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キャリア志向の女性が抱える「内なるマギー」|北村紗衣さん(武蔵大学准教授)

日本の大学の最高峰「東京大学」に初めて女子が入学したのは1946年のこと。時代と共に歩んできた「東大卒の女性たち」の生き様に迫ります。第7回は、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授で、シェイクスピア・舞台芸術史・フェミニズム批評が専門の北村紗衣さん(2006年、教養学部卒業)です。

日頃からツイッターで積極的に発信している北村さんが、呉座勇一・国際日本文化研究センター(日文研)助教から誹謗中傷を受け、メディアで大々的に報じられたこと、「東大男子問題」への受け止めについてもお話を伺いました。/聞き手・秋山千佳(ジャーナリスト)


(※この記事の取材日は、前半が2月26日、後半が3月27日です)

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北村紗衣さん

◆ ◆ ◆

――北村さんのご著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』に、「内なるマギー」という言葉があります。マギーとは、英国史上初の女性首相となった“鉄の女”ことマーガレット・サッチャー。彼女のように「女性も男社会に同化して成功せねばならない」という観念を内面化していることを「内なるマギー」と呼んでいるのですね。

北村 私が勝手に名付けただけですが、東大に限らず、キャリアを志向している女性で「内なるマギー」を抱えているだろうなという人は私以外にも見かけますね。

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北村さんの著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(2019年、書肆侃侃房)

――この連載でも、東大出身でそういう葛藤を語ってくれた方がいました。北村さんの東大時代のご友人はいかがですか。

北村 そもそも友達があまりいないです(笑)。私、まったく社会性がなく、大学ではひたすら本を読んで過ごしていたので。でも東大出身の女性だと、友達が全然いない私のようなタイプの方が生きやすいと思います。友達がいないと、他人と自分を比べなくて済む。あの子より私の方が出世していないと悩まずに済むんですよね。

――出世だけでなく、婚活で周囲のようにうまくいかない自分に苦しんだ東大卒の女性もいました。

北村 婚活しようと思ったこともないので自分の体験では語ることができないですが、女性だと、作家のヴァージニア・ウルフが言うところの「家庭の天使」がいる人はまだたくさんいると思います。「家庭の天使」は、女性にのしかかってくる社会的抑圧を擬人化した呼び方です。「できるだけ優しく、お世辞を使って男性を称賛し、自分に脳みそがあるなどということは悟られないようにしなさい」というようなことを女性に囁いてくる。この「家庭の天使」と、先ほどの「内なるマギー」を両方抱え込んでしまうと非常に辛いだろうと思います。

――北村さんには「家庭の天使」は入り込まなかったのですか。

北村 「家庭の天使」は高校生くらいの頃からその概念を知っていて、大人になる時にこういうことに気をつけた方がいいと漠然と考えていたからかなという気がします。自覚したのが早かったからこそ、そういうものに染まりたくないなと気をつけてきました。

――そんな北村さんにも「内なるマギー」は入り込んだと。

北村 はい、いくら社会性がなくても「内なるマギー」はいます。こういう抑圧というのは、人が育つ過程で知らないうちに入ってきて、いつの間にか蓄積されています。

――「内なるマギー」への警戒心は大人になるまでなかったということですか。

北村 そうです。私が自覚したのは就職した2014年頃で、学会発表の練習をしていた時に、連れ合いから「なんでマーガレット・サッチャーみたいな英語の話し方をするの」と言われたことがきっかけです。私はマギーの政策は嫌いですけれども、彼女の生き方を否定しきれないところがあった。そのことを考えているうちに、「そうだ、私の中にもマギーがいるんだ」と思い至りました。企業などで活躍する女性の伝記が好きだったのでその手の本から入ってきていた部分もあれば、大学生活の影響ももちろんあるし、社会全体の雰囲気もあると思います。「内なるマギー」と名付けたことで、警戒できるようになったので良かったです。

――そのきっかけになったお連れ合いは、大学時代からのお付き合いですか。

北村 大学院の時に知り合いました。私より9歳上で、英語部会でTA(ティーチングアシスタント)をしていました。

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北村さんの専門のひとつはシェイクスピア。「シェイクスピアの受容、とりわけ初期のシェイクスピアの批評研究というと男性の専売特許と見なされてきた」(著書『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』より、2018年、白水社)

