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武田徹の新書時評|没後100年 新しいヴェーバー像

評論家・専修大学教授の武田徹さんが、オススメの新書3冊を紹介します。

表記の違い以外に同名の新書が同時に出版される。それは過去に例があったのだろうか。今、書店には今野元『マックス・ヴェーバー』(岩波新書)と野口雅弘『マックス・ウェーバー』(中公新書)が並ぶ。ヴェーバーが2020年6月14日に没後100年を迎えるタイミングを意識した刊行だったのだろう。

とはいえ書名と発売時期こそ重なったが内容に重複は全くない。今野はその人生を詳らかにすることからヴェーバーがいかにしてヴェーバーになったのかに迫る方法を「伝記論的転回」と呼び、書簡等まで含む精密な資料考証を実施した。

こうしてヴェーバーが生きたドイツでの愛憎を含めた具体的な人間模様を追った今野に対して、野口はジョン・ロックからアーレントまで古今の思想家たちとの影響関係を示すことでヴェーバー思想の輪郭を描き出す。特に日本のヴェーバー研究の検討に紙幅を割く点が印象的で、「はじめに」で大学生必読書として丸山眞男がヴェーバーを紹介していたエピソードに触れ、「マックス・ウェーバーの日本」と題した「終章」で議論を結ぶ。

とはいえ丸山や大塚久雄、川島武宜ら戦後民主主義を牽引した識者たちが近代日本の未熟さを映す鏡の役割をヴェーバーに期待したことに対して「それが妥当な読み方であるかと問われれば、答えに窮する」と野口は書く。確かに頑迷なナショナリストにして国家社会主義者でもあったヴェーバーがナチズムに通じる側面を潜ませていたことは2冊のヴェーバー本が共通して指摘していることだ。

大澤真幸『社会学史』(講談社現代新書)は没後100周年の前に刊行されていた通史だが、丸山や大塚より3回り以上若い理論派社会学者もヴェーバー論に力を入れている。大澤が注目するのはヴェーバーがうつ病に苦しんだという事実だ。その代表作のひとつ『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は呪術の呪縛を脱して近代資本主義社会化が進む経緯を説明するが、それは「予定説」というカルヴァン派の信仰の中でこそ実現した変容でもあった。こうして脱魔術化と再魔術化を同時進行させた近代の根本的な矛盾がヴェーバーを苦しめたというのが大澤の見立てだ。

理論家の大胆な見解が没後100周年を迎えて出揃う専門家の手堅い実証研究と響き合い、ヴェーバー像を刷新してゆく。かつてのようにヨーロッパ近代の理想を体現した教師役とは考えられなくなったが、近代化の矛盾を共有して悩む“同志”としてヴェーバーは今後も日本で読み続けられてゆくのだろう。

(2020年8月号掲載)

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