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【連載】EXILEになれなくて #16|小林直己

第三幕 「三代目 J SOUL BROTHERS」という運命


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二場 リーダーとして、やってはならないこと・やってほしいこと

 2010年11月10日。三代目 J SOUL BROTHERSは「Best Friend’s Girl」という曲でデビューした。ボーカルの今市隆二と登坂広臣は、3万人もの参加者がいたオーディションから2人だけ選ばれた。パフォーマーの山下健二郎、ELLY、岩田剛典は、数々のダンサーの精鋭の中から、オーディションと過酷な合宿を経て選ばれた。僕は、NAOTOとともに、当時、最年少EXILEパフォーマーとして、三代目 J SOUL BROTHERSのリーダーとなった。この7人で、三代目 J SOUL BROTHERSはスタートを切った。

 今振り返ると、リーダーとなった僕のとっていた行動は、ひどいものだった。肩肘張って、リーダーとしての威厳を示そうとしていた。EXILEの思いを引き継いでもらうにはどうすれば良いか、と常に力が入っていた。今ならわかる。無理をしたって伝わらないし、自分は元々リーダーなんてキャラじゃない。だから等身大でいればいいんだ、と当時の自分に伝えたい。思い出すと、恥ずかしくなるような出来事がいくつもあった。

 冒頭からいきなり、懺悔ばかりを述べてしまった。しかし、当時はそれくらい「ぶって」しまっていたのだ。

 当時、自分が知りうる中での理想のリーダーは「HIROさん」だった。自分がEXILEメンバーとして、活動の中で影響を受けてきたことや、導かれてきたときのHIROの振る舞いや言い回しを真似して三代目メンバーに伝えていた。これはもしあなたが、これからリーダーになるのならば、やめておいたほうがいいことのその1だ。「誰かの言葉を、自分の言葉のように言わないこと」。

 また、メンバーで会議をしているときに、フラッシュアイデアが湧くと、すぐ口に出す癖があった。アイデア自体を提案するのは良いことだが、立場が今までとは違う。リーダーとして見られている以上、裏どりや根回しをしてから伝えるべきだ。さもないと、大口を叩いていると思われてしまう。これが2つ目の、やめておいた方が良いことだ。「自分にできないことは言わない」。

 自分がまだ実力がなくてできないことを、「リーダーだから」と格好つけてやってしまったり、曖昧な情報で動いたり、誰かを促してしまったことも何度かあった。これもぜひ、やめていただきたい。その3、「無理をしない」。

 僕は、三代目でリーダーという立場ではあるが、プロデューサーとしてHIROが立っていたこともあり、実質のリーダーは、HIROだった。NAOTOや僕は、どちらかというと現場監督のような立ち位置だったと自分では思っている。だからこそ、「今だったらこうするのにな」ということがいくつかある。

 その1。現場の人間(メンバー)と、意思決定機能や中枢(HIROやEXILEメンバー)が近い距離にいるのだとしたら、「直接繋げること」。自分で囲うことはせずに、直接やりとりさせて空気感や狙いを揃えていく。人間には相性があり、どの人の言葉が刺さるのかは、合わせてみないとわからない。任せれば良いのだ。ただ、何もしないわけじゃない。一番そばにいる人間として寄り添い、少なからず経験があるものとして、アドバイスを用意することは忘れない。もし聞かれたら、そっと伝えたら良い。必要だと求められたことを用意し、その人自身をのびのびとさせることが、大切だと感じている。

 その2。何よりも、「行動で見せること」。理解が早く、有能な人間は、すぐに成長していく。そういう人には、言葉でいくら話しても、心には刺さらない。行動で、背中でしっかりと伝えていくことにより、必要な信頼は生まれてくるはずだ。忘れてはいけないのが、そのポストを任された理由があなたには必ずあるのだから、自分を信じて自らの分をやり遂げるべきなのだ。

