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西寺郷太 小説「'90s ナインティーズ」最終回

文藝春秋digital

最終章
See You Again
1999年・夏 - 2001年・冬

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(最終回)じゃ、またね

 2000年12月30日土曜日夜。

 渋谷公会堂でのライヴが終わった後、僕らはレーベル・スタッフの竹原功記君らと共に宇田川町の交番前、ちとせ会館の中にある居酒屋で開かれた忘年会も兼ねた打ち上げに向かった。宴の席で、昨年リリースしたアルバム《フライデー・ナイト》でプロデューサーとして濃密に携わってもらった後、ずっとライヴも現場でチェックし客観的な意見を伝えてくれていた湧井正則さんの表情が翳っていることに気がついた。アルバム制作のために久々にみっちりスタジオで長い時間を共に過ごした昨年に比べ、今年1年僕と彼との共同作業は如実に減っていた。しかし、NONA REEVES を脱退後、セッション・ベーシストとして advantage Lucy や、ROUND TABLE など様々なアーティストに関わっていた小山晃一が始めた新しいプロジェクトのプロデューサー業など、STARWAGON 解散以来滞っていた湧井さん自身の音楽活動も軌道に乗り始めたように思える、そんなタイミングだった。打ち上げが終わり店を出て「よいお年を」と年の瀬の挨拶を交わしながらメンバーやスタッフと別れた僕は三々五々、渋谷の街に溶けてゆく彼らの姿を次々と見送る。その流れで湧井さんにも同じテンションで声をかけたのだが、彼の反応が不自然でぎこちないことに驚いた。長身の彼は12月の寒さで白くなる吐息に乗せて、意を決したような表情でほんの少し微笑みながらこう言ったのだ。

「ずっと考えてたんだよ、この1年。おまえは俺を慕ってくれるけど、もうここには俺の居場所はない。だから来年からはもう俺、ノーナの現場には来ないわ」

「え?」

「ゴータ……、おまえは俺を越えたよ」

 21歳の僕がどん底でもがいていた6年前、バイト先の凸版印刷で派遣社員としてやってきた27歳の湧井さんと出会った。ちょうど同じ師走の季節のこと。音楽のみならず、映画や小説などあらゆるジャンルに博覧強記の先輩として慕うようになった彼から「バンドを組んでいる」、そして「CDを出している」と聞いた瞬間の衝撃は今も忘れられない。僕はすぐに彼がフロントマンとして、ソングライターとして輝きを放ったギターバンド STARWAGON に夢中になった。湧井さんの紹介で下北沢の音楽仲間、先輩達に会って刺激をもらえなければ絶対にミュージシャンにはなれなかった。歌詞の書き方も、視点も含めて湧井さんに教わったことは数えきれない。ただしここ数年、僕は純粋に音楽の道を、日々を生きることに必死だった。知らぬ間に僕が知る誰よりもプライドの高い湧井さんを、傷つけていたのかもしれない。

「じゃあな、ありがとな」

 湧井さんは煌びやかに光る宇田川町のど真ん中で、交番を背にして立っている。僕は少し彼と目を逸らし、味の中華「兆楽」の黄色と赤の看板を静かに見つめ数秒の間黙り込んでしまった。5年前、彼の導きで下北沢を訪れてから最初に作った曲〈自由の小鳥〉を聴かせてしばらくした夜のこと。湧井さんが大好きな「銀河英雄伝説」を踏まえたこんな言葉をくれたことがふと頭をよぎる。

「凄いじゃん。これ、いいよ……。ゴータは、俺がヤン・ウェンリーだとしたら、ユリアンかも知れないなー、って正直思うよ」

「志半ばで死んじゃうじゃないですか。ヤンは。あはは、何言ってるんですか」

 回想から現実に引き戻された次の瞬間。湧井さんは戸惑いを隠せない僕に背中を向けると、ひょいと右手を上げケバケバしい繁華街の雑踏の中に身を混ぜて消えた……。この夜から22年もの間、湧井さんと僕が会い、言葉を交わすことは一度も無い。湧井さんはこの後しばらくして周りのバンド仲間、ミュージシャンとも連絡を断ち音信不通の状態になった。ネットやSNSでも見つからない。友人達の誰もが探したが、不思議なことに彼の消息は全くわからなかった。しかし、つい先日、僕は彼とメールで言葉を交わすことが出来た。この20年の間、湧井さんは変名で音楽プロデューサーとしての活動を続け、多くの支持者を得ていたのだ。彼は音楽から離れてはいない。その事実が知れて、僕は本当に嬉しかった。

 2000年12月31日日曜日。

 僕は渋谷クラブ・クアトロで同じイベンター、ディスクガレージが主催する年越しライヴに足を運んだ。PEALOUT ドラマーの高橋浩司君から直接電話が来たからだ。「この日、俺たち3回ライヴやんのよ」浩司君は苦笑いしながら言った。