――研究者同士なのですね。お二人の間で、東大という組織がマッチョだよねというような話が出ることはありますか。

北村 連れ合いの方が言いますね。よく話題になるのは、東大の先生の労働環境が悪いということです。私生活がないものとして働かされている。家庭生活や子どもはないものとして、教育と研究がすべてみたいなところがマッチョなカルチャーだと感じます。そういう先生に教わる東大の学生も、このカルチャーを身につけてしまうところがあるとも思いますね。

――なるほど。他大学に比べて東大が顕著なのでしょうか。

北村 そうですね。国立大学は私立より労働環境の悪化が急激で、元々あったマッチョなカルチャーが労働環境の悪化と相まって深刻化している印象です。東大は国立大の中でも改革を真っ先にやることが求められるので、私が大学院生の頃から、先生方がやらなくて良さそうな仕事に追われてやたらと忙しそうではありました。

――家庭を犠牲にするような風潮は男女問わずでしょうか。

北村 私の見た限りでは、特に若い女性の先生が使われていました。男性でも優しそうな先生はそうですが、皆がやりたがらない仕事をやらされているように見えました。

――立場が弱い人に押し付けている?

北村 ということだと思います。あと、優しそうで押し付けられると断れない人。きっぱり断ると嫌な人だと思われてしまいそうでついつい引き受けてしまう……みたいな背景もあるのかなと。

――北村さん自身はどうでしたか。

北村 私はやりたくないことはどんどん断っていました。一度、指導教員じゃない男性の先生から「北村さんは遠慮がない人だから今後も大丈夫だ、安心して外に出せる」というようなことを言われたことがあります。

――あえて言語化するということは、大丈夫じゃない女性もいるということですよね。

北村 そうですね。

――学生の方に目を向けると、「東大女子」という呼称を連載でずっと聞いてきました。なぜ東大生の中で女子学生だけを別枠にくくる文化が根づいているんでしょう。

北村 女子が入学できるようになったのが戦後で、元が男子カルチャーだったのと、女子の数が未だに少ないというのがあるのかなと思います。「東大女子」があるからには「東大男子」もあっていいはずですけど、今までなかったのは、東大において男性はいるのは当たり前の、デフォルト人類だったからだと思います。

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――東大男子は東大女子を、女性というカテゴリーの中でも別枠に追いやるところがありますよね。東大女子は入れないサークルがあったり、飲み会で他大の女子学生とは違う値段設定だったりして。

北村 うーん……私のいた文Ⅲ(文科三類。主に文学部や教育学部、教養学部に進む)ではそういうカルチャーがあるかわからないです。文Ⅲは進振り(進学振り分け)がすごく厳しくて、サークルでひたすらお酒ばかり飲んだりしていると落第してしまうので、一生懸命勉強しないといけない。私の友達で希望の進学先がはっきりしている人はかなりみんなこつこつ勉強していました。サークルや飲み会のことは、割と勉強がきつくない学部のカルチャーじゃないかとも思います。

――学部によってもカラーが違うということですか。

北村 そうですね。文Ⅲにも遊ぶ人はいるでしょうけど、少なくとも希望の学部に進学したい人は勉強しないと厳しいので。

――文Ⅲにそういうカルチャーがないとしたら、女性が多いからかと思っていました。

北村 それもあるとは思います。私は選択外国語がフランス語で、クラスの半分近くが女性でした。取っていた授業も芸術系ばかりで、やはり女の子が半分近いことが多かった。女性が半数くらいいる環境では、露骨なセクハラはなかったと思います。

――2016年には東大生がサークルの飲み会で、他大の女子学生に強制わいせつや暴行を働いて逮捕されました。大々的に報じられて、小説にもなりました。男子たちは競争社会を勝ち抜いて東大生になり、他大の女の子に乱暴を働いても許される立場だという万能感を持っていた、いわば東大生だから起こった事件のような捉えられ方でしたが。

北村 そうですね。ただ、中高一貫の名門男子校から来た人と、地方公立進学校から来た人でも、相当カルチャーが違うんです。私が東大で数少ない友達だった人は後者が多かったです。

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――北海道の公立高校出身の北村さんから見て、同じ立場の人ということですね。

北村 そうです。そうは言っても東大に来る子はミドルクラスが多いとは思いますが。

――男子校出身者と共学出身者と言い換えてもいいのでしょうか。

北村 ああ、そうかもしれないです。

――東大は歴史的に、合格者数で上位を占める高校のほとんどが男子校ですよね。彼らと違いを感じたのはどういうところですか。

北村 名門男子校の人は入学時点でたくさん友達がいることにびっくりしました。私は入学時点で知り合いが3人くらいしかいなかったので。ただ、彼らを見ていて、大学という学問的に恵まれた環境で何かを得ようというハングリー精神はあまり感じなかったです。

