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蓋棺録<他界した偉大な人々>

偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム。

★橋田壽賀子

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脚本家の橋田壽賀子(はしだすがこ)(本名・岩崎壽賀子)は家族の情念を生き生きと描き出した。

1983(昭和58)年4月、『おしん』がNHKテレビでスタートする。20歳の時に山形県を旅行した際の見聞を温めてきたテーマで、民放に持ち込んだときには「暗い」と言われ採用されなかった。予想外の反響で「私自身がとまどうほどだった」。

25(大正14)年、現在の韓国・ソウルで生まれる。父は鉱山経営者。堺高等女学校(現・泉陽高校)に入学する。卒業間近、親に内緒で日本女子大を受けて合格したが、爆撃が激しくなり授業が中止されてしまう。

父親がコネで押し込んだ大阪の海軍経理部で終戦を迎え、再び上京して女子大を卒業する。しかし両親が結婚させようとするので早稲田大学に編入学した。仕送りのない中で演劇に夢中になって、松竹脚本部の試験を受け、女性として初めて合格する。

それから10年間、同脚本部に所属したが、手伝いをさせられても自分の作品は発表できなかった。すでに少女雑誌に小説を連載していたので、異動を命じられたとき独立を決心する。脚本をテレビ局に何度も持ち込んで、初めて採用されたのが、61年の『クーデター女房』だった。

64年にTBSの「東芝日曜劇場」の脚本を書くようになり、売れっ子プロデューサーの石井ふく子と出会う。石井は「こんな言葉、普通に使う?」と遠慮なくダメ出しするので反発したが、『愛と死を見つめて』が大ヒットして名コンビが確立していく。

同年にTBSの『ただいま11人』の脚本を書いているうち、映画部兼企画部副部長の岩崎嘉一が気になり始め、石井に「脚本が書けなくなるほど」と告白する。石井が呆れながら岩崎に打診してみると「僕はいいですよ」というので話は急速に進んだ。

橋田が4歳上だったが、36歳同士と発表して結婚する。岩崎は自分の前で原稿を書かれるのを嫌ったので、彼が出かけている間にテーブルで執筆した。『となりの芝生』『おんな太閤記』『おしん』などはこうして生まれた。

岩崎は退職して橋田のマネジメントを始めたが、89年に肺癌で急逝してしまう。株券を大量に残し、売却すると2億8000万円にもなった。財団の設立を思い立ったが資金が足りない。そこで石井がTBSを説得、始まったのが90(平成2)年からの『渡る世間は鬼ばかり』だった。このドラマは29年続いた。

晩年は夫と過ごした熱海の邸宅で暮らした。「1階にいると夫が2階にいる気がして、2階にいると1階にいる気がする」。2016年、小誌に「私は安楽死で逝きたい」を発表し、議論を巻き起こしている。

(4月4日没、急性リンパ種、95歳)

★田中邦衛

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俳優の田中邦衛(たなかくにえ)は、人間の悲しさとともに、かけがえのない人生の輝きを演じて、人々を深い感動に誘った。

1981(昭和56)年に始まったテレビドラマ『北の国から』は、妻に逃げられた男が、幼い2人の子供とともに北海道の原野で暮らす物語だった。最初は1年の予定で始まったが、スペシャルのかたちで続き、21年間、ファンに愛された。

32年、岐阜県の美濃焼窯元の家の次男に生まれる。旧制中学では勉強に身が入らず、父親が千葉県にある全寮制の廣池学園に入れた。田中は同学園の麗澤短大を卒業するが、「とても勤め人にはなれそうにないと思った」。

そこで高校時代から続けてきた演劇に進もうと考え、友人の勧めで俳優座養成所を2回受けて2回とも落とされる。故郷で中学の代用教員になるが、「英語の単語を黒板に書くと、生徒から『先生、Sが抜けてます』といわれる始末でした」。最後の挑戦でもういちど養成所を受けたところ「3回受けるのも才能と言われて合格した」という。

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