
【21-政治】【新・立憲民主党は責任政党になれるか】中村喜四郎「天下取り」の大戦略は成功するか|常井健一
文・常井健一(ノンフィクションライター)
「無敗の男」の数奇な半生
中村喜四郎が立憲民主党に入党する9か月も前だったと思う。
「本のおかげで私も決心がつきましたよ。野党の大きな塊ができたら参加します」
と、中村の口から聞かされた。「本」とは、私が2019年12月に上梓した著書『無敗の男 中村喜四郎 全告白』のこと。中村は発売前夜、自らの過去が赤裸々に明かされた評伝に初めて目を通すと、新たな境地に至ったようだ。
長い間、無所属だった中村は20年9月、野党の合流新党に顔を揃えた。1994年の自民党離党以来、事実上、4半世紀ぶりに政党政治への復帰を果たした。
そもそも、なぜ自民党を離れたのか。「無敗の男」の数奇な半生に触れたい。
中村は49年、茨城県生まれ。参院議員だった父の死後、議席を引き継いだ母の勧めで田中角栄事務所に入門した。76年、父の名前「喜四郎」を襲名して衆院旧茨城三区で初当選。自民党に属し、「竹下派のプリンス」と呼ばれ、40歳で初入閣、43歳で建設相に就いた。
ところが、絶頂期に躓(つまず)いた。
44歳でゼネコン汚職事件に連座し、自民党を離党。検察の取り調べに完全黙秘を貫き、衆院選でも2度勝利したが、03年、有罪確定で失職し、刑に服した。
それでも民意は裏切らなかった。
中村は05年の郵政選挙で当選し、政界に復帰。以降も無所属でありながら全勝。現在71歳、通算14期を誇る。
劇画の主人公のようなドラマの持ち主だが、政界では「大のマスコミ嫌い」として知られてきた。一方で、拙著『無敗の男』の取材では毎回2時間超の真剣勝負を約1年こなしながらも、原稿確認は1度も求めてこなかった。今日日、それほど自分の言葉に責任と覚悟を持つ強靭な政治家に出会えることは、滅多にない。
だが、拙著の出版後、メディア露出を増やしている。取材攻勢が強まったのは、知られざる無敗神話が広まるにつれ、淡い期待が膨らんだからだ。「政権交代請負人」とも持ち上げられている。
これまで一匹狼だった中村は、18年にあった与野党対決型の新潟県知事選で突然、野党側に加勢した。数字を羅列する竹下派仕込みの個性的な応援演説を披露する一方、水面下では地元有力者に向けたローラー作戦を展開。勝負には敗れたが、中村の変節は野党に歓迎された。