――なるほど。私は昔、新聞社にいたのですが、同期に都内の名門中高一貫校から東大法学部に進んだ東大男子がいました。内定式後に彼が「同級生が官僚や法曹の道に進むのに新聞社に就職する僕は負け組だよ」と言っていて、驚いた記憶があります。その発言に表れているように、彼らは学問的にはハングリー精神はなかったとしても、勝ち負けという競争意識は強く持っているように感じるのですが、どうでしょうか。

北村 それはあると思います。私はそういう東大のカルチャーに馴染めなかったので、意図的に関わらないようにしていた気がします。「学問は裏切らない」という考えでやってきたので(笑)。でも、そういう東大男子のカルチャーに馴染もうとして苦しくなる女子はいると思いますし、そうなるのは私と違って社会性の高い人たちでしょうね。

◆ ◆ ◆

上記インタビューの後、呉座勇一・国際日本文化研究センター(日文研)助教が女性蔑視のツイートを繰り返し、なかでも北村さんをツイッター上でたびたび誹謗中傷していた事実が明るみに出た。これを受け、呉座氏が来年の大河ドラマの時代考証担当を3月23日に降板したことで、メディアでも大きく報じられた。「いわゆる『東大男子問題』かな、と感じるところがあります」と語る北村さんから、再び話を聞いた。

――いつ頃から誹謗中傷があったのでしょう。

北村 把握できる限り、数年くらいはやっていたようです。

――呉座氏の謝罪の文面が公開されていますが、「私の偏見は今さら矯正できないかもしれません」と表明しています。これをどう受け止めましたか。

北村 一般的に言って、研究者が自分の意見を変えられないと表明するのは、私はあまりよくないと思います。研究者は、新しい史料が出てきたらそれに応じて自分の考えを改めたり、他の人の分析が自分より説得力があると考えた場合は自分の分析を捨てたりする柔軟性が必要なので。

――呉座氏は北村さんを、ハンドルネームとはいえ「さえぼう」と呼び捨てにしてきましたが、面識はなかったわけですよね。

北村 まったくないです。

――そういうことに関してはどういう印象を受けられましたか。

北村 まったく知らない人が侮蔑的な文脈でそう呼ぶのは、おそらく私を人間でなくすために使っているんだろうと。おもちゃみたいに扱っているということだと思います。明らかに私のことを対等だとは捉えていないようなので。

――おもちゃだと思っている相手がいろいろと発言しているのが面白くないと。

北村 そうですね。

――北村さんに対し「エリートとしての義務を果たそうとしているところを見たことがない」というツイートがありましたよね。「女だから正当に評価されてない!」と権利主張している、とも。具体性なく攻撃している印象ですが、これは何でしょう。

北村 先日お話しした、いわゆる「東大男子問題」かな、と感じるところがあります。呉座さんは都内の中高一貫校から東大に進んでいます。一方、私の方は田舎の高校出身で、私以外にも攻撃対象になった人には私と同郷の北海道人の研究者などがいて、地方出身者に対するねじれたライバル意識みたいなものが強く感じられます。地方から出てきて東大で研究して、東京の大学や大きな国立大学に就職した人はエリートとしての義務を果たしていない、というような話を呉座さんがしていますよね。

――「エリートとしての義務」というのは何のことでしょう。

北村 私にも分からないんですが、呉座さんは東大を卒業してしばらく非常勤講師をして、今は京都の日文研で働いておられますけれども、私のように普段から学生に資料の読み方を教える授業などはしていないと思います。教育職につくことをすごく重視されているのかと思いました。

――なるほど。そこでねじれたコンプレックスが生まれたということでしょうか。前回の取材はこの問題が表面化する前でしたが、北村さんから、東大男子でも名門中高一貫校から来た人と地方公立進学校から来た人でカラーが違いますよ、という指摘をちょうどいただいていました。呉座さんの場合、まさに中高一貫校タイプだと感じる部分が今回あったということですよね。

北村 はい。ただ、私が今まで会ってきた中高一貫校出身の東大男子の皆さんは、地方から来た人に対して優越感がある人はいても、妬んでまではいなかったと思います。

――この問題について「鍵をかけて似た者同士でたまり続けている男子校の部室」などと、男子校という言葉を使ってツイートしていた人も複数いました。第三者でも、男子校のように同質性のある集団で盛り上がっているような印象を受けた人は結構いるのではないかと思います。