「最初は、早い時間に CLUB Queで、その次のクアトロはカバー中心なのよ。それ、ビートルズもやるからゴータ絶対楽しいと思って。なんか久々に観て欲しくなってさ。PENPALS、 SHORTCUT MIFFY! も一緒だし」

「へー! それで、3回目はどこなんですか?」

「ON AIR EAST。ふふふ、ここも PENPALS 一緒なんだよ。ZEPPET STORE、GYOGUN REND’S とか、若い THE BACK HORN ってバンドも出たりする」

 夕刻。家を出る前に何気なくテレビをつけると、世田谷・祖師谷の一軒家で子供も含む家族4人が何者かに殺されたという衝撃的なニュースが流れていた。弟と僕は渋谷駅で一緒に年を越す約束をした竹原君との待ち合わせに向かう。両親を阪神・淡路大震災で亡くした竹原君が大晦日と正月を東京で過ごすと言うので、それなら一緒にいようと声をかけたのだ。ふと思いついて、ベーシスト小山晃一に「今日、渋谷で PENPALS や PEALOUT のライヴ観て、その後一緒に飲まない?」と歩きながら電話。すると「あー、今日、僕、ROUND TABLE の年越しライヴで、今、大阪なんですよ。カウントダウン・イベントのリハーサルの合間で」とそんなに恐縮する必要はないのに彼は異様に申し訳なさそうに告げた。

 渋谷クラブ・クアトロ。久しぶりにライヴを体感した PENPALS は勢いを更に増していた。若いオーディエンスが林君をカリスマのように崇めフロアで大暴れしていたが、ともかく爆音に身を任せ騒げればよい、そういった種類の熱狂はどうにも自分の好みとは合わなかった。とは言え、それこそがトレンドなのだろうし、間違っているのは時代からズレ始めた僕の方だろう。正直に告白すれば僕は STARWAGON の持つ不器用ながら凛とした趣きが好きだった。湧井さんのどこか不安定なヴォーカルを支える、今や PENPALS となった3人と初めて出会った頃の姿が一番好きだった。でも、だからって? 彼らはどうすればいいと言うのだ。時もバンドも同じままでは止まれない。彼らだけではない。僕らも昔の方が良かった、純粋だったと言われることも多い。同じことじゃないか。ライヴ終了後、楽屋に挨拶に行くとドラムの欽也さん、ギターの盛也さん、双子の上条兄弟がタオルで汗を拭きながらいつものように優しく迎えてくれた。5年前、石神井公園の自分で焼く焼き鳥屋『スマイリー城』でふたりと話し込んだ時と同じ微笑みがそこにあった。林君の姿は見つからなかった。

 下北沢時代、つまり1995年はほぼ毎回ライヴを追いかけていた PEALOUT だったが、ここ数年はスペースシャワーTVなどの番組や企画で一緒になるタイミングでしか生のステージを観ていなかった。浩司君は「今回、この三つのライヴで色々一区切りなのよ。実は俺たちさ、バンドで揉めたし話し合ったんだけどね。近藤君は日本語でやりたい、岡崎君は英語のままでって。岡崎君は日本語にするなら辞めるって本気で言ったしね」

「そうなんですか? 岡崎さん、PEALOUT が人生最後のバンドだって言ってましたよ。『もし PEALOUT の誰かが脱退するとか、解散するってなった時には俺、ギターごと捨てて音楽辞めようと思ってる』って」

「それもちろん俺も知ってるから。驚いたんだけどさ。それだけ俺たち真剣なのよ。ま、でもともかく3人でやれるまでやってみようって感じかな」

 初めて下北沢 CLUB Que を訪れた 1995年4月22日の夜。イベント終了後に地下からの階段を登って帰ろうとした僕にベース、ヴォーカルの近藤智洋さんが直接手渡ししてくれた4曲入りカセットテープ『I’M GONNA WHISPER TO YOUR LIGHT』。何度も何度も繰り返し聴いた。あの日から5年以上の歳月を経た20世紀最後の大晦日のセットリストに、僕が彼らに夢中になった日々の象徴的存在、初期のシングル〈レット・ミー・シンク・イン・ザ・ディープ・レディッシュ・スカイ〉を選んでくれたことが嬉しかった。そして、浩司君によって宣言されていたビートルズのカバーの素晴らしさたるや……。3人で演奏された〈アイ・アム・ザ・ウォルラス〉のみならず、女性鍵盤奏者をゲストに迎えた《アビイ・ロード》B面のメドレー〈ゴールデン・スランバーズ〉〈キャリー・ザット・ウェイト〉〈ジ・エンド〉のカバー選曲は意外かつ圧巻。浩司君が全身全霊で叩きまくる〈ジ・エンド〉のドラム・ソロからは、バンドに賭けるほとばしる想いが溢れ、まるでステージに置かれた噴水から水滴が飛び散ってくるようだった。

