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御厨貴×片山杜秀「安倍政権は『桂園時代』(歴代2位)に似ている」

歴代1位から4位まで長州出身者。これは驚くべきこと。官邸主導という安倍「歴代最長政権」誕生は、「平成年間の政治改革」の悲しい帰結である/御厨 貴(東京大学名誉教授)×片山杜秀(慶應義塾大学教授)

最大公約数を求めていない

御厨 安倍首相の通算在職日数が、11月20日に、桂太郎(2886日)を抜き、歴代1位になります。「長きがゆえに尊からず」と言うように、長さだけで政権評価はできませんが、この「歴代最長政権」誕生の裏にはそれなりの理由があるはずで、その功罪も含めて片山さんと一緒に考えてみたいと思います。

片山 ちなみに安倍、桂の後は、佐藤栄作(2798日)、伊藤博文(2720日)、吉田茂(2616日)と続きますね。

御厨 つまり歴代1位から4位まで長州出身者。これは驚くべきことで、それだけ明治以来のこの国の形が“長州風”だったとも、長州がそれだけ近代日本の政権に貢献してきたとも言えるでしょう。

片山 ただ改めて思うのは、諸外国と比較して長期政権が少ないこと。日本では約8年で歴代最長ですが、米国大統領の在任期間なら2期8年は標準的な長さで、サッチャー英首相は約11年、ミッテラン仏大統領は14年、コール独首相は16年です。現役のプーチン露大統領は2024年の任期まで務めれば約20年となり、習近平の中国も、最近、「2期10年」という国家主席の任期を撤廃しました。

諸外国との違いには、天皇の存在も関係していると思います。「畏れ多いのでそんなに長くやるな、天皇がいるのに」という文化的な圧力が働いてきたということです。逆に言うと、安倍政権が長く続くのは、そんな圧力も弱まったからなのか。

御厨貴氏

御厨氏

御厨 皇室と安倍政権の関係には私も大いに注目していて、後ほど論じたいのですが、まず政治の観点から言えば、政権交代のある欧米諸国でも概してトップの在職期間が長いのは、政権の座にいる間は、与党内でトップを引きずり下ろすようなことはしないからです。

それに対して、55年体制の自民党政権は、派閥の長が順番に総理になる仕組み。1人が10年も務めるわけにはいかなかったのです。

安倍政権以前の歴代政権は、国民世論の“最大公約数”を探して、その上に乗っかろうとし、その最大公約数もいつまでも同じではないから、その変わり目が政権の変わり目となり、2〜3年に1度、顔を新しくしていきました。

ところが安倍政権は、最大公約数を最初から求めていない。むしろ“右”を抱える“前衛”なんです。自民党は右派の人々と関係はあっても一定の距離をとってきたのに、安倍さんは堂々と付き合う。党全体がついてくるかこないかは別にして、憲法改正など右派的課題にも言及する。自分たちが前衛になって引っ張っていくというリーダーシップの取り方が今までと違う。

片山 戦後復興、高度経済成長、バブル時代という長い上り坂の間は、政権は最大公約数を求め、その上で増えていくパイをどう配分するかを考えればよかったわけですね。たとえば池田勇人なら「所得倍増」。次に、所得倍増で貧富の格差や国土の不均衡が問題になれば、佐藤栄作は「社会開発」、田中角栄は「日本列島改造論」と、新しいスローガンを掲げる人が次々に出てきた。

野党も同様で、建前のイデオロギーとして「左右の対決」はあっても、私有財産を否定するような政治体制を本気で目指すわけではなく、労使対立の場でも「もっと賃金上げろ」と言ったり、要するに「もっとパイをよこせ」という要求をした。それに対し、自民党からは、「じゃあ私がもっと上手に分けます」と、新しい人が出てきて、日本政治のダイナミズムは、「パイの分配方式」を刷新していくことにあったわけです。

ところが、冷戦終結とバブル崩壊で思想的な対立も成長もなくなると、このやり方が通用しなくなる。ここで出てきたのが、今の日本の危うい状況を誰がコントロールできるかという“リアリズム=安全運転”です。一方に「今の最低限の安定を崩さないでくれ」という世論があり、「看板を変えたらまた政権交代が起きる」という不安の声が与党内にもある。

