観月_修正

小説 「観月 KANGETSU」#10 麻生幾

第10話
塩屋の坂 (5)

★前回の話はこちら
※本連載は第10話です。最初から読む方はこちら。

「方言が違う?」

 七海がさらに貴子に聞こうとした時、つけっぱなしにしていたテレビでニュース番組が始まったことに気づいた。

 テレビに近寄ると、画面には、大分のローカルニュース番組で見慣れた顔の、男女のキャスターが挨拶をしていた。 

「お母さん、始まったちゃ」

 七海が呼ぶと、貴子が急いでやってきた。

「今日午後三時頃、別府市の、別府公園内の西出口付近の路上で女性が倒れているとの110番で警察が駆けつけると、女性の首に手で締められたような痕があり、すぐに病院に運ばれましたが、その後、死亡が確認されました。警察では、殺人事件と断定し──」

「本当に殺されたんね……」

 貴子が溜息を引き摺った。

 七海は呆れるしかなかった。

 今まで、やっぱり私の話を信用していなかったのだ。

「──殺されたのは、所持していた免許証などから、杵築市××××の、パン店経営、熊坂洋平さんの妻、良子さん、68歳で──」

 玄関チャイムが鳴った。

 インターフォンのカメラに映っていたのは、近所に住む竹下由美子という、七海も小さい頃からよく知っている主婦だった。

 玄関先に立っていた由美子は、母が応対すると、殺された熊坂良子について、堰を切ったように話し始めた。

 熊坂パン店があるメイン通り「商人の町」を挟む、2つの武家屋敷エリアを含む市街地は、15分も歩けば一周できるほどの狭さだ。

 ゆえに噂話にしても、あっという間に広がるのだ。

 七海が玄関に目を向けると、母もまた、由美子の話に大きな動作で感心したり、自らも熱く語っていた。

 椎茸の大きな塊を追加で入れた雑煮で夕食をとった七海は、2階の自分の部屋に足を向けた。

 本来なら、ここで大好きなワインを飲みたいところなんだけど、まずは仕事を優先した。

 来週の末に、東京の投資財団の調査員に対して行う重要なプレゼンテーションが待っている。その準備を急がなくてはならなかった。

 この先、10年、自分の研究を継続できるかどうかは、その財団の投資を受けることができるかどうかにかかっていた。

 七海は、教授の研究の補助をやっている一方で、好きなプロジェクトの主任を担うことを許されている。

 ただ、“プロジェクトの主任”と言っても、アシスタントはおらず、予算も大学からは雀の涙ほどである。

 つまり、実態は、教授の研究への支障がなければ、自由にやればいい、ただし予算は手弁当で──というわけなのである。

 だからこそ、その財団からの資金は、七海にとって絶対的に必要だった。

 パソコンでプレゼンテーション用のパワーポイントを立ち上げ、作業を始めた七海だったが、集中できたのは一時間ほどだった。

 七海は目覚まし時計へ目をやった。時刻は午後9時を回っていた。

 大きく息を吐き出した七海は、パソコンをたたんで机の前を離れ、1階に降りて行った。

「せっかくの、よこいん(休みの)日なやけん、お酒でも飲んじひと息入れたら」

 梅酒が入ったコップに口をつけながらテレビを観ている貴子が七海に声をかけた。

「そうする」

 そう言った七海は、冷蔵庫から白ワインを取って、グラスになみなみと注いだ。

 そしてグラスを手にしながら玄関に向かった。

「またあそこじ飲むんやろ? 七海、ご近所ん手前、それちいと止めちくれん?」

 貴子が玄関にやってきた。

「しょわねえちゃ(大丈夫よ)、あの由美子さんにも、わかりっこんけん」

 そう言っただけで七海はそそくさと外へ出て行った。

 七海には、小さい頃に発見していた、隠れ家ならぬ、“隠れ草むら”があった。

 それは、自宅から歩いて数分のところにある、「塩屋の坂」の石畳を登り切った右手の、雑草が生い茂った小さな草むらである。

 そこに潜り込めば、石畳や舗道からは死角となっていて、行き交いする多くの観光客だけでなく、近所の人からも、まったく目立たない。事実、そこに入って、今まで誰かに咎(とが)められたり、声をかけられたりしたことは一度としてなかった。

 ワインを片手にした七海は、悪戯っ子の気分で辺りを一度窺ってから、その“隠れ草むら”に忍び込むと、膝を抱えて前を見据えた。

 辺りはすでに闇に包まれている。

「塩屋の坂」から、「商人の町」を挟んで真正面に見える「酢屋の坂」の石畳が、儚い街灯に照らされてぼうっと浮かんで見えた。

 それは、七海がここを初めて見つけた、あの日──。

 30年前、母から、父が亡くなった、と知らされた、ある夜のことだった。

(続く)
★第11話を読む。

■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
【編集部よりお知らせ】
文藝春秋は、皆さんの投稿を募集しています。「#みんなの文藝春秋」で、文藝春秋に掲載された記事への感想・疑問・要望、または記事(に取り上げられたテーマ)を題材としたエッセイ、コラム、小説……などをぜひお書きください。投稿形式は「文章」であれば何でもOKです。編集部が「これは面白い!」と思った記事は、無料マガジン「#みんなの文藝春秋」に掲載させていただきます。皆さんの投稿、お待ちしています!

▼月額900円で月70本以上の『文藝春秋』最新号のコンテンツや過去記事アーカイブ、オリジナル記事が読み放題!『文藝春秋digital』の購読はこちらから!

★2020年1月号(12月配信)記事の目次はこちら


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

記事へのご意見・ご感想をお待ちしています。「#みんなの文藝春秋」をつけてご自身のnoteにお書きください。編集部がマガジンにピックアップします。皆さんの投稿、お待ちしています!

ありがとうございます!
25
シェアしたくなる教養メディア。100年近くの歴史がある総合月刊誌「文藝春秋」が、あなたの人生を豊かに彩るコンテンツを毎日お届けします。

こちらでもピックアップされています

文藝春秋digitalオリジナル無料連載
文藝春秋digitalオリジナル無料連載
  • 334本

“文藝春秋の顔”というべき筆者たちによる「文藝春秋 digital」オリジナル無料連載をまとめました。三浦瑠麗、門井慶喜、中野信子、出口治明、森功、辻田真佐憲、野口悠紀雄、西寺郷太、麻生幾の各氏が交代で執筆します。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。