倉本聰 老人よ、電気を消して「貧幸」に戻ろう! 浪費とはおさらば。子孫のため地球を洗い直す
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倉本聰 老人よ、電気を消して「貧幸」に戻ろう! 浪費とはおさらば。子孫のため地球を洗い直す

文藝春秋digital
文・倉本聰(脚本家)

2012秋撮影

倉本さん

「老人諸氏に一つの提案がある」

目前に迫った環境危機に対し、日本の危機意識はどうかしている。世界各国が目を醒まし始めたのに、この極東の、何の資源もない島国だけが、他人事のように平和呆けして豊饒の中でのんびり眠っている。

世界の人々の目を醒まさせたのは、当時18歳のスウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさんという若い活動家である。そして日本でも漸く若者たちが危機感をもって声を上げ始めた。だが肝腎の日本政府は若者たちの声に耳を貸そうとしない。我々の乗っている地球の危機がすぐ目前に迫っているというのに、今日の経済、明日の景気ばかり考えて目の見えなくなっているこの国の「大人」は一向眠りから醒める気配がない。果してこんなことで良いのだろうか。

老人諸氏に一つの提案がある。

眠り呆けている壮年は放っといて、朝早くから目の醒めてしまう老人たちへの提案である。若者たちに応えてやろうではないか。声を上げ始めた若者たちに、賛意の旗を振ってやろうではないか。一緒に声を上げようではないか!

実際問題我々老人には、こゝ何十年地球を痛めつけ、こゝまでの環境危機を招いてしまったその犯人たる責任がある。古いアメリカの先住民の言葉に「地球は子孫から借りているもの」というものがあるが、我々老人はその大切な借り物を、汚し、傷つけ、めちゃくちゃにしてしまった。それをそのまゝ子孫に渡すことは大いなる恥だと考えねばいけない。我々には贖罪する義務がある。それを老後の、最後の我々の仕事にしないか。

NASAが宇宙衛星から撮った夜の地球の写真がある。この写真を見ると愕然とする。地球の陸地の大部分は暗黒だが、わずかに都市部だけが光り輝いている。北朝鮮は全き闇である。それに対して日本列島。恥ずかしい程の光の洪水である。列島全てが輝いてしまっている。

僕は現在87歳。77年前、生きて暮していた敗戦直後の日本列島は、宇宙から見たなら恐らく今の北朝鮮と同じ漆黒の闇に包まれていたにちがいない。60年前、1960年前後はどうだったか。まだまだ光量は少なかっただろう。50年前、1970年代。今程の光はなかったにちがいない。

50年前あなたはいくつだったか。20代だったか、30代だったか。少なくともあなたはその時代を生き、その時代の光量が当り前だった筈だ。その光量の中であなたは恋をし、家庭を持ち、倖せの中で自立して行った筈だ。

その時代に帰るのはいやですか?

耐えられないと思いますか?

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宇宙から見た日本の夜景

カーボンニュートラルだ、グレートリセットだ。今識者たちの考える環境対策への思考の方角は、いかに新しい技術をもって新しいエネルギーを生み出すか、その方向へのみ向けられている気がしてならない。使うエネルギーを減らす方法を、誰か真剣に模索しているのだろうか。

人類は全ての動物と同じく、元々自分の体内のエネルギーだけで生きてきた。脳が肥大化してサボルことをおぼえた。自分の体内のエネルギー消費をおさえること。その為に家畜を使い奴隷を使い、産業革命以来それが化石燃料に替った。5メートル歩けばテレビのボタンを押せるのに5メートル歩くエネルギーを節約しようとリモコンというものを発明した。そうしたサボリのことを「便利」と呼んだ。そして今筋肉を使わなくなり、それを補う為に何の生産性もなく重いものを上げたり下げたり、或いは何処にも行きつかない自転車のペダルを真剣な顔で漕いだりしている。

人がサボルことは代替エネルギーを使うことだ。そしてその小さな代替エネルギーの蓄積が地球の環境をおかしくしている。チリもつもれば山となるという言葉があるが、我々は連日そのチリを、罪悪感なくつもらせている。待機電力、スマホ、テレビ、車、コンビニ、ウォシュレット、ネオン。麻痺し習慣化したそれらのチリの存在を、我々は今点検し直す必要がある。点検し、洗い直し、それらを取り除く作業が必要である。

