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“北朝鮮の毒舌プリンセス”金与正 「冷たい仮面」の裏の顔

兄・金正恩に代わって登場した北朝鮮の若き女王、金与正。だが、彼女について知られていることは少ない。生い立ちは? 父・金正日との関係は? 結婚しているのか? どれくらい権力を握っているのか?…韓国を罵倒する“毒舌公主”の知られざる素顔に迫った。/文・五味洋治(東京新聞論説委員)

南北融和策の実績を爆破

「家が揺れるほどの大きな音がして、突然黒煙が立ち上った」

6月16日午後2時50分。韓国と北朝鮮を分ける軍事境界線に近い韓国の村人たちは、突然の大音響に驚いた。煙は、4キロほど離れた北朝鮮・開城(ケソン)の南北共同連絡事務所から上がっていた。

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爆破された南北共同連絡事務所

北朝鮮の労働新聞は翌17日、爆破の瞬間を捉えた高解像度の写真6枚を掲載した。朝鮮中央テレビも、建物が爆音と共に飛び散る33秒の映像を公開した。

南北共同連絡事務所は、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が進める南北融和策の数少ない実績の一つだった。それがよりによって北朝鮮の手によって、無残に葬られた。

しかもこの爆破を指示したのは、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の実の妹、金与正(キムヨジョン)党第一副部長だった。彼女は2018年に韓国で開かれた平昌冬季五輪に合わせ訪韓している。北朝鮮を支配する金ファミリーの一員として、初めて韓国の地を踏んだ人間だった。

彼女は、対韓国外交の責任者となり、文大統領や韓国政府に対して、激しい口調で批判を繰り返し、軍事行動を起こすこともにおわせた。兄の正恩がいったんストップを掛けたものの「平和のメッセンジャー」は、なぜ「毒舌公主(プリンセスの意味)」「南北破局の主導者」(韓国メディア)に変身したのか。

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金与正

韓国は「低能」「3歳児並み」

与正の異変の兆候は、すでに3月に出ていた。北朝鮮が複数のミサイルを移動式発射台から発射したことに対して、韓国の大統領府(青瓦台)が遺憾の意を表明し、自制を求めた。

これに対して与正が3月3日に談話を発表した。与正名で談話が出るのは初めてだった。「青瓦台の低能な考え方に驚愕」と批判、その抗議を「3歳児並み」「怯える犬ほど吠える」と酷評した。

これを受けて、「統一戦線部」(労働党の対南関係の責任部署)スポークスマンの談話が出された。そこには「対南事業を総括する(与正)第一副部長が警告した」とあった。与正が対南関係の責任者として、外交の表舞台に出たことが確認された瞬間だった。

今年に入って、韓国の脱北者団体が風船に付けた体制批判ビラを北朝鮮側に飛ばした。正恩を「偽善者」「殺人者」と呼び、母親が日本から来た元在日コリアンであることも暴いていた。

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兄の金正恩

北朝鮮にとって正恩は「最高尊厳」だ。ビラは、その尊厳を貶めるものと感じたようだ。6月4日に与正が出した新たな談話は激しかった。脱北者を「クズ」「文字をやっと読めるかどうかの馬鹿者ら」と罵倒した。さらに「私は、もともと悪行を働く者より、それを見ないふりをし、あおり立てる者がもっと憎い」と、敵意を文大統領にも向けた。

ビラに関しては、18年に実現した南北首脳会談で、南北双方が軍事境界線周辺での散布中止で合意していた。北朝鮮の反発には、一応の根拠があった。

そして与正は談話でこう続けた。

「このような悪意に満ちた行為が放置されるなら、南朝鮮当局は遠からず最悪の局面まで予測しなければならないであろう」

13日になって与正は、さらに談話を出す。「南朝鮮(韓国)と決別する時が来たようだ」と宣言。「遠くない時期に、使い物にならない北南共同連絡所が形骸なく崩れる、悲惨な光景を見るだろう」と爆破の可能性まで暗示した。