 その3。「時にメンバーを頼ること」。いくらリーダーといえども、能力が段違いというわけではない。僕の場合でいうと、三代目のメンバーは、年齢もそこまで離れているわけではなかった。それに、どんな人にも得意・不得意なものは存在する。誰かを頼ることにより、頼られた相手の才能が大きく開花することもある。頼られた時に、頭ごなしに断る人はまずいないだろう。そして、丁寧に接していくうちに、そこには信頼関係が芽生えていくはずだ。

 自分の経験を踏まえて、リーダーとして、やってはならないこと・やってほしいことをいくつか共有。一言でまとめれば、「等身大でいること」ではないかと思う。立場が人を育てることは、確かにあると思う。しかし同時に、立場に飲み込まれてもいけない。あなたはあなた自身であり、僕は僕なのであることが急に変わるわけではないからだ。あなたが、自らをリーダーとして自覚しているかぎり、もう準備はできている。そこに、修飾はいらない。あなたのまま、あなたらしく、リーダーを務めあげればいいのだ。

 自己啓発本のような内容になってしまったが(笑)、それくらい、ある日突然リーダーになったことは、僕自身に大きな戸惑いを与えたし、他では経験できない学びを与えてくれた。そして今も、学びは続いている。そう、未だ、新しいことに直面する毎日なのである。

 もし、どこかでリーダーになれる機会があったら、ぜひやってみてほしい。そこでしか見えない景色があるし、こんな風に自分を高めてくれる機会は他にはない。もちろん、面倒臭いことも増えるけれど、それはいずれ、大きな喜びとなって自分に返ってくることは間違いない。そして、その経験はその後の人生に必ず役に立つ。なぜなら、人は誰でも、自分の人生においては、自分がリーダーなのだから。

 三代目 J SOUL BROTHERSは今、一人一人がリーダーのような感覚で、みんながグループのことを考えている。自らの得意なジャンルを中心に、アイデアを持ち寄り、時にグループを直接、ディレクションするメンバーもいる。これこそ、LDHが目指すアーティストグループの、進むべき新たなステップであり、三代目 J SOUL BROTHERSは、自然にそのステージに突入してきたと感じている。それぞれが個人のプロジェクトを持ち、それをグループに活かす。個人の夢を叶えながら、その夢がグループを盛り上げていく。すると、また、それぞれに新たな夢が生まれていく。メンバーを一人一人見ていると、その過程を楽しんでいただけるはずだ。人生を歩んでいくプロセスが見れること、それこそがLDHエンタテインメントの真髄であると、僕は思う。

三場 『R.Y.U.S.E.I.』の大ヒット、レコード大賞

「R.Y.U.S.E.I.」は、三代目 J SOUL BROTHERSを多くの人に認知してもらえた曲である。僕らとしても、納得のいく形で曲を作れた機会でもあった。

 この曲をリリースした2014年は、四季ごとに、4枚の新曲をリリースするプロジェクトを計画し、年始から動いていた。

 春には、定番の桜ソングのイメージを変えるべく、攻撃的で激しい「S.A.K.U.R.A.」を。夏には、パーティや野外フェスで流れるイメージかつ、三代目のパフォーマンスが映えそうな「R.Y.U.S.E.I.」を。秋には、日本の美しさと儚さを象徴する花の名を冠したバラード「C.O.S.M.O.S.」を。冬には、仲間との青春を歌う新たな冬のポップアンセム「O.R.I.O.N.」を制作し、届けた。

 三代目は以前から、EXILEの「Choo Choo TRAIN」や「Rising Sun」のような、グループの代表曲であり、誰もが踊れる振り付けがある楽曲を作りたいと目指していた中で、「R.Y.U.S.E.I.」の元となったデモ曲を聴いた時のメンバーの反応は、総じて良いものだった。また、この曲は当時の世界の音楽のトレンドを取り入れていた。当時、EDM(エレクトロ・ダンス・ミュージック)が世界中でヒットしており、その流れが日本にも来てはいた。EDMの特徴は、一番盛り上がるところが「フック」と呼ばれるパートで、そこには歌がなく、インストゥルメンタル(楽器演奏)になっている。しかし、サビという歌謡曲文化の土壌で育っているJ-POPにおいては、一番盛り上がるパートに歌がないことにリスナーが違和感を覚えてしまう。それが、EDMがまだまだその時期に日本に根付いていない原因と分析していた。