そこで老人の出番を考える。

老人の世代は若者世代とちがい、そうしたチリがなかった時代を経験している。勿論1度手にした便利なものを捨てるというのは至難の業だろう。だが今それをしなければ、我々の乗る船は沈没してしまうか破壊してしまうかもはや手おくれの瀬戸際に来ているのだ。今手を染めなければ人類は潰滅する。だから夫々それぞれに手を染めようではないか。地球が子孫からの借り物である以上、その借り物を傷のない形に、可能な限り原型に近い美しい形に洗い磨いて若い世代に渡そうではないか。

云うは易しで行うは難しだと現行世代は云うにちがいない。そんなことはない。そんなことは決してない。

小さな常態という今のチリを排除し、少し時代を戻せば良いのだ。チリの是か否を検証し直しバック・トゥ・パースト、過去へ戻すのだ。

たとえばおたくではいくつの電灯を毎日何時間つけているだろう。

たとえばあなたの御家族は、何台のスマホを何時間使っているだろう。どの位テレビを見ているだろう。テレビの待機電力はどの位の時間浪費されているだろう。大体テレビはこんなに多くのチャンネルが何故24時間放送を続けているのだろう。

盛り場のネオンは何故あそこまで光り輝かねばならないのだろう。

お偉いさんはどうして公共交通機関を使わず自家用車にふんぞり返るのだろう。

夜は本来闇の筈なのに日本の夜はどうしてこんなに明るいのだろう。

明るさというのはサービスなのだろうか。

スピードというのはサービスなのだろうか。

そのサービスは人が生きる上で必要不可欠のものなのだろうか。

考え始めるときりがない。今の社会は不要不急の他愛もないことが経済を動かし景気をあおり温暖化ガスを排出して地球を危険にさらそうとしている。政治は温暖化を防ごうとして科学技術を使おうと必死だが、肝腎かなめの我々の行動、次々に発明される新しいツールが不要不急な便利さを生み、それが環境に果たして負荷をかけていないかを、チェックもしないし取締ろうともしない。そのことを今我々老人が、自責をこめてチェックすること。チェックしそれを行動で示すこと。それが我々老人世代の、なすべき老後の仕事ではないかと僕は真剣に考えている。

くり返すが我々老人世代は環境危機に責任がある。同時に我々は質素だった昔を経験して来た世代でもある。

今若者が上げ始めた声に、我々老人は応じるべき義務と責任がある。

チェック

とりあえず先ず身近なものからチェックしてみよう。それには「今昔ノート」というものをお作りになることをおすすめする。

小さな日常の習慣について、今我々がどうやっているか、それを昔はどうやっていたか。その対比を1つずつノートに、自分で直接書き出し、それを一つずつ考えるという作業だ。

書き出す、という作業は不思議な作業で、頭の中で考えているよりずっと整理がつき、しかも色々思い出すことが出来る。まずこの作業から着手してみよう。

ニュース

ニュースを今あなたは、どういう手段で手に入れているだろうか。僕の場合は主にテレビである。それも、起きた事象だけを知らせてくれる、余計な解説のつかないものが良い。解説がつくとその解説者の色がつき、そいつが左翼か右翼か、そいつが若いか老けてるか、そいつが大学出か小学校出か、そいつが金持ちか貧乏人かなどで夫々のカラーがうっすらと塗られてそれに影響・洗脳されてしまうからである。それよりドスンと事実だけをつきつけられ、それへの判断は自分で出した方が良い。今のようにテレビが何チャンネルもあると夫々の報道は微妙に色がついている。太平洋戦爭の時の、報道が軍事色一色に彩色されてしまった時の国民の悲劇を考えてみるといゝ。

ところで皆さんはこのテレビ全盛の時代にまだ新聞は新聞でちゃんと取っている。毎朝新聞をきちんと読んでいる。そういう愚挙をなさってはいまいか。

テレビのニュースと新聞のニュース。

つきつめれば同じ内容である。

テレビでは巨人が優勝したが新聞報道では阪神が優勝。そういうことは絶対起こらない。にも拘らず、三十何頁、広告だらけの新聞というものを多くの世帯がまだ取っているのは、単に朝の慣習である。朝毎読それに日経と御丁寧に4紙もお取りになっている方は、永年しみついた朝の行事から脱出できない不幸な方である。第一購読料がもったいない。

