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感染者減も支持率は急落……安倍晋三 対 新型コロナ「150日戦争」

一斉休校の表明、布マスク配布、星野源動画、10万円の一律給付……安倍首相を最もよく知る記者が書く、知られざる「VSコロナ対策」葛藤と決断の全記録。/文・岩田明子(NHK解説委員)

岩田明子 広報用写真

岩田氏

「本当の闘いはこれから」

「危機はマネージできている。緊急事態宣言の満期(5月末)を待たずに段階的に解除できるかもしれない」

首相の安倍晋三がそう手応えを感じたのは、ゴールデンウィークに入った頃。連日官邸で開催していた連絡会議の報告で、多くの県で、新型コロナウイルスの新規感染者ゼロが続いていることに注目したのだ。

「3月中旬から4月上旬にかけ、欧米などからの入国者を制限したことが功を奏したのだろう」

経済活動の視点から1営業日を空けた方がよいという判断で、5月14日と21日のいずれも木曜日に中間評価を行うことを決めた。

14日、直前にクラスターが発生した愛媛県の解除について専門家会議の意見は割れたものの、39県の緊急事態宣言を解除。さらに東京高検検事長、黒川弘務の辞表提出に揺れた21日夕に近畿3府県、そして25日には、最後まで残された東京都など首都圏の1都3県と北海道の宣言解除に踏み切った。

この決断に迷いはなかった。激務は続くが、体調も万全だ。安倍は力強くこう語るのだった。

「ようやく収束にこぎつけることができたが、本当の闘いはこれからだ。『新たな日常』を作り上げなければ」

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安倍首相

私は「ニュース7」や「ニュースシブ5時」などで一連の問題を報じてきたが、視聴者の方々の理解を深める一助になればと考え、筆を執ることにした。安倍は未知のウイルスにどう対峙してきたのか。重要なポイントを中心に検証してみたい。

綱渡りのロジスティックス

「中国・武漢に渡航していた神奈川県在住の男性が感染しました」

安倍が首相秘書官の新川浩嗣からそう告げられたのは、1月16日の午前。「実態不明の感染症がついに我が事となった」。直ちに安倍は官邸の危機管理センターに設置した「情報連絡室」に、情報収集を命じる。

その1週間後の1月23日。中国政府が武漢の都市封鎖を発表し、世界に衝撃が走った。約7年半に及ぶ第2次政権では、アルジェリア人質事件など幾多の危機を乗り越えてきた安倍。その一報を耳にしてからの動きは早かった。

「都市封鎖が断行された以上、もはや武漢で経済活動はできない」

翌24日、安倍は秘書官や外務省幹部らと協議し、現地にチャーター機を派遣して在留邦人を帰国させることを決断。外相の茂木敏充に中国政府との交渉を電話で指示しつつ、北京の大使館員らを当局の許可を得る前に見切り発車で1200キロ離れた武漢に車で向かわせるなど、綱渡りのロジスティックスだった。だが、中国が日本に対してチャーター機の武漢着陸を優先的に認めたのは、これまでの外交成果だと言える。

一方で安倍は、水際対策が最重要課題と考えていた。そこで厚労省に対し、帰国者全員のPCR検査や個室管理を指示。ところが、「帰国後は各自で移動してもらう」と厚労省の官僚たちは考えていた。その中心人物が、首相補佐官・和泉洋人との不適切な出張問題が報じられた大臣官房審議官・大坪寛子である。

だが、安倍はこう言い切った。

「キャパの問題であれば、後で補充すればよい。今集中すべきは武漢オペレーションだ。帰国者を公共交通機関で帰宅させるのは政治的にあり得ないが、疫学的にもあり得ない」

大坪をはじめ厚労省はこの段階では「感染拡大の可能性は低い」との見方を示していたが、安倍は「そんなに甘いものではない」と警戒感を抱いていた。実際、この日以降もPCR検査の拡大を厚労省に強く指示している。自治体などには患者への柔軟な対応を求める通達も出し続けていたが、保健所を指導する厚労省の動きは鈍いまま。検査数の少なさを批判する報道も目立ち、苛立ちを募らせる場面も見られた。

先行きへの不安を感じさせた厚労省の対応。1月29日、邦人を乗せたチャーター機第1便が羽田空港に到着し、乗客の大半は官邸が用意した千葉県勝浦市のホテルへと向かった。かつてないほどに全面的に危機対応を指揮した安倍。だが「甘くない」との懸念通り、これは長く続く闘いの序章に過ぎなかった。

クルーズ船対応の反省点

次の試練は、2月5日。横浜港に入港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」でクラスターが発生したのだ。政府は感染症対応のセオリーとされる「乗客乗員の個室管理」を始めた。ただ、“武漢オペレーション”との最大の違いは、患者の受け入れ先が圧倒的に足りないことだった。約3600人の乗客乗員に対し、この段階で確保できた個室病床は約400床。観光業界に強い国交省出身の和泉が機能していれば、ホテルの協力なども得られたはずだが、大坪との問題も影響し、従来の迅速な対応は影を潜めた。

「受け入れ先が絶対的に足りない。このままでは立ち行かなくなる」

安倍は強い危機感を持つ。そこで編み出されたのが、クルーズ船に多くの医師や専門家、医療設備を集中的に投入し、事実上の「病院船」にするという案だ。高齢者や重症患者、陰性者を下船・隔離させ、他の陽性者は船内に残し、個室管理、治療するという“逆転の発想”だった。