 そんな時、メンバーのELLYから良いアイデア(個人的には、もはや発明といっても良いと思っている)が提案された。「メンバー7人で、揃った振り付けをここでやりたいんだけど、どうかな?」。そうして生まれたのが、あの「ランニングマン」である。

「ランニングマン」というステップ自体は、1990年代に生まれた。ダンサーにとっては基本的なステップである。ボビー・ブラウンがMVで取り入れて、一躍有名になったステップだ。あなたも、もしかしたらどこかで見たことがあるかもしれない。

 ELLYにとってはそれも計算のうちで、誰もができそうな一番初級のステップをアレンジすることに意味があった。ある日、この振り付けを考えている時にELLYは、健二郎に相談した。健二郎は、ステップ・ダンスを得意としており、どんなステップの名前も把握している。いわば、ステップマスターなのだ。「健さん、どのステップがいいと思う?」「うーん、そやなぁ……最初に習うといったら、やっぱりランニングマンじゃないかな?」。

 実は、当初提案されたランニングマンには、あの指さしポーズの手はついていなかった。そこで、ELLYがアレンジを加え、メンバーを横一列にして振り付けたのが、あの指さしポーズ付きの「ランニングマン」なのである。ここに、ELLYの凄さがあった。

 2014年にリリースした当時、あの曲がすぐに、広く認知されていったかというと、そうではないかった。やはり、挑戦的な曲調や振り付けのため、最初は小さく、その後に徐々に広がっていった印象である。その年の暮れに、この楽曲で、三代目としては初のレコード大賞をいただくことができたのだが、それが着火剤のようになって翌年2015年に、「R.Y.U.S.E.I.」は爆発的に広がっていった。

「R.Y.U.S.E.I.」が大ヒットした要因としてもう一つ考えられるのは、SNSの普及だ。例を挙げると、Instagram社は、2014年2月に日本語アカウントを開設、2015年6月にはすでに810万人の月間アクティブユーザーを抱えていた。SNSユーザーには、「自らを撮って投稿する」という文化があるが、その流れに拍車をかけるように、同時期の2014年にはiPhone 6が発売され、ハードの面でもその文化を広く可能にし、加速させた。「R.Y.U.S.E.I.」はまさに、日本におけるSNS世代の始まりともタイミングが合致し、爆発的な広がりを見せたのだと、僕は分析している。

 SNS・スマホという時代の変革が、音楽とエンタテインメントとの奇跡的な絡み合いを見せ、コンテンツとして広く認知された産物が、「R.Y.U.S.E.I.」なのではないか。時代の潮流とは、そうして生まれてくるものである。そう考えると、まだまだ音楽とエンタテインメントには、今後も、他業種との可能性が秘められていると感じている。

 あれから6年あまり。SNSと5Gの広がりによって、これからは、もっと「視覚」に訴えかけるコンテンツがより必要とされてくるように感じている。そこには、「振り付け」と「演出」の重要さが付随していると僕は考える。

 僕は、ある実験をした。ポッキーのCMで話題になった「ポッキーダンス」や、USJのハロウィンでみんなが真似してくれた「ラタタダンス」の振り付けで、これまで分析してきた「視覚」に訴えかけるコンテンツの必要条件を意識してみたのだ。結果、広がりを見せていったムーブメントを見ながら、僕自身は確信を深めた。

 次回は、その振り付けの秘密に、触れていきたいと思う。

(# 17 につづく)

■小林直己
千葉県出身。幼少の頃より音楽に触れ、17歳からダンスをはじめる。
現在では、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSの2つのグループを兼任しながら、表現の幅を広げ、Netflixオリジナル映画『アースクエイクバード』に出演するなど、役者としても活動している。

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