御厨 安倍さんは、1年しか続かなかった第1次政権で失敗して、その後、民主党政権から政権を奪い返して首相に返り咲きました。これが安倍さんの強み。自民党議員にとって、安倍さんは今でも政権を奪還してくれた恩人なんです。

世論調査を見ても、安倍政権の主要な支持理由は、「前の民主党政権よりいい」とか「他に人がいないから」。安倍さんを熱烈に支持していたり、安倍さんによってこの国が変わると期待しているわけではない。ただ、この「他よりマシ」というのは、なかなか渋い(笑)。

片山 むしろ長続きの理由になっているわけですね。

御厨 あまり熱烈なファンがつくと、一時は良くても覚めたら、あっという間に風向きも変わる。

憲法改正も本気に思えない

片山杜秀氏

片山氏

片山 安倍政権は、20代、30代など若者の支持率が高いですね。

御厨 就職率も改善していて、彼らにとっては、「今の政治が自分の生活を邪魔するようなものでなければいい」ということなんでしょう。

ただ思うのは、5年後か10年後か、「安倍政権とは何か」という座談会をやったら、「目立った業績はないのに、なぜこんなに続いたのか」と、答えに窮するのではないか。むしろ“これといったこと=リスクを伴うこと”をやらないから、これだけ続いているという不思議さがある。

同じ長州でも佐藤政権は、中選挙区で派閥が強かった時代で、目標を立てないとうまくいかなかった。だから「沖縄返還」を政権目標として打ち出し、これをすべてに優先した。

その意味では、安倍政権の至上課題は本当に「憲法改正」なのか。口ではそう言っていても、本気で考えているようには思えない。最初はやるかやらないかも曖昧で、「96条の手続きだけ変えればいい」と言ってみたり、「9条に1項を加えればいい」と言ってみたり。

片山 真面目に考えていない雰囲気があります。

御厨 安倍さん自身が、「憲法改正1つに絞ったら、危ない、政権はもたない」と感じているのでしょう。しかも憲法改正は、最後に「国民投票」という高いハードルがある。

片山 そこでしくじったら、さすがに総辞職するしかありませんね。

御厨 憲法改正を国民投票にかけるには、この国の国家像のようなものも語らなければなりませんが、そうすると、「他よりマシ」で支持していた層は離れてしまうでしょう。

片山 「やります、やります」と言い続けながら、本気ではやらないままでいるのが、政権を維持するには一番いいのでしょうね。

「右」というより「安全運転」

御厨 安倍さん自身は、国民みんなに好かれようなどとは思っていない。そこが小泉さんとは違っていて、首相になった当初も、「小泉さんのようにはできない。あんな気の利いたことは言えないから」としきりに言っていました。しかし、その「言えない」がよかったわけです。安倍政権が発するメッセージは意外と地味なもので、ハレーションを起こすようなことはそれほどない。

彼が政権に復帰した当初は、「安倍さんは右派だ! ついていけない!」と言う人が自民党内にもかなりいました。そんな人たちに「あの時は、勇ましいことを言っていましたが」と言うと、「いやー、まあ、いいんじゃないの」と。つまり、表面上はイデオロギーの軸が右に動いているものの、安倍さんが本気でそちらに持っていこうとしている感じがしない。だから受け入れられている。

ただはっきりしているのは、“右”をコントロールできる安倍さんの後継者がいないこと。政権に就いた当初は、安倍さんも“右”のコントロールには相当神経を使ったはずですが、長く続けているうちに、どうすれば“右”を許容範囲で黙らせられるか、逆に“右”をどこで活用できるかが分かってきたのでしょう。彼が辞めたら、そこに亀裂が生じてしまう。だから辞められない。

片山 安倍政権は、実は「アメリカと仲良くしながら天皇と国民の和を守る」という現代日本で大多数が許容できる程度以上のことはやっていません。憲法改正も、コアの支持層向けに口にしているだけで、現下の国際情勢では、ホルムズ海峡近辺への自衛隊派遣とか、安保法制改正の方がリアルな問題としてある。これは別に憲法を変えなくてもできます。つまり、大事なのは“右”よりも“リアリズム=安全運転”。「ポツダム体制打破」とか「日本の自主独立外交で安保破棄」などとは言っていないのだから、安倍政権を「右寄りでけしからん」と左派が批判しても、どこかピントがずれてしまう。

