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外事警察秘録③オウム真理教「ロシアコネクション」 北村滋(前国家安全保障局長)

警察庁長官狙撃事件の当日。「警察の涙雨」という言葉が頭を過った。/文・北村滋(前国家安全保障局長)

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北村氏

教団の背後にロシア

まもなく5カ月となるロシアによるウクライナ侵攻をめぐって印象的だったのは、「ロシアは、ウクライナに全面侵攻しない」とする我が国の大方の識者・専門家の予測を裏切る形で始まったことだ。

外国の戦略シナリオの予測は難しいといえばそれまでだが、インテリジェンスの観点からみると、これらの予測は、「ミラー・イメージング(鏡像効果)」の罠にはまった結果といえる。我々は、ある国家や個人が重要な戦略的判断をする際、「自国あるいは自分と同じように考え、行動する」という思い込みに基づいた予測を立てがちだ。だからこそ、外事警察は、ロシア、中国、北朝鮮といった脅威となり得る国々を、あらゆる可能性を排除せずに注視し、その動向分析を怠ってはならないのだ。

1995年のオウム真理教による一連の事件について、教団の背後にロシアの国家的関与があるのではないか。当時の外事警察は、そんな視点から容疑解明にあたっていた。

3月20日朝、オウム真理教は地下鉄でサリンを使った大規模テロを実行した。当時、警察庁外事課理事官だった私もテロの対象となった地下鉄の利用者だった。運行中止となったため、「国会議事堂前駅」で下り、テロ事件発生に似付かわしくない青空の下、総理官邸を背に茱萸坂ぐみざかを下って霞が関の警察庁へ急いだ。

登庁すると既に全庁がサリン事件の対応にあたっていたが、夕刻、国際テロ関連の新たなニュースが飛び込む。

120回以上の渡航記録

1974年10月の三井物産爆破事件で逮捕された「東アジア反日武装戦線・大地の牙」のメンバーで、日本赤軍による「ダッカ事件」で釈放されていた浴田由紀子えきだゆきこ元受刑者が、ルーマニアで身柄拘束されたとの一報だった。渉外・調整の担当だった私は、サリン事件対策室を一旦離れ、検察庁との調整・協議に当たった。検察との協議は、警察が何時から浴田拘束の事実を知っていたかを争点に揉めに揉め、日付をまたいだ。若気の至りで、「そんなに気に入らなければ、検察の判断と責任において、浴田を釈放したらいい」と開き直って、啖呵を切ったことを憶えている。私にとっての「3・20」は、そんな長い1日となった。

数日後、直属の上司、小林武仁外事課長(後に警備局長)から、「オウム真理教の実態解明、なかんずく、ロシアとの関係に焦点を当てるように」との指示を受けた。

小林課長は、オウム真理教が麻原彰晃を国家元首に見立てた擬制国家の建設を目指し、国家転覆を企図していることや、教団幹部がロシアへの渡航を繰り返していた点などに着目し、警備公安警察が前面に立って取り組むべきだと認識されていた。

オウム真理教は化学兵器を使ったクーデターを起こそうとしたが、その背後にロシアの国家的関与は無かったのか。外事警察として、最大の眼目はそこにあった。

外事課長を総指揮官として、我々は、オウム真理教の海外での活動実態を解明するためのプロジェクト・チームを発足させた。調整担当の私、海外対策を総括する折田康徳国際テロ対策室長(後に九州管区警察局長)、それぞれの下で、課長補佐クラスに実務に当たってもらった。

まずプロジェクト・チームは、オウム真理教の麻原以下、主要メンバーとロシアの関係を調査した。これは教団関係者の海外逃亡を阻止するためでもある。そして、サリンなどの毒物や銃器などの武器の製造実態や入手経路の特定も重要課題だった。また、一連のオウム真理教事件に高い関心を示していた米国やその他友好国への協力も、安全保障上の信頼関係維持のために必須であった。

