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土佐の一本釣りが消える? 漁獲量も漁船も激減 葉上太郎(地方自治ジャーナリスト)

漁獲量も漁船も激減。追いつめられる高知名物。/文・葉上太郎(地方自治ジャーナリスト)

「消滅は時間の問題」

流線型の魚体が跳ねる。水揚げされたカツオは銀色に輝いていて、まるで生きているかのようだ。

5月中旬、千葉県勝浦市。

太平洋に面した勝浦漁港には、夜が明けないうちから、カツオの一本釣り漁船が次々と接岸していた。

水温が24度以上の南洋で産卵するカツオは、春になると黒潮に乗って太平洋を北上する。新緑の頃には伊豆諸島の近海に姿を見せ、勝浦を水揚げ港とした一本釣り漁が佳境を迎えるのだ。

こうした「のぼりのカツオ」は初ガツオとも呼ばれ、初物を好んだ江戸っ子が争って買い求めた。江戸時代の俳人・山口素堂は「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」と詠んだ。

今年のカツオ漁を「豊漁」と無邪気に伝えるメディアが多い。しかし、4月まではさっぱり水揚げがなかった。船籍を高知市に置く第8日昇丸の船頭(漁労長)、岡本茂さん(52)も顔色がさえない。

「あそこまでいなかったのは初めてです。例年2月には高知を出漁するのに、カツオの群れが見えなかったので3月に延ばしました。大海を走り回って探しても、燃料の高騰で赤字になるだけですから」

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第8日昇丸

5月になって、なんとか漁獲量は増え始めた。それでも、取材に訪れた日の釣果は0.5トンと、獲れる日ばかりではなかった。カツオの一本釣り漁船は、収益対策として缶詰用のビンナガマグロも釣っており、こちらは28.5トンあった。ビンナガマグロの漁期が訪れてはいたものの、カツオが多ければカツオを追う。本来なら初ガツオ漁が真っ盛りの時期なのに、割り切れない思いがあったのは当然だ。

苦境は今年に限ったことではない。カツオの一本釣り漁は年々厳しさを増しており、「土佐の一本釣り」と呼ばれる高知県の漁船には廃船が相次いでいる。故青柳裕介さんの漫画『土佐の一本釣り』で、誰もが知る漁法となったのに、「ほぼ消滅してしまうのは時間の問題」と自嘲的に語る関係者までいる。

だが、カツオは高知県の代名詞だ。同県が今年3月、首都圏や関西圏の居住者を対象に行ったイメージ調査で、高知旅行でやりたいことを尋ねたところ、「カツオを食べる」が43%と最多だった。

全国の県都と政令指定都市を対象にした総務省の家計調査でも、高知市民のカツオ購入量は年間4329グラム(2021年まで3年間の平均)で、第2位の宮城県仙台市に倍以上の差をつけている。

カツオを抜きにした高知県などあり得ないのだ。なのに肝心のカツオ漁が危機に瀕していることを、どれだけの人が知っているだろう。

高知市の観光名所「ひろめ市場」。カツオ料理店が軒を連ねていて、地元客でも賑わう。

「ええっ、土佐の一本釣りはそんな状態なんですか」。大阪から「タタキを食べに来た」という60代の夫妻は目を丸くしていた。

「実は高知県民にも問題意識が浸透しているとは言えません」。県庁の水産振興部でカツオ漁の振興策を練ってきた木村雅俊チーフが語る。

同県では17年、財界人が中心となって「高知カツオ県民会議」を結成し、シンポジウムなどでカツオ漁の厳しさを訴えてきた。それでもまだ認知度は低いという。危機は静かに進行しているのに大丈夫なのか。

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10カ月の集団生活

高知県のカツオ漁は古くから行われてきた。「昔は伝馬船で沖合に出ていました。現在のような一本釣り漁になったのは昭和30年代の初めです」と、高知かつお漁協の中田勝淑かつひで組合長(65)が説明する。中田さんは第8日昇丸の船主でもある。

やり方はこうだ。群れを見つけたら、餌となる生きたカタクチイワシを投げる。これに食らいつく「食い気」があれば、漁船の散水機で海水を噴出し、海面を小魚が逃げ回っているかのような錯覚をカツオに起こさせる。そして船端に並んだ船員が一斉に釣り竿ざおを垂らし、カブラと呼ばれる疑似餌ぎじえを食わせて、背後に放り投げるようにして釣り上げる。

