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【橘玲 特別寄稿】ヒトは「狡猾なウイルス」に試されている

新型コロナウイルスは世界中を大混乱に陥れた。感染症は本質をあぶりだす。ヒトの本性や社会の仕組みが浮き彫りになった。そしておそらく、これからもっと驚くようなことが起こるだろう。/文・橘玲(作家)

社会の本質があぶりだされた

今年はじめ、ひとびとがなにに夢中になっていたか覚えているだろうか?

欧米では、「大人が私の未来をだいなしにしようとしている」と叫ぶスウェーデンの少女が大人気になり、気候温暖化で人類が滅びるのを防ぐべく、CO2(二酸化炭素)を大量排出する航空機に乗らない「飛び恥 Flight shame」が流行語になった。

香港では民主化を求める若者たちが毎週のように警官隊と衝突し、中国の武力介入が近いのではないかと危惧されていた。フランスでは黄色のベスト(ジレ・ジョーヌ)を着た草の根的なデモが1年以上つづいており、マクロン政権の「ネオリベ」的な経済改革に反対していた。

今秋の大統領選に向けて候補が乱立した民主党予備選の様子をアメリカのメディアは競って報じ、イギリスでは昨年末の総選挙でボリス・ジョンソン率いる与党・保守党が大勝してEU離脱交渉が始まった。日本では年明け早々、カルロス・ゴーン日産元会長が密かにレバノンに出国していたことが大騒ぎになった。

しかしいまでは、香港でもフランスでもデモは行なわれていない。というか、世界のほとんどの場所でデモ(集会)自体が禁止されてしまった。もはや誰も気候温暖化のことなど気にしないし、アメリカの民主党予備選も、イギリスのブレグジットも話題にならなくなった。多くの日本人は、楽器ケースに隠れて逃亡した尊大な元経営者のことなど忘れてしまったように見える。

それ以外でも、ひとびとは多くのことに興味を失っている。なぜなら、はるかに重大な関心事ができたから。それは「生き延びる」ことだ。

世界を大混乱に陥れた新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)の本質は「死の恐怖」だ。生き物としてのヒトのもっとも強烈な欲望は「生きたい」であり、それに比べれば正義とか、愛とか、人類滅亡ですらどうでもいいのだ。この生々しい現実を、私たちは日々、目にしている。

感染症は社会の本質をあぶりだす。たとえば、ウイルス感染者を乗せて横浜港に停泊した大型クルーズ客船ダイヤモンド・プリンセス号。乗客・乗員合わせて4000人ちかくを14日間も「隔離」した結果、官房長官が「感染拡大防止を徹底」と胸を張ったにもかかわらず、感染者約700人、死者10人の“大惨事”を引き起こした。

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「ウイルス培養船」となったダイヤモンド・プリンセス号

ちょうど同じ時期、カンボジアが同様の状況にあったクルーズ客船を受け入れ、症状のない乗客全員を検査もせずに下船・自由解散させた。これを日本のメディアは「中国におもねっている」とさんざん批判したが、その後、確認された感染者は1名だ。どちらの対応が正しかったかは議論の余地すらなく、当然のことながら、感染の恐怖に怯える乗客・乗員を非人道的な環境で拘束した日本の対応は海外メディアからさんざん叩かれた。

ウイルスが未体験であることを考えればいちがいに責めることはできないものの、「政治は結果責任」というのなら、正しい判断は全員を検査して陰性の者を下船させるか、それが無理ならカンボジアと同様に無症状の者を下船させ、日本人には2週間の自宅隔離を求め、外国人は各自で航空券を手配させ、空港まで送って帰国してもらえばよかっただけだ。これなら、2週間もウイルスを“培養”したあと乗客を下船させ、公共交通機関で帰宅させて新たな感染者が続出するという無様な結果を避けられただろう。

感染症対策の責任者は誰か?

だが、ほんとうの問題はそこにはない。誰だって失敗することはあるだろうが、この国では、失敗の責任がどこにあるのかわからないようになっているのだ。

クルーズ客船が全国民の注目を集めていたとき、説明にあたったのは厚生労働大臣だが、経歴は国立大学経済学部卒の学士だ。船内で陣頭指揮をとったとされる厚労副大臣も私立大学の文系で、感染症についてなんの専門知識もないだろう。ついでにいうと、いまの厚労事務次官も国立大学法学部卒の学士だ。そうした「素人」たちを補佐するために官僚がいるはずなのに、奇妙なことに、現在にいたるまで厚労省の感染症対策の責任者が誰なのかはまったく知られていない(厚労省の組織図を見るとそれらしき部署はある)。

