森功

“総理の振付師”今井尚哉#2 森功「新・現代官僚論」

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※本連載は第6回です。最初から読む方はこちら。

「大臣、総理から訪韓を命じられたのですね。いつ韓国に行くのですか」

 日韓慰安婦合意に向けた最終交渉に臨むため首相の安倍晋三を説得した岸田文雄が官邸から外務省に戻ると、1階には政治部の記者たちが待ち構えていた。質問攻めに遭って面食らっていると、外相秘書官がそばに駆け寄ってきて耳打ちした。

「大臣、大変です。テロップが流れています」

 岸田が外務省に向かうわずか2~3分のあいだに、NHKが夕方のニュースで緊急テロップを流していたのである。

<首相、慰安婦問題で岸田外相を韓国に派遣>

 安倍自身は日韓合意に疑心暗鬼であまり乗り気ではなかったが、官邸で岸田の説得により日韓外相会談の開催を了解したに過ぎない。ただし、慰安婦合意交渉がうまく運んで岸田の口から内容を発表されると、すべてが外相の手柄になる。そこで官邸サイドが先手を打った。あたかも首相の指示で岸田が日韓合意交渉に向かい、韓国の尹との外相会談に臨むことになった。そういうシナリオを描いた。

 そして岸田が外務省へ戻るわずか数分のあいだに官邸からNHKに情報を流した。官邸における会議で安倍が最後に「プレスにどう発表するか、そこは私たちに任せてくださいね」とわざわざ念を押したのは、まさにそのためだった。その振り付け役が誰なのかについては、もはや言うまでもない。

 安倍政権は2015年の夏から年末にかけたこの時期、大きなピンチを迎えていた。通常国会で続いた安全保障関連法の審議により、7月には内閣支持率がマスコミ各社の世論調査で40%を割り込み、不支持率と逆転した。結果、政務秘書官の今井をはじめ官邸が支持率回復に躍起になる。今井本人が陣頭指揮を執って古巣の経産省に新たな経済政策を作成させ、支持率が逆転した9月にはアベノミクス第二弾と称した新たな経済政策を発表した。加えて今井は第一次安倍政権時代に事務担当秘書官を務めた5人のうちの1人である財務省の田中一穂を説き伏せ、消費税10%増税を見送らせた。

 まさに安倍一強政権と囁かれ始めた時期、その中心が今井だった。アベノミクス第二弾として、「GDP600兆円達成」や「一億総活躍社会」といったスローガンを華々しくぶち上げ、その具体策づくりを新原浩朗に命じた。新原は第二次安倍政権2年目の14年7月、経産省から出向して内閣府の官房審議官となり、そこから今井に認められた。ある経産官僚が言った。

「新原は民主党の菅直人首相秘書官を務め、太陽光発電政策を進めたことがあだになり、自民党や経産省内の出世コースから外れた。内閣府への出向はいわば左遷。少なくとも次官レースから外れることを意味します。だが、このとき今井さんが新原を救ったのです。今井さん自身はあくまで原発エネルギー推進論者ですが、新原の馬力や優秀さを認めていて、可愛がっていました。彼にとって思想信条や政策の是非は別。いかに突破力があるか、理論構築力があるか、そういうところを見ていて、使えると思ったのでしょう」

 で、今井が内閣審議官の新原に与えたミッションがアベノミクス第二弾づくりとその推進だった。なかでも新原の取り組んだのが「一億総活躍社会」の一環として打ち出した「働き方改革」に向けた労働関連法の改正だ。既述したように、あの菊池桃子とは内閣府に設置された「一億総活躍国民会議」の事務局長と民間議員という間柄である。

「働き方改革は副業の容認や残業規制撤廃など安倍政権における一丁目一番地の政策ですが、経団連や連合の反発も結構ありました。そこで今井さんはもっぱら新原に経団連の交渉をやらせました。もとは今井さん自身、経産省時代から経団連担当だったので、新原は今井さんの名前を使いながら、連合や経団連の反対を突破した。それで、ますます今井さんは可愛くなったのではないでしょうか」(同・経産官僚)

 だが、アベノミクスの第二弾だけでは、さほど支持率が上がらない。そんな年の瀬に飛び込んできたのが、日韓の慰安婦合意だったのである。そう政府関係者は言う。

「あのとき内閣支持率回復のためには、もってこいの材料だと今井さんが判断したのでしょう。そのためには、岸田さんの手柄にしては意味がない。それで、NHKにリークして外交の安倍というイメージ作りをやったのです」

 NHK側で日韓外相会談をスクープしたのが、首相番記者の岩田明子だとされる。官邸のマスコミコントロールというより、ある意味、そこは一体化している。

 そして官邸の思惑通り、年末から年明けにかけて内閣支持率は一挙に回復し、モリカケ問題が浮上するまで不支持が支持を上回ることはなかった。
極論すれば、今井は内閣支持率を上げるため、後輩の経産官僚たちを動かしてきたともいえる。むろん新原だけではない。モリカケ国会で矢面に立ってきた元首相秘書官の柳瀬唯夫や内閣審議官の藤原豊などは、もっとわかりやすいケースだろうが、ほかにもまだまだいる。たとえば首相のスピーチライターを務めてきた佐伯耕三もその一人だ。史上最年少首相秘書官として、あの桜を見る会でもずい分活躍してきた官邸官僚である。(敬称略)

(連載第5回)
★第6回を読む。

■森功(もり・いさお)  
1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。出版社勤務を経て、2003年フリーランスのノンフィクション作家に転身。08年に「ヤメ検――司法に巣喰う生態系の研究」で、09年に「同和と銀行――三菱東京UFJの闇」で、2年連続「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。18年『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞を受賞。他の著書に『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』、『平成経済事件の怪物たち』、『腐った翼 JAL65年の浮沈』、『総理の影 菅義偉の正体』、『日本の暗黒事件』、『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』、『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』など多数。
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