
小説 「観月 KANGETSU」#5 麻生幾
第5話
チョコレート箱(5)
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「お父さんが亡くなっち、確か、23年前ちゃね」
「8歳ん時ちゃ」
七海が涼の言葉を継いだ。
「病気じ亡くなったと言うちょったが、お父さんの記憶はあるんか?」
「私はまだ8歳だったけん、よう覚えちょらんの……。それに、父はいつも忙しゅうしちょったけん、あんまり家にはおらんやった……」
「そうな……」
「ただ、覚えちょんのは、夜、玄関から、ほんの些細な音が聞こえただけじ、お父さんが帰っちきた、と私はすぐに玄関へ飛んじ行った……なんべんも、そげなこつがあった……」
七海は遠い目をしてそう言った。
涼は、言葉を返せないまま、しばらく黙り込んだ。
「前から聞こうち思っちょったんけど――」
重い空気を振り払おうとして涼が話題を変えた。
「お父さん、昔、公務員やったち言いよったね? どこん役所か?」
しばらくの沈黙の後、七海は口を開いた。
「県庁の関連団体の職員だったとか……でも、さっきも言うたとおり、8歳やったんで……詳(くわ)しゅうわ……」
「そっか……やったら――」
涼が話を継ごうとした時、ポケットに入れたスマートフォンの振動を感じた。
涼は、真っ白な蒸気が立ち上る地熱発電施設の敷地の傍らに車を停めた。
電話に出た涼は、思わず声を上げた。
「変死体!?」
涼は慌てて車の外に出た。
車内に戻ってきた涼の表情が強ばっていた。
唾を飲み込むようにした涼が言った。
「遺体が発見された……」
「遺体? 発見? 何(な)んこと?」
七海は戸惑った表情で涼を見つめた。
「ついさっき七海が話しちょった、パン屋のオヤジん、熊坂さん、その奥さんの遺体が、別府(べっぷ)公園で発見されたんや」
大きく目を見開いた七海は声が出なかった。
「それも、どうも、殺された可能性があるちゅうことなんや……」
涼の顔が歪んだ。
七海の脳裡に、いつも寂しげな笑顔を浮かべる熊坂の横でひっそりと佇む、妻の良子の姿が浮かんだ。
(続く)
★第6話を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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