 深夜。すでに気分良く酔っ払った竹原君と阿楠と僕は、明治神宮に初詣に行こうと渋谷の街を歩き始めた。僕らは同じように陽気に騒ぐ若者達で混雑したセンター街を抜け、井の頭通りの坂道を上り黄色い看板が目印のタワーレコード渋谷店のビルの前にたどり着く。この時、仰天したのがタワーレコード渋谷店のビルが、2000年4月リリースのデビュー曲〈LADY MADONNA ~憂鬱なるスパイダー~〉以来、次々とクオリティの高いシングルをヒットさせ勢いに乗る LOVE PSYCHEDELICO のデビュー・アルバム《THE GREATEST HITS》の印象的なイラストで大々的に包まれていたことだ。まるでバルセロナのサグラダ・ファミリアやギリシャの大神殿のように……。渋谷の中心に聳え立つ、世界の音楽文化の象徴のようなビルが一つの新人バンドの作品で完全に彩られている。シングル群の快進撃から、2001年1月11日に発売される彼らのアルバムが猛プッシュされるであろうことは予測がついたが、これほどまでとは思っていなかった。楽曲も歌もアレンジも素晴らしいのだから売れるのは当然とも思えるが、何より羨ましかったのは彼らが通常の日本の音楽業界で築き上げられてきたルール、メソッドとは違う新しくピュアな方法で成功を手にしようとしていたことだ。まるでデモテープのようなザラついた質感とシンプルなリズム。ビートルズとシェリル・クロウが共存してモダンに再構築され、日本語詞と英詞を自由奔放に織り交ぜた言語感覚。軸足はマニアックでありながら大衆にも届く絶妙なバランスでまとめ上げられている。

 通り過ぎるタイミングで、立ち止まる人などいるはずもない閉店したタワーレコード渋谷店の前で二人の男女が記念写真を撮っていることに気がついた。驚いたのは、その男女がまさしくメディアで知ったそのままの LOVE PSYCHEDELICO の二人だったことだ。あ!と思った瞬間、ギターの NAOKI 君と言い逃れできないほど完全に目が合ってしまった。僕は勇気を出して「すみませんー、LOVE PSYCHEDELICO の方ですよね」と挨拶することに。すると、彼は「あー、NONA REEVES の方ですよね? 僕、すごい好きなんですよ」と優しいムードで答えてくれた。

「僕のこと知ってくれてるんですね、ゴータです、嬉しいです」

「もちろんですよ、NAOKI です。多分同い年なんですよ、俺たち、73年生まれ」

「うわー、そうなんですねー。同い年。それにしてもびっくりしましたよ、これすごいですね、ビルごとプッシュされてるじゃないですか」

「いや、僕らもここまでと思ってなくて。嬉しくて。スタッフと今から集まって飲もうかって、こんなとこ見られてちょっと恥ずかしいな、ふふ」

「ヴォーカルの KUMI です。はじめまして」

「はじめまして。21世紀になろうとするこんなタイミング、この場所で会えたなんて、何か縁がありますね」

 僕は言った。この瞬間、2001年1月1日に日付がちょうど変わり、年が明けた。

「ゴータ君、明けましておめでとう」

 時計を見て、NAOKI 君が言った。

「NAOKI 君、KUMI ちゃん、明けましておめでとう。また絶対、会いましょうね」

 僕は笑って、明治神宮の方向へ足をむけ二人に手を振る。

「またねー」

 NAOKI 君が言った。この後リリースされた彼らのアルバム《THE GREATEST HITS》は、160万枚以上のセールスを記録している。

 こうして僕の20世紀最後の夜は終わった。変わったものと変わらないもの、手に入れたものと失ったもの……。湧井さんから告げられた別れの言葉を胸の奥で何度も反芻したが、結局答えは出ない。前に歩く者を追い抜かし、後ろから追い越されたように思えてもすべては一時的なことだ。誰もが自分以外の誰かにはなれないのだから。これからも僕はバンドとともに自分の道をひたすらに歩いてゆくしかない。

  「ナインティーズ」は完全なる過去となった。でも、まだまだ長い夢の旅路の途中じゃないか。馬鹿みたいに、そう信じた。時代の変化はほのかなる逆風の香りがしたが、諦める気はさらさらなかった。

(終)

★今回の一曲――LOVE PSYCHEDELICO - Last Smile(2000)

■西寺郷太(にしでら・ごうた) 
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。
以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家としても少年隊、SMAP、V6、YUKI、鈴木雅之、岡村靖幸、私立恵比寿中学などの多くの作品、アーティストに携わる。
日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。マイケル・ジャクソン、プリンスなどの公式ライナーノーツを手がける他、執筆した書籍の数々はベストセラーに。代表作に小説『噂のメロディー・メイカー』(扶桑社)、『プリンス論』(新潮新書)、『伝わるノートマジック』(スモール出版)など。
現在 Amazon Music Podcast「西寺郷太の最高!ファンクラブ」でホストを務める。

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