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死者64人…熊本“コロナと豪雨の二重苦”地元紙記者が見た過酷な被災現場|ドキュメント「令和2年7月豪雨」

令和2年7月豪雨は、各地で甚大な被害をもたらした。7月3日夜以降、梅雨前線の影響で九州から中部地方にかけて集中豪雨が降り続き、河川の氾濫や土砂崩れなどが相次ぎ発生。全国で70名を超える死者が出た。コロナ禍における初めての大きな災害であり、被災者は“二重苦”の状況に置かれている。

最も大きな被害を受けた地域が、熊本県だ。県内の死者は64人、行方不明者は6人にも上る(7月13日時点)。また、豪雨災害の応援のため熊本県に派遣された、高松市役所に勤める男性保健師が、新型コロナウイルスに感染していることが確認されたばかりだ。

地元紙・熊本日日新聞の植木泰士記者(31)は、2012年の九州北部豪雨や、2016年の熊本地震などを取材した経験を持つ災害報道のプロである。今回も7月5日から被災地入りし、人吉市や球磨村などを取材した。植木記者が見た、豪雨災害の壮絶な現場とは——。

熊本地震の直接死よりも多い死者

4年前の熊本地震による直接死は50人。今回の豪雨では、それを超える死者数が出ており、本当にショックを受けています。各地で道路が寸断し、球磨川に架かる橋も流失しました。被害の全容はまだまだ見えていませんが、私が現地で見てきた様子をお話ししたいと思います。

豪雨の第一報が入ってきたのは3日夜です。登録している各市町村の防災メールが夜通し鳴り止みませんでした。「これは大変なことになるかもしれない」——4日の朝起きると、すでに球磨川は氾濫していた。記者総出の報道体制が敷かれました。初動は現地の人吉総局の記者と本社の社会部。ところが、高速道路が通行止めになっていたようで、社会部の記者たちは、すぐには人吉に入れなかったようです。

私は昨年から菊池支局(県北部)に勤務しています。「豪雨取材班に入れ」との指示があり、4日のうちに行ければ現地に行こうと思っていたものの、なかなか本社からゴーサインが出ませんでした。激しい雨が降り続き、道路状況も不明だったため、二次被害を出さないようにという判断です。現地に向かったのは、7月5日の早朝でした。

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熊本日日新聞の植木泰士記者

7月5日 AM4:00 人吉市、球磨村へ

菊池支局を出発したのは5日の朝4時。下道は河川の氾濫によって球磨村周辺の国道が流されていたため、使えなかったのですが、運よく高速が開いていたため、(熊本市北区の)植木インターから高速に乗って人吉インターまで行けた。6時くらいには人吉市内に着きました。

人吉市内中心部

人吉市内の中心部。植木記者が車内より撮影|提供:熊本日日新聞社

人吉インター付近はほとんど被害がなかったのですが、人吉市内に近づくにつれて道路を泥が覆っている、というか「積もっている」状態で、かろうじて車で通れるくらいの状態でした。ピーク時は人吉市内も建物の2階まで浸水していたようですが、私が到着した時は、水が引いて町の人たちが片付けをしていました。雨は小康状態でそこまで激しく降っていませんでした。

雨は、4日の明け方が最も激しかったようです。早朝4時~5時くらいに球磨川の水が溢れ始め、空が明るくなる時間帯には市街に水が迫っていた。今回、球磨村の民家の1階で止まった時計を見つけたのですが、時計の針は(朝の)8時55分で止まっていました。その時刻に、完全に浸水したのでしょう。

人吉市内中心部2

人吉市内の中心部。植木記者が車内より撮影|提供:熊本日日新聞社

人吉総局での打ち合わせの後、写真部記者と2人で球磨村の「千寿園」に行きました。入所者14人が亡くなった特別養護老人ホームです。千寿園は、球磨川が氾濫した「渡」という地区にあります。千寿園の手前に運動公園があるのですが、それより先は水に浸かって車が入れないので、運動公園に車を停めて千寿園に向かいました。

死者14人を数えた「千寿園」

しばらく歩くと、国道219号線沿い、千寿園の2キロ手前くらいで警察が規制線を張っていました。ここから先は通れません。止むを得ず、球磨川の土手にのぼり、JR肥薩線の渡駅のほうから千寿園に向かいました。近くでは、赤い鉄橋が落ちて、線路は完全に寸断されていた。来る途中に見た上流の橋も落ちていたので、濁流が線路を越えとてつもない勢いで千寿園の方に流れ込んできたことが分かります。

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「千寿園」近くの国道219号。大量の流木などが電柱や民家に引っ掛かっていた=5日午後2時15分ごろ|提供:熊本日日新聞社

千寿園に通じる道路は膝丈くらいまでの高さの泥で埋まっていて、無数の流木で道がふさがれていました。建物の前まで来ましたが、玄関まで簡単にたどり着けません。千寿園にはもう誰も残っていないようでした。心肺停止者は搬送され、入所者は避難した後でした。

施設の2階は会議室なのですが、約3メートルの高さまで土砂の痕跡が残っていました。泥のにおいが鼻を突きます。増水の速さを考えると、1階にいたらもう厳しかったのではないか、という様子でした。翌日、別の記者が1階の様子を確認したところ、ベッド、テーブル、衛生用品などが散乱してめちゃくちゃな状態で、ガス漏れの異常を知らせる警告音だけが鳴り響いていたそうです。

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ボートで救助された車椅子の人たち=4日午後8時35分ごろ、球磨村渡(後藤仁孝)|提供:熊本日日新聞社|※写真は一部加工しています

義理の祖母が入所しているという方から話を聞きました。千寿園では毎年8月、子どもが参加できる夏祭りを開催しているそうです。施設の方がカレーをふるまったり、隣接する渡小学校の運動会に車いすに乗った千寿園の方々が応援に行き、手を叩いて喜んでいたり……そういう交流もあって、地元の方も「あの人が入っとるよ」と分かるくらい、地域に開かれた施設だったといいます。球磨村職員の方のなかには千寿園に入所する祖父の安否が分からないまま、被災者支援に取り組んでいた人もいました。

「滝のような勢いで水が逆にあふれ、2階建ての家も屋根しか見えなくなった」

球磨川氾濫を目の当たりにした人は皆さん、口々に迫りくる水の恐怖を語っていました。

5日時点では、球磨村全域はどうなっているかまったく分かりませんでした。「もしかしたら壊滅状態かもしれない」という観測もありました。役場のある球磨村の中心部までは、千寿園のある渡地区から西に約5~6キロ。道路は寸断され、車ではいけません。私は歩いて向かうことにしました。写真部記者と2人でしばらく歩いたのですが、午後3時頃、あと2~3時間で暗くなり、これ以上行ったら戻ってこられないだろうと判断し、引き返しました。夕方5時くらいには人吉総局に戻り、千寿園の原稿を書きました。その日の夜は、市内のカプセルホテルに宿泊しました。

7月6日 AM10:30 「行方不明者」捜索の現場

翌7月6日は、朝から行方不明者の捜索現場を取材することになりました。「人吉市中神町で約30メートルにわたって決壊した堤防の上流で行方不明になった人がいる」という情報をもとに、その下流域で消防の佐賀県隊35人が、朝10時半から捜索を始めていたからです。午前中は強い雨が降っていました。午後は断続的に降ったり止んだりの繰り返しです。消防部隊は、ローラー作戦のように棒を持ち、流れ着いた家財道具やがれきをはがしながら捜索を続けていました。

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