そこで我々は、教団幹部らのロシアへの渡航状況を調査した。情報収集・分析の統括は、高須一弘外事課課長補佐(後に近畿管区警察局長)に当たってもらった。

「麻原は○回、上祐史浩『ロシア省大臣』は×回、早川紀代秀『建設大臣』は△回、新實智光『自治大臣』は■回」――。想像を遥かに超えた数字だった。教団幹部のなかには渡航歴が10回以上に及ぶ者もおり、麻原とその家族、幹部ら24人で計120回以上に上っていたのだった。

この異常な回数に及ぶ渡航の目的は何か。緊密な関係を利用して、ロシアへ逃亡するのではないかとの危機感を強く持った。実際、国内にいると思っていた上祐は、当時ロシアに滞在していたのである。

逃亡阻止の方策を検討した結果、旅券法に基づく旅券返納命令で対応することにした。外事課の筋伊知朗課長補佐(後に警察庁政策立案総括審議官兼公文書監理官)を中心に、旅券返納命令を始めとする水際対策をとりまとめてもらった。

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地下鉄サリン事件

刑事警察との考え方の違い

解明作業を続ける中で、我々は、オウム真理教が国家を敵視して過激化、武装化する過程にも注目した。

オウム真理教の組織機構は、あたかも政府の行政組織のような構造になっていた。これは宗教団体としては極めて異例なものだった。

例えば、1995年5月時点の教団の組織図では、「尊師」を頂点に側近機構として法皇内庁(長官:中川智正)と「法皇官房」(事実上のトップ:石川公一)が置かれた。この他、「大蔵」「法務」「外務」「文部」「厚生」「科学技術」「郵政」「労働」など当時、我が国に現存した省庁の名称を冠した部署もあった。また、「防衛」「諜報」「建設」「治療」「自治」の各省庁には、非合法活動を担う組織の存在も明らかになった。宗教団体風な部署名として、「新」「東」「西」の3つの「信徒庁」があり、また、「究聖音楽院」といったものもみられた。

こうした「省庁」の実態は、国家の行政組織とは比べるべくもないが、「防衛庁」や「諜報省」「外務省」では、警察などの「敵」に対する情報収集や渉外活動を行っていた。つまり教団を国家的なものと位置づけ、既存の国家と対等な関係にあると考えていたことがうかがえる。

警察内部ではオウム真理教をめぐり、刑事警察と、外事警察を含む警備公安警察との間で、捉え方が大きく異なっていた。刑事警察は、教団を非常に統率度が高く、大がかりで悪質な犯罪組織とみて、捜査第1課を中心に立件を目指していた。

これに対し外事警察は、ロシアのような外国との深い関係も視野に入れつつ、クーデターによって国家転覆を目指す組織である可能性に留意して実態解明を進めていた。根拠は、既に述べたような麻原を頂点として省庁制を敷いた擬制国家が、ロシアと武器の入手などで連携しているという事実に基づくものであった。

現に麻原は、1986年に信者(当時は「オウム神仙の会」)を前に、「武力と超能力を使って国家を転覆することも計画している」などと発言している。1990年には、衆院選に真理党として候補者を擁立したが、全員が落選。麻原は惨敗の理由を「国家に負けた」と説明しているが、その後の方向性について「オウムは反社会、反国家である」と檄を飛ばし、国家や警察、マスコミに敵意をむき出しにするようになっていった。

我々は、オウム真理教が「国家権力の掌握を目指して、変貌を遂げてきたのではないか」とみていた。衆院選落選の後、麻原は権力奪取の手段を民主的な形から過激な暴力主義的な形にシフトしたということなのであろう。

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麻原彰晃

500万ドル寄付の「効果」

ロシア、その前身のソ連邦も1988年から1991年12月にかけて崩壊の道を一気に進み、統一国家としての統治システムは機能不全に陥った。国内は混乱状態に陥り、国家保安委員会(KGB)などの特権を持つ機関、政治力を保持する個人や団体を中心に、国内外に「支援者」を求めるようになっていた。

そんななか1988年、オウム真理教は、「ロータス・ビレッジ構想」を発表する。太陽電池をエネルギーとし、独自の学校や病院などを地域内に建設し、自己完結したサンクチュアリを建設する「日本シャンバラ化計画」を実行に移そうとしたのだ。

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