新型コロナウイルス

新型コロナウイルス

潜伏期間が最大14日間とされる新型コロナ。武漢からの帰国者も初めの検査で陰性が出て、以降の14日間で「症状が出なかった人」は1人を除き、出口検査で全員が陰性だった。政府は分析が明らかになった2月15日、各国大使館にこのウイルスの性質を説明。19日から感染が確認されなかった乗客の下船が始まり、米国もチャーター機で米国人を帰国させることを決めたが、その過程では、安倍が悔やむ一件があった。

海外メディアの報道だ。ニューヨークタイムズは日本の対応を批判し、「米国が乗客の帰国を迫った」と報じていた。だが、事実は異なる。米国は「乗客を横田基地などに移動させれば、感染リスクが高まる。乗客を安全な船内に留めて欲しい」と外交ルートで要請していたのだ。誤報はすぐ訂正すべきだったが、手が回らなかった結果、日本の国際的評価を落としかねない事態を招いた。

安倍は後にこう振り返っている。

「医療資源が限られていた中で、“封じ込め”という対応は間違っていなかった。しかし、事実や経緯を内外のメディアに説明する作業が足りなかったことは反省材料だ」

5月29日現在、クルーズ船の感染者は計712人。過酷なミッションだったことは間違いない。

一斉休校を突然表明した理由

ただ、この頃から国内でも「安倍政権のコロナ対応は後手に回っている」という声が出始めていた。クルーズ船以外での感染も徐々に広がりつつあった。

そんな中、2月27日夕の新型コロナウイルス感染症対策本部で安倍が表明したのが、全国小・中・高への一斉休校の要請である。

この方針には直前まで政府中枢から反対論が相次いでいた。文科相の萩生田光一もこの日の昼に官邸を訪ね、「仕事を休みたくても休めない家庭がある。春休みだけを前倒しする形にしてはどうか」と提案。だが、安倍の腹には「別の考え」があった。

萩生田との面会の約5時間後、安倍は前倒しではなく、事実上「3月2日から春休み終了まで」の一斉休校要請を表明。感染拡大を防ぐには、充分な休校期間を取る必要があると考えたのだ。台湾や香港などがすでに休校措置を取っていた点も判断材料になった。閣僚らが反対する中、方針に唯一賛同した首相補佐官の今井尚哉が関係各所への根回しを始めていた。

「自らが国民に直接メッセージを出すタイミングだ」と考えた安倍。それまでも公明党代表・山口那津男らから総理会見を行うよう進言されていたが、時期尚早だという姿勢を崩していなかった。しかし2月29日、ついに官邸での記者会見に臨む。国民の関心を集めやすい「土曜日の夕方」を選んだ。

「これからの1、2週間が急速な拡大に進むのか、終息できるのかの瀬戸際だ。子供たちの健康、安全を第1に考え、日常的に長時間集まることによる感染リスクに備える」

この会見は、質問社数を制限した点や方針表明の唐突さなどが批判された。後述するが、「説明責任を十分に果たそうとしない」という安倍の欠点が露呈したとも言える。

ただ、ヨーロッパ諸国も一斉休校を追随し、各種世論調査でも休校判断を支持する声は6割を超えた。感染拡大防止に一定の効果も生み、安倍は後に、「感染症との闘いは先手を打つ思い切った対応が何より大事だ」と改めて痛感することとなった。

だが、2月末段階で1日あたりの感染者数がまだ20人前後に留まっていた日本と異なり、世界の感染者数・死者数は急激なペースで増えていた。後に米国から「中国の操り人形」と批判されたWHO(世界保健機関)も3月11日、ようやく「パンデミック」と宣言する。

こうした中で避けられなくなってきたのが、東京五輪・パラリンピックの「延期」だ。日本にとって、最悪のシナリオは「中止」だった。

小池からのグータッチ

安倍は水面下で動き出す。3月12日、ギリシャで聖火採火式が行われ、日本に聖火が来ることが決まると、この日、都知事の小池百合子と会談。「26日の聖火リレースタートまでに日本が主導して、決定権を持つIOCと話をつける必要がある」という認識で一致した。

翌13日、安倍はIOCに強い影響力を持つ米国の大統領、ドナルド・トランプと電話会談に臨む。安倍が「無観客はあり得ない。完全な形で、世界中の人々に感動を与えるような五輪・パラリンピックにしたい」と述べたのに対し、トランプは「シンゾウを100%、1000%支持する」と応じた。これは、安倍との間ではお決まりの表現だ。

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トランプ大統領と安倍首相

3月16日、感染拡大を受け、史上初のテレビ電話によるG7首脳会談が開かれた。安倍が「日本の対応への支持と連帯を示して欲しい」と要請すると、後に自身の感染が発覚する英首相のボリス・ジョンソンはサムズアップして「Good Luck!」と笑顔で応え、トランプらも「Good Luck!」と追随。安倍が各国首脳に「中止」ではなく、「延期」の方向で根回ししたことが、IOCの判断にも影響を与えることになる。

安倍はIOC会長のトーマス・バッハに「1年程度」の延期を要請しようと考えていた。なぜ1年か。ヒントは、3月12日のトランプ発言にあった。ホワイトハウスで記者団に「1年間、延期した方がいい」と述べたのだ。スポンサーや放映権を持つメディアと繋がりの深いトランプが具体的な時期に言及したことに「米国の本音がある」と安倍は注目したのだ。2年延期を視野に入れる声も一部で上がったが、選手が置かれる状況なども考慮すれば2年後という選択肢は難しかった。

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