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虹とチャンバラ|「古風堂々」藤原正彦

文・藤原正彦(作家・数学者)

私の父は「中学校の初年級までは立川文庫で育てられた」、とよく言っていた。大正時代を通じ200冊以上も刊行されるほどよく読まれた文庫である。猿飛佐助、堀部安兵衛、真田幸村、宮本武蔵、荒木又右衛門……などがぐいぐいと人を魅きつける筆致で描かれている。田舎の祖父の本棚にあったこれらを、6年生の頃に数冊ほど読み、その面白さにとりつかれた私は、よく似た『講談全集』が発刊されたのを幸い、次々にむさぼり読んだ。面白さだけでなく、講談の根っ子には武勇、正義、惻隠、卑怯を憎む心、忠孝など武士道精神の中核が息づいている。権力や権威への抵抗や揶揄があり、何より涙と笑いがある。講談は史実から生まれた巷説が源で、大江戸八百八町や商工業賑わう上方などの庶民の口から口へと伝わり、大道芸の辻講釈、寄席、歌舞伎、人形浄瑠璃などで広まったものだから、史実に尾鰭がつきまくっている。

これらをそのまま信じた私は、小学校や中学校で相撲に興ずる時、必らず「高田馬場の決闘」の18人斬りに臨んだ堀部安兵衛になり切り、「えーい、1人、2人は面倒だ、束になってかかって来い」と叫ぶや元気100倍、仲間を片端から投げ飛ばした。中学生になっても堀部安兵衛や36人斬りの荒木又右衛門を熱く話す私に父が、江戸末期生まれのお爺様から聞いたという話をしてくれた。「お爺様のお爺様、藤原彦右衛門は足軽ながら武芸に秀れていた。幕末に上洛を目指す水戸天狗党を迎え討った戦いでは、足軽隊長として18人を指揮したほどだ。この彦右衛門が江戸へ出た時にたまたま果たし合いを見たんだ。黒山の人が見守る中、刀を構えた2人は、5メートルも離れ蒼白な顔で睨み合ったまま、1時間も微動だにしなかったそうだ。命がかかっているからな。チャンチャンバラバラは、お前の好きな講談と映画だけだよ」。父はそう言うと、さもおかしそうに笑った。

私は物語や小説でも、その世界に完全没入し、すべてを信じ切る純朴さがあった。小学校4年の頃に読んだ『クオレ』では、いつも青いジャケットを着た、眉目秀麗成績抜群で思いやりのあるデロッシに憧れた。そよ風に長い金髪をなびかせながら涼し気に遠くを見る姿を真似たりした。私だって当時のクラス写真を見ると可愛さは異彩を放っていたのだ。大学入学祝いとして母に頼んだのも、デロッシの着ていたのと同じ青いジャケットだった。これで街を歩き涼し気に遠くを見たりすれば女の子が堪らず寄ってくるはずだったが、誰一人気づいてもくれなかった。私の容色が小学校をピークに著しく下降したせいだろう。

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