小説 「観月 KANGETSU」#14 麻生幾
第14話
“オニマサ”(3)
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「すみません」
涼は頭を下げた。
「そん、すまん、も止めろ。謝るくらいなら始めからするな」
叱られた涼は思い出さざるを得なかった。
正木警部補の存在を知らされたのは、2年前、別府中央署の刑事課に人事配置された直後に、指導係として就いてくれた先輩刑事からだった。
「コロシ(殺人事件)があったら、本部からん専従班と組まさるることになるが、一人だけ気ぃつきぃ」
先輩刑事が言った。
「一人?」
涼は怪訝な表情で見つめた。
「ああ。そいつはな、“犯人憎んじ憎み尽くす”ちゅう口癖を持ち、凄まじいまでん執念じ犯人を追及するそん姿から、鬼の正木、略しち“オニマサ”と呼ばれちょん」
「オニマサ……」
その、おどろおどろしい名に、涼は言葉が継げなかった。
「しかも、そん“オニマサ”ん名は、大分県警だけじゃなく、遥か東京ん警視庁でも鳴り響いちょんほどや──」
先輩刑事のそんな話は今でも鮮明に思い出す。
そして、今日、被害者に最も近い関係者を担当する鑑取1班として指名されて“オニマサ”と組まされることになった涼は、起立して捜査本部の面々に挨拶した時により緊張の余り、胃が締め付けられて激しい痛みさえ感じることとなった。
正木の携帯電話が鳴った。
捜査本部の隅に歩いて応答していた正木が戻って来ると、明らかに表情が一変していることが涼には分かった。
「妙なことが分かった。今日、捜査本部立ち上げと同時に知り合いの弁護士に頼んじ手配しちょったんだが、熊坂洋平ん戸籍はともかく、住民票が杵築市にねえ──」
「住民票が!?」
「妻の良子が世帯主としち一人分住民票があるだけや」
正木は大きく息を吐き出してから続けた。
「コイツは23年前に東京から大分にやっちきち、杵築市の市街地のメイン通りに、パン屋ぅ開業しちょん」
そう言った正木が眉間に皺を刻んで続けた。
「しかし、今日の初動捜査でん聞き込みで分かったこたあ、何ん縁(ゆかり)も人脈もねえ杵築に突然、現れてん感じやった」
「確かに……」
初動の地取(じどり)捜査に参加していた涼も同じような印象を受けていた。
「ただ、オレたちが何かぅ見落としちょん、もしゅうは視線内に入っちょらんもんがある、そん可能性は常に突き詰めなならん」
正木が厳しい口調で言った。
「自分、これから、年金事務所に行っちきます。熊坂洋平ん過去ぅ調べちみます」
涼が弾んだ声で言った。
「腰が軽い。いいことや」
正木が満足そうに大きく頷いた。
「ちょっと自分も、雑談、よろしいでしょうか?」
涼が緊張しながら訊いた。
正木は、関心もなさそうに頷いた。
「熊坂洋平は、なぜ何も喋らないんでしょう? 調べん最中の雑談では、『自分のせいだ』ち訳ん分からん言いよんだけじ……」
「その堅い口を開かせる材料を、明日、絶対に見つくる。分かったな?」
「見つけます!」
涼が語気強く言った。
「もうひとつよろしいでしょうか?」
涼は恐る恐る聞いてみた。
正木は面倒くさそうに顎をしゃくった。
「熊坂がもし犯人ならば、なし、自分がやった、ち言わず、『自分のせいだ』ちゅう不可思議な言葉ぅ口にしているんでしょうか?」
涼が言った。
「人間、人それぞれに、自分の言葉、ちゅうん持っちょん。やけんもう自供したんも同然なんや。つまり、熊坂洋平が口を開かん理由は、殺した、ちゅう事実じゃねえで、なし妻ぅ殺したんか、そん動機に理由がある。オレはそう見立てちょん」
正木は自分でも納得するように大きく頷いた。
「では、その動機を見つければ──」
涼が目を輝かせた。
正木が再び頷いて言った。
「奴は落ちる」
(続く)
★第15話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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