエンナーレにおける表現の不自由展に対する一連の流れとほとんど同じ現象が、30年以上前の話ではあるがアメリカでも起きていたことになる。2011年にはフランスでの展示の際、キリスト教系の抗議団体の手で《Piss Christ》はハンマーによる打撃を受け、修復不可能な状態にされた。

 この作品とそれに付随した騒動の直接的な影響かどうかは明らかでないが、アメリカでは、国家予算に文化予算の占める割合がかなり低いという特徴がある。さらにトランプ政権は、軍事費、国土安全保障費を増やす一方で、芸術文化関連の予算を不要とみなして、全米芸術基金(NEA)と全米人文科学基金(NEH)を、廃止しようとしている。予算削減ではなく、廃止というのはなかなかのことだ。NEAとNEHの予算は合わせて3億ドル程度で、連邦予算の0.02%というオーダーなのだが。

 一方、先般、アートバーゼルマイアミで、バナナをただテープで貼り付けただけの作品が約1600万円という価格をつけた、というニュースが世界中を驚かせた。賛否両論聞かれたが、このパロディとして、フランスのカルフールが野菜をテープで貼り付けた画像をチラシ広告に使ったりして、人々を和ませた。

 アートとは一体何なのかと混乱した、という声も日本のネットニュースのコメント欄などで複数見られたが、混乱させて議論を呼ぶのも作品の目的の一つと考えればこれは成功したと言っていい。

 バーゼルマイアミはアメリカで開かれているわけで、大きな市場としてアメリカが依然として影響力を持ち、期待されていることには変わりがない。個人と民間が支えているのでアートの自由度はより高いともいえる。

 公益性と創作についての議論は、続けられていくことに価値があり、そのことでより発展的な創作活動に資するものもあると信じ、今後の流れを注視したい。

(連載第4回)
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中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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