この連絡事務所は、18年4月の南北首脳会談で「民間交流と協力を円満に保障する」として設置が決まった。南北間の意思疎通は電話で十分だと思うかも知れないが、政治体制が違うため簡単ではない。そのため南北合わせて40人が常駐し、顔を合わせて話し合う場所が「連絡事務所」だった。韓国側が建設費(日本円で計約15億円)を負担した。

18年の平昌冬季五輪の前まで、南北関係は冬の時代が続いた。李明博、朴槿恵という保守系大統領が続いた。この間、観光客の射殺事件をきっかけに金剛山観光が中断された。北朝鮮の弾道ミサイル実験に対抗して、南北共同事業である開城工業団地も閉鎖された。この2つの事業からの外貨収入が兵器開発に使われかねないと判断されたからだ。

北朝鮮も核実験やミサイルの発射実験を重ね、国際的な孤立を深めていた。そこに北朝鮮との関係改善を公約に掲げる文大統領が登場、北朝鮮側は徐々に姿勢を変えた。平昌五輪に女子アイスホッケー選手の派遣を決め、友好ムードが広がった。

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決定的な役割を果たしたのが、五輪に合わせて特別機で訪韓した与正だった。文大統領は、彼女と3回も会談し、与正に対して「南では(あなたは)スターです。ファンクラブもできたかもしれません」と軽口まで叩いた。それだけに「毒舌公主」となった与正の豹変ぶりに、もっともショックを受けているのは文大統領本人だろう。

身近な人たちに、「(与正の談話は)表現がやや度を過ぎている。いくらなんでもあんまりだ」と、ぼやきを漏らしたという。

闊達な「おきゃん娘」

与正について分かっていることは、あまり多くない。生まれた年も様々な説があったが、韓国統一省は最近、1988年9月26日生まれに統一した。今年誕生日が来て32歳となる。

母親は、大阪出身で後に北朝鮮に渡った舞踊家の高容姫(コヨンヒ)。父は金正日(キムジョンイル)だ。2人の間には正哲(ジョンチョル)、正恩、与正の2男1女がいる。

幼いころの様子については、金正日の専属料理人として平壌で暮らした藤本健二の証言がある。

「ものすごく闊達で、底抜けに明るく、いわゆるおきゃん娘である」と著書に書いている。藤本は、父金正日は家族で食事をする時は与正を隣に座らせ、「かわいい、かわいいヨジョナ(与正の愛称)」と声を掛け、目にかけていたと回想している。

彼女を平壌で見かけた韓国の実業家は、「ぴょんぴょん跳びはねつつ、走りまわって、兄に対して『ちょっと見て』などと言い、何か自信満々な表情を見ることがあった」「他人から愛情と関心を受ける人という印象だった」と話している。

北朝鮮消息筋によれば、与正は通訳がいらないほど日本語が堪能で、日本のアニメも好きだったという。

90年代に正哲がスイスに留学した。その後、与正も正恩とともにスイス・ベルン郊外に住み、近所の学校に留学した。北朝鮮外交官の子供として、「チョン・スン」という偽名を使っていた。ドイツ語やフランス語を学んだという。成績はよく、バレエのレッスンも受けていた。

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スイス・ベルン

しかし、スイスの情報当局は、この2人の身辺警護が厳重なことに注目した。2人と本国との電話連絡を傍受し、北朝鮮の指導者の子供だと把握、ひそかに観察していた。韓国や日本の情報当局もマークした。

正恩はドイツ語が苦手で学校にも馴染めなかった。クラスメートは、仲間に加わらない正恩を「シャイ・ボーイ」と呼んだ。親元から離れ、鬱々とした日々を共に過ごしたのが与正だった。2人の絶対的な信頼関係は、この時に築かれた。

ところが、スイスで身辺の世話をしていた叔母夫婦が米国に亡命してしまう。動機について夫婦は米当局に、「金正日の秘密を知りすぎ、北朝鮮に帰るのが怖くなった」などと話したと伝えられる。

正恩と与正は、叔母夫婦の亡命で自分たちの身分が明らかになるのを恐れ、クラスメートになにも告げず突然帰国、北朝鮮の厚いベールの中に消えた。

夫は「平凡な出身」

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