
小説 「観月 KANGETSU」#4 麻生幾
第4話
チョコレート箱(4)
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急いで立ち上がった七海は、辺りをゆっくりと見渡した。
山に囲まれた霊園は、淡いオレンジ色の蔭りが伸びてきており、秋の虫たちが時折歌う音によって静寂さが際立った。そして人影と言えば、平日の夕方とあってまったくなかった。
「駐車場で、誰かおったかえ?」
七海が急いで訊いた。
「いや、だあれんおらんかった……。でも、たまがるこたあねえやろ。やっぱり親戚の誰かちゃ」
「弟の命日を知る誰かがお墓参りにきたんちゃ……」
七海が小さく呟いた。
「やけん、親戚ん誰かちゃ。他(ほか)んしとは――」
「そもそも親戚は、東京や大阪におるんやわ」
涼の言葉を遮って七海が続けた。
「私と母に黙っち来たりはせん。やけん――」
七海は瞬きを止めて、墓石の前に戻していたチョコレート箱を見下ろした。
秋の虫たちの音がさっきよりは大きくなったような気がした。
「もしかしち……」
七海が静かに口を開いた。
「誰が置いたか思いついたかえ?」
涼が訊いた。
「………」
目を大きく見開いたまま七海は黙り込んだ。
しばらくして口を開いた七海がぽつりとその言葉を発した。
「父……」
涼はゆっくりと首を回して七海の顔を見つめた。
「今、父っち言うたかえ?」
涼が慌てて訊いた。
「………」
七海は応えなかった。
「でも、七海のお父さん、亡くなっちから、もう……」
そう言ってから、涼は引きつったような笑顔を作った。
†
ハンドルを握る涼は、さっきからずっと、七海の様子をチラ見していた。
なにしろ、弟の墓石の前から立ち去ってからというもの、車に乗ってからも、七海はずっと黙り込んだままだからである。
涼が、話題を変えて話しかけても、七海の様子は同じだった。
だから、やはりその話をもう一度するしかない、と涼は思った。
「つまり、隼人君が、このチョコレート菓子を好いちょったこと知っちょんのは、七海とお母さんしかおらん――。まっ、そん気持ちは分かる……」
最後のその言葉は、自分でもピントの外れたものだと感じた涼は焦った。
「お母さんに、こん話したら、どげな顔さるるかえ?」
それもまた間の抜けた会話だと涼は後悔したが、七海は相変わらず無言のままだった。
「しかし、亡くなったお父さんが、っちゅうんな、さすがに……」
涼は苦笑した。
「あっ、ごめん、もういいんや。昔ん話やけん……」
七海はそう言って、最後は寂しい笑顔をみせた。
(続く)
★第5回を読む。
■麻生幾(あそう・いく) 大阪府生れ。作家。1996年、政府の危機管理の欠陥を衝いたノンフィクション『情報、官邸に達せず』を刊行。日本の危機管理をめぐる“真実”を小説で描いている。オウム事件など内外の事件を取材したノンフィクション作品も。主な小説に、『宣戦布告』『ZERO』『ケース・オフィサー』『外事警察』『奪還』など。「宣戦布告」「外事警察」などが、映画化、ドラマ化され反響を呼んだ。ノンフィクション作品に、『極秘捜査-警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」-』『前へ!-東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録』などがある。※この連載は、毎週日曜と不定期平日に配信します。
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