ケイタイ電話をお持ちのくせに、固定電話を手離せないでいる。その愚挙に似ている。

お止めになることをおすすめする。

テレビ

テレビが現われて凡そ70年。

おたくのテレビは何回買い換えたか。

ブラウン管型の白黒から始まってカラーテレビ、待機電力付き、薄型、大型、ハイビジョン、2K、4K。

録画機能に関してだって、ベータ、VHS、DVD、ブルーレイ。国が規格にまで関わっているらしいがその度に我々は買い換えを余儀なくされ、今までの旧型を捨てなくちゃならない。その都度儲けるのは家電メーカー。これが経済戦略だというならワリを喰っているのは我々国民。「水戸黄門」の中身は変ってない。

しかも不要になった旧型の機械はどの位地球のゴミになり、その処理費用とエネルギーに、一体いくらかゝったか。それは大体誰が出しているのか。その答えはどこにも発表されない。

暖冷房

昔から地球には四季があり、夏は暑くて冬は寒かった。それを我々は様々な智恵で何とかのり切った。

夏の暑さには打ち水、すだれ。虫の襲来には蚊とり線香、或いは蚊帳。

冬の寒さには薪、炭、たどん。或いは厚着、重ね着、かいまき、こたつ、かいろ。

何よりそれに耐える肉体。がまん。

それがどうしようもなくなってしまったのは、クーラーなるものが出現し、家の中だけを涼しくする為に外に熱気を放出し出してからだ。金持ちの家が涼しくなるとその邸の表には熱気が充満する。ビルの内側を涼しくすると周囲の街はどんどん熱くなる。我も我もと涼気を求める為に、ふと気がつけば地球高温化。温暖化などという生ぬるい言葉でごまかせないぐらい、地球は高熱の星になってしまった。

温暖というのは広辞苑によれば「気温がほどよくあたたかで、過ごしやすい気候であること」とある。Global warming というこの横文字を「地球温暖化」と翻訳したのは、いきなりあんまり刺激的にならぬようにというどこかその筋の指示だったのか、或いは政府の深い陰謀か。

こうなった以上我々老人はふんどし姿に立ち戻り、水風呂に入るか、うちわであおぐか、熱中症で死んだらそれはこゝまで我々を弱くした政府の責任。とにかくやせ我慢でのり切ろう。

あかり

宇宙衛星から撮った夜の地球の眩しさについては前に述べた。今度は時代をぐんと戻して太平洋戦爭のころの夜の日本の姿を思い出してみよう。80歳から上の人には、はっきり記憶がある筈だ。

灯火管制。

然り、あの時代の日本列島には、空襲に飛来するB29から見えないように、家の灯を最小限に抑えるように、どうしても必要な茶の間の灯には黒い布切れをかぶせて覆い、光を外へ洩らしてはならぬという、おかみからの厳しいお達しがあった。僕らはその仄かな光の中で一家つゝましく身を寄せ合って、めしを喰ったり歌をうたったり、それはそれで結構倖せを感じていた。暗がりの中ではおふくろや姉さん、それにしわだらけのお婆さんの顔までもが、白く輝いてきれいに見えた。

蛍の光窓の雪。

乏しい光量はあらゆるものを何とも美しく幻想的に見せる。

何年か前から僕はしばしば、ローソクの灯だけで風呂に入る。するとかすかなローソクの炎がお湯の表面に妖しく反射し、えもいえぬ美しい情景へと変る。哀れに老けた己れの身体さえもが何となくなまめかしい光彩を放つのだ。

光は闇と影を伴ってこそ、真の美しさを発揮する。僕らはあの頃の経験に倣って灯火管制の日を創ればいゝのじゃないか。

しんと靜まった表参道に、ポツンポツンとローソクの灯。後は只闇。

僕らが葬った幾多の戦爭犠牲者や、復興の為に尽くしてくれた先人達の魂を靜める為にも、そういう日があってもおかしくないと思う。

掃除

通販が毎日かまびすしく、新型の掃除機に買い換えろと、テレビの中で叫んでいる。古い掃除機は下取りするから、と。

掃除はいつから電力に頼ってなされるものと決ったのだろう。

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