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不確実性の楽しみ|中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第38回です。最初から読む方はこちら。

 不確実な時代を生きることに多くの人は不安を覚え、答えが欲しい、と迅速に(時には拙速に)断定的に答えを出す人の意見を求めがちになるようだ。

 けれど、そういう人を見るたびに私はがっかりした気分にさせられ、疲れを感じてしまう。なぜわかりきった道を行くことに、この人たちは倦まないでいられるのだろう。わかりきった道を歩いていくことは、私にとってはとてもつらい。この人たちからはきっと、わからないほうを選ぼうとする私の選択は、奇異に映るのだろう。神話のカッサンドラのように、私の言っていることは、誰にも理解されないのだろう……。

 けれど、わからない(だから、わかりたい)という欲求は本来、人を高揚させるものだ。

 迷う楽しみというぜいたくを時々味わいたくなって、知らないところを、なるべく地図を見ないようにして歩いてみることがある。すると、意外なほど近くに、普段とは違う場所、違う現象、違う何かを見つけることができる。それは幸運の象徴であるように思える。

 思うさま迷子になり、それが昼間なら、日差しのオレンジ色が濃くなり、風が冷たくなるまでゆるゆると時間のすぎるのを見届ける。

 いよいよ空が暗くなり、心がさっと冷えるような感じのするとき、「向こう側」へ行くことができるような気がする。その向こう側というのは特定の具体的な場所を指すわけでもなく、ただ、今いる場所ではないどこか、くらいの意味である。けれど、人間はこういう、今いる場所ではないどこか非日常の時空への遷移を基本的には好むようにできていて、そのために大金を払って旅行もするし、エンタメに没頭するし、ゲームに熱中もする。

 コロナ禍のなかで起こった現象の一つとして、テレワークをするようになった人ならとくにそうだと思うが、生活と仕事がシームレスに接続しがちになってしまって、日常から抜け出すことができなくなったことが挙げられるだろう。職場に必ず出かけなければ仕事が立ちいかないエッセンシャルワーカーの人であれば、感染のリスクと引き換えにではあるが、生活と仕事をある程度切り離すこともできるだろう。しかし、そうでない人は日常以外の場所への遷移がなかなか許されず、心理的にはつらい日々を送っているのではないかと想像される。

 遠くの非日常へ出かけることが物理的には難しい時期に、向こう側に誘ってくれる装置は、アートだったり、何年も前の写真だったりする。日々の暮らしの中でうまく迷子になることがもしできたなら、こんなに素晴らしいことはない。

 昔、シャルル・ド・ゴール=エトワール駅で降りて、その夜はキャトルズジュイエで花火の上がる日だったからか、人出が多くてエトワールで迷子になってしまったことがあった。モベール・ミュチュアリテの自分の部屋に歩いて帰るには遠いし、どうしようと途方に暮れて人の流れの中に立ち止まってしまった。すると、メトロに乗りたいの? 入口まで連れて行ってあげる、といって、フランス人の女性が軽やかな足取りで駅まで連れて行ってくれたのだった。

 別れ際に彼女は、はにかむように斜め上の方向に視線を逸らして、peut-être, à la prochaine fois? と言って笑った。

 もしかしたら、またね?

 また会えるかもしれないし、会えないかもしれない。会えない確率のほうがずっと高いだろうけれど、会えたら素敵だなあと思う。それは私たちの明日が、わからないに満ちているからこそ、思い描くことのできる楽しみではないだろうか。

(連載第38回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。

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