また、かつての自民党政権のような「上り坂のなかでの追い抜き競争」なら、ロッキード事件のようなことが起きれば、「ここで看板を変えましょう」となりますが、「下り坂で誰が安全運転できるか」というなかでは、モリカケのような問題が起きて、たとえば朝日新聞などがいくら騒いでも、結局何も変わらない。「安全運転してくれるから」と問題が相殺されてしまうからです。

御厨 だからまるで“永久総理”のように続いてしまう(笑)。

桂首相_トリム済み

これまで歴代最長だった桂首相

片山 その意味では、これまでの歴代最長が桂太郎だというのが興味深い。あの時代は「桂園時代」と言われて、桂(約8年)と西園寺(約4年)を1つとみなしたら、日本では異例の長期政権です。この時代と安倍政権を比べると、意外と似ていて面白いんです。

御厨 桂を支えたのは官僚で、西園寺を支えたのは政党(政友会)という違いはあっても、両者は相互補完的に交互に政権を担って、政治的には安定していました。

片山 今の安倍政権は、党と官僚の両方を上手に手なずけていて、「桂園時代」を一人でやっている感じですね。

ただ、考えてみると、桂政権は、国際的には、日英同盟、日露戦争、日露協約、日韓併合と続く激動の時代。国内的にも、大正デモクラシーが本格化する、つまり、政治勢力の多元化が進んで不安定化していった時代。とりわけ日露戦争は、一つ間違えたら日本は滅びていたほどの危機でした。

桂と言うと面白いのは、われわれは、太平洋戦争なら東条英機を主語にするのに、日露戦争だと、映画でも歴史書でも、むしろ伊藤や山縣が主語で、「桂太郎首相」は影が薄い。しかし、あのときは第1次桂内閣でしょう。第2次になると桂がはっきり主語になる。桂を軸に政官財の強い束が出来て、元老も寄せ付けない。そのプロセスが安倍内閣の歴史の面影に何だかダブるのですね。

「政治改革」の悲しい帰結

御厨 振り返ってみると、今の安倍政権の“永続化”は、この平成30年間の「政治改革」とも大いに関係しています。

片山 「政治改革」が目指したのは、「2大政党制」と「官邸主導」ですね。「冷戦終結でイデオロギーの時代は終わったから、今後は、2大政党が現実主義的に政策(マニフェスト)を競い合うべきだ」として、平成初期の1994年に、中選挙区に代わって小選挙区制が導入されます。そこで有権者は、マニフェストや公約の達成度を見て「次はこちらにしよう」などと投票することが期待され、政権の方も、3〜4年で政策を実現するために、従来の官主導の調整型政治ではなく、むしろ官邸主導で官僚にプランを降ろしていくことが期待されました。

御厨 まさにそうした改革が、橋本内閣の行革以来、平成期を通じて積み重ねられてきたわけですが、良くも悪くも、その帰結が今の安倍政権であるわけです。

政治家と官僚の変質

片山 建前としては「2大政党による政権交代」を目指していたのに、民主党が悪かったのか、そもそも日本の政治風土と合わなかったのか、あるいは何か別のやり方をすべきだったのか、「2大政党」はいまや影も形もありません。残ったのは、強力な「官邸主導」の長期政権だけです。

菅官房長官と“官邸官僚”を中心とする内閣官房は、従来の調整型ではなく、人事権も政策決定権もかなり掌握している。官僚も、各省庁で局長になるより、“官邸官僚”として内閣府に仕える方にメリットを感じている。

御厨 そしてその官邸は、教育や社会福祉などの“野党分野”にも踏み込んでいて、官邸の意向を汲んだ優秀な官僚たちが、野党よりも一歩進んだ政策を先に出してしまうから、野党がアピールする余地がない。

片山 政策勝負ということであれば、学者ブレーンも大事ですが、やはりまずは官僚。ということは、2大政党制を実現するには、官僚がどちらにも味方せずにニュートラルに双方に知恵を出さなければならないのに、そうなっていません。

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★2019年12月号(11月配信)記事の目次はこちら

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