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加藤厚労大臣

さらに奇妙なのは、メディアも厚労省の「責任者」に取材しようとしないことだ。感染症の専門家である国立大学教授がクルーズ客船に乗船し、その後、「感染対策がほとんどできていない」とインターネット上で告発したとき、新聞は「厚労省幹部」なる人物の反論のコメントを掲載した。このような重大な社会問題で、批判する側が実名で、それに答える公務員が匿名というのはおかしなことだと思うのだが、メディアもそれを当たり前だと受け止めている。なぜなら記者クラブ制度で囲い込まれていて、官僚となれ合っているから。

ところで、なぜ「厚労省幹部」は堂々と名乗り出て反論しないのだろうか。私は、その理由はひとつしかないと思う。それは、この人物が「素人」だからだ。感染症の専門家と渡り合うだけの専門知識がないから、こそこそ隠れて文句をいうしかないのだ。

厚労省の2つの“事件”

これが私の偏見でないことは、2019年1月に発覚した「統計不正」事件を振り返ればわかる。このとき厚労省は、雇用保険や労災保険の算出などに使われる「毎月勤労統計」の調査で、本来なら東京都が全数調査しなければならないものを、「大変だから」といわれて法令に反して抽出調査にすることを認め、そのうえ全数調査の結果に合わせる補正をしていなかった。その後、不適切な取扱いに気づいた職員が補正を行なうのだが、そのことによって統計結果がさらに歪んでしまった。こんなことを気軽にやるのは、統計を自分たちの都合で勝手にいじっていいと思っているからだろう。

不正が明らかになって、過去の経緯が不明だと野党から追及されたが、組織的に隠蔽しているというより、担当者が何人も代わって誰がなにをしたのかわからなくなっていたのではないか。過去の統計資料を廃棄していたことも明るみに出たが、これも悪気があるのではなく、「どうでもいい」と思った担当者が独断で捨てていたと考えるのが自然だ。

厚労省はその前年、2018年2月の「働き方国会」でも同様の“事件”を起こしている。労働実態調査で、裁量制労働者の1日の労働時間と、一般労働者がもっとも多く残業した日の時間を比較するなどして国会が紛糾したのだ。野党はこれを厚労省の陰謀だと批判したが、“陰謀”ならバレないようにもっとちゃんとやるだろう。

専門家のふりをした素人集団

2年つづけて起きたこの不祥事からわかるのは、厚労省の統計部門には統計の専門家が誰もおらず、“素人”によって運営されていたことだ。最初はちゃんとした専門家がいただろうし、大学院で統計学を学んだキャリアが配属されたこともあったかもしれない。だが霞が関の官僚は2〜4年で異動するので、いつのまにか統計の基礎すら学んだことのない素人が責任者になるのだ。

統計のような専門性の高い部署ですら専門家がいないのなら、感染症対策の部署に感染症の専門家がいなくてもなんの不思議もない。こう考えると、国民の一大関心事だったクルーズ客船問題のときに、なぜ厚労省の感染症対策の責任者が前面に出られなかったかがわかる。それが素人(たとえば国立大学法学部卒の学士)だったら、これまでずっと隠してきた秘密、すなわち厚労省が「専門家のふりをした素人の集団」だということがバレてしまうのだから。

もちろん私は厚労省の内情を知っているわけではないから、これは「陰謀論」の類だ。だがそう考えると、クルーズ客船問題から現在に至るまで、なぜ厚労省の感染症対策の責任者がただのいちども私たちの前に姿を見せないのか、その謎がきれいに解けるのではないだろうか?

1923(大正12)年12月27日、国会議事堂に向かう皇太子(後の昭和天皇)の車が狙撃された。犯人の難波大助は、父親が衆議院議員という山口県の名家に生まれた24歳の若者で、ステッキに仕込んだ散弾銃の銃弾は車の窓を破ったものの、同乗していた侍従長が軽傷を負っただけで皇太子には怪我はなかった。

欧米のジャーナリストを驚かせたのは、事件よりもその後の出来事だった。

内閣総理大臣の山本権兵衛はただちに辞表を提出し、内閣は総辞職した。当日の警護の責任をとって警視総監と警視庁警務部長が懲戒免官となったばかりか、道筋の警護にあたっていた(事件を防ぐことはとうていできなかった)一般の警察官までもが責任をとらされて解雇された。

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山本権兵衛

難波の出身地の山口県知事は減俸、上京の途中に立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責(けんせき)処分となり、郷里の村は正月行事を取り止めて「喪」に服した。難波が卒業した小学校の校長と担任の教師は辞職し、衆議院議員である難波の父親は自宅の門を青竹で結んで蟄居し、半年後に餓死した。

政治学者の丸山真男はこの皇太子狙撃事件を例にあげて、日本社会の特徴は範囲の定めのない無限責任にあると論じた(『日本の思想』岩波新書)。いったん不吉なことが起きると、関係する全員がなんらかの“けがれ”を負い、批判の矢面に立たされるのだ。

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丸山真男

こうした無限責任の社会では、責任を負わされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を避けようとする。その結果、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも責任をとる者のいない無責任社会が生まれ、破滅的な戦争へと突き進んでいったというのだ。

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