北村 そうですね。もちろん男子校出身者が皆そうだというわけではないですけれども、男子校の悪いカルチャーみたいなものに何らかの関係があるのかも、という気はします。

――呉座さんはそれに対して「雑な一般化が来ました」というようにつぶやいています。男子校ということで俺をくくるな、一般化するな、という反発だと思いますが、どうですか。

北村 仮説としては出てきてもいいのではないかと思います。それに正直、ご自分で今までもっと雑な一般化をたくさんされていたわけですよね。

――雑な一般化が、女性、特に北村さんに向けられていた。「女だから正当に評価されてない」と言っていない人に対して、そう言ったかのように中傷しているわけですからね。

北村 そうです。あのツイートを見た友達からは「さえぼうから一番遠いことを言われている気がする」と言われました。私が自分の研究に自信満々なのは明らかに分かる、と(笑)。

――呉座さんの仲間内では、「さえぼうは学歴とか成績とかでマウントを取りたがる癖がある」というツイートもありましたね。

北村 私はツイッターにしても普段の話し方にしてもあまり学者に見えないようで、よく「お前、どこの学校出身だ?」と言われるんです。そんな時は「私、東大出です」「私の業績はこれこれです」と普通に答えるので、それが嫌なんだろうなと思います。

――なるほど。そうやって女性が普通に「東大出です」と言うと反発を招くけれども、呉座さんが「東大出です」と言っても恐らく反発を買わないわけですよね。

北村 そうですね。『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』という映画で好きなセリフがあるんですが、主人公の女性が「私は博士号を持っているのに、皆、私のことをバカだと思ってるんだ」と言うんです。これは私もすごく経験があって、今回もそうですけど、いくら一生懸命勉強して博士号を持っていても、見た目が学者らしくないと皆その女性のことをバカだと思うんですよ。

――彼らから見てバカに見える女性が、実際には東大出で、さらに研究で実績を重ねているというのが許せないからこそ、彼らの頭の中で作り上げた「マウントを取りたがる癖がある」という妄想が独り歩きするわけですね。

北村 おそらくそうですね。

――山口真由さんという東大卒女性が、在学中、東大の他の学生たちから匿名掲示板に揶揄するようなことを書き込まれていたと著書に記しています。また上野千鶴子先生も、東大男子の悪い面として同様の事例を指摘されていたので、今回の件も、ある種の東大男子ノリなのかなとも思ったんですけれども。

北村 匿名掲示板の事情はよく分からないんですけれども、そういう匿名でやるノリみたいなものをそのままツイッターに持ってきてやっているというのは少し感じました。

――研究者として名を成した人間でありながら、鍵をかけていれば問題ないと思っている。

北村 そこもよく分からないです。中世史をやっているなら、どこかから陰謀の情報が洩れるとかそういう資料を毎日のように見ていると思うので、ちょっと謎なんですけれども(笑)。

――そもそも東大の女性は、男性のコンプレックスをくすぐりやすかったり彼らの攻撃対象になりやすかったりするのかなと。

北村 そうですね。東大で勉強している女の人は、東大で勉強している男の人と基本的に同じことをしているだけなんですけれども。なのに、なぜかバカにされるということですね。

――もう一つ、呉座さんのツイートで、日本史の学会に来たらアラサー女性はお姫様だ、というのもありました。これも東大男子がインカレサークルで他大女子をバカ扱いする一方で「姫」と呼んでチヤホヤするといった歪んだ文化を思い起こしました。

北村 これは研究者としてかなり問題があります。この人は30代前後の女性研究者に対して正当な評価を与えていない、論文を読んでフェアに評価してないだろうと疑わせる言い方です。

――論文で評価するのでなく、見た目や若さで「姫」というレッテルを貼ってしまう。

北村 そうですね。

――北村さんにとっては今も二次被害が続いていてお辛いと思いますが、「10年前なら許されたかもしれない女性蔑視が今は許されない」と表面化したのが今回の事件でもあったかと思います。そのあたりはどう評価されますか。

北村 やはり時代の変化はすごく大きいと思います。類似の事件は今までもいろんなところで起こってきて、少しずつ改善があるのだろうと思っています。

■秋山千佳(あきやま・ちか)
1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当 。2013年に退社し、フリージャーナリストに。九州女子短期大学特別客員教授。著書に『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』(KADOKAWA)、『ルポ保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)、『戸籍のない日本人』(双葉新書)。

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