船の命運を決めるのは船長ではなく漁を取り仕切る船頭だ。どこで群れを探すか。どう漁を仕掛けるか。その能力によって漁獲が決まる。

ちなみに船頭は、一本釣りが家業として始まった経緯から、船主やその家族が務めてきた例が多いが、船員から昇進する場合もある。

ところで、カツオの一本釣りは「遠洋」「近海」「沿岸」と漁場によって3つに分けられる。

まず遠洋。静岡県の焼津港を基地にして、大型船に30人程度が乗り組み、数十日かけて南洋へ出掛ける。釣ったカツオは冷凍して戻る。

そして近海。黒潮を回遊するカツオを太平洋で追い掛ける。毎年2月頃になると、高知県などの母港を、主に中型船で出港し、南洋近くへ向かう。そこから群れと共に北上して三陸沖へ。秋には戻りガツオと一緒に南下して、11月頃には漁を終える。20人程度の船員は、漁場と港を往復する船で10カ月間の集団生活を送り、盆休みの1週間を除いては母港に帰らない。数日操業しては、生のカツオを水揚げするのだが、各船とも母港ではなく、漁場に近い勝浦港や宮城県の気仙沼港に揚げる。

さらに沿岸。主に小型の漁船に、5人程度から10人強が乗る。真夜中に出港。夜明けと共に漁をして、その日のうちに水揚げする場合が多い。カツオには流木など「流れ物」に集まる性質がある。高知県などではこれを応用して回遊するカツオをとどまらせるべく、ブイを設置している。沿岸漁はブイ周辺での操業が一般的で、各県に揚がる地物のカツオはこれだ。ただし高知県では沿岸漁だけで県内消費を賄えず、勝浦や気仙沼に水揚げされた近海物のカツオを仕入れている。他県のブイで操業し、他県に水揚げする船もある。

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一本釣りの竿

最盛期の15%に減少

これら3つの漁で最も一本釣りらしいのは、大海原でカツオを追いかける近海漁だ。日本で消費されるカツオの刺身やタタキの供給を支えているのもこの漁である。「土佐の一本釣り」として人々が頭に浮かべ、青柳さんの漫画に登場したのも近海の漁師だった。ところが、このところ極めて深刻な状態に陥っている。

どれほど厳しいのか。政府の漁業・養殖業生産統計年報から漁獲量を拾った。分類が実態を反映していない面もあるが、傾向は分かる。

遠洋カツオ一本釣りは、1974年に28万トンを超えたが、オイルショックや200カイリ漁業規制で激減し、2020年には約4万3000トンとなった。この約15年間は4万~6万トン台で推移している。

沿岸一本釣りは、1993年まで2万トンを超える年が多かったが、近年はおおむね1万トン台前半だ。

問題の近海一本釣りは、1978年に16万トンを超えたものの、90年代以降は一貫して減少傾向となり、2020年には約2万4000トンと最盛期の15%にまで減った。

高知県のまとめでは、同県の近海カツオ一本釣りは同年、過去最低の約3439トンとなった。こうした苦境から1997年、近海1本釣り漁船で組織した土佐鰹漁協が解散に追い込まれ、現在の高知かつお漁協に再編された歴史もある。

「かつては120~130隻もあった」(中田さん)という高知県の近海カツオ一本釣り漁船も約10隻に減った。全国でも40隻程度しかないとされ、高知のほかでは、宮崎、三重、静岡県で残っている程度だ。

しかも漁船の減少には歯止めが掛かっておらず、高知では一昨年に2隻、昨年は1隻が漁を止めた。

この中には同県中土佐町の久礼くれを母港としていた船もあった。かつては約15隻の近海一本釣り漁船があった久礼だが、近年は2隻にまで減っていた。それがいよいよ1隻になったのである。

久礼は漫画『土佐の一本釣り』の舞台だ。沿岸船の4隻が水揚げを続けているものの、漫画で描かれたような世界は消えつつある。

そうした中、中田さんは何とか船を残そうと涙ぐましい努力を続けている。第8日昇丸の維持にすら四苦八苦しているのに、県内で廃業の意向を固めた他の船の経営も実質的に引き継いだのだ。

「もともと亡くなったおじの船で、私も経営を手伝っていました。これ以上減っては業界として成り立たなくなるので、とにかく残したいという一心でした」と苦しげに語る。

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少なくなったカツオ船

嘆く「伝説の漁師」

それにしてもなぜ、近海カツオ一本釣りは追い詰められたのか。最大の理由はカツオの減少だ。

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