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50年前に松下幸之助が提示した「無税で全国民一服案」 がポストコロナを生きる道標となる|偉人たちの提言 #1

新型コロナウイルス感染症の拡大は止まらず、2021年1月7日、日本政府は2度目となる緊急事態宣言を発出した。経済が打撃を受けるなかで、かつて偉人が残した日本への提言を読み直してみたい。そこに映る「あり得た未来」への言葉は、今だからこそ経済や仕事に対しての考え方にも、新鮮な響きで立ち昇ってくる。

そう思わせてくれたのは、松下幸之助だ。松下は『文藝春秋』1969年(昭和44年)10月号への寄稿で、過熱する日本の成長志向に警鐘を鳴らしていた。まさに私たちが生きるのは、松下が危惧した日本と企業の延長線にあるらしい。/文・長谷川賢人(フリーランス編集者・ライター)

松下幸之助

松下幸之助

「速すぎる発展」によって日本が失ったもの

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松下は『文藝春秋』に寄稿や対談で、複数回にわたって登場している。手元に記録のあるうちでは、初登場は松下電器産業会長の時代、1969年(昭和44年)10月号だ。『時速80キロは速すぎないか』という、少々変わった題で文章を寄せている(もっとも、題名は当時の編集者が付けたものかもしれないが)。

所用によって9年ぶりにオランダ、西ドイツ、ベルギーを1週間で「駆け足旅行」したという松下は、現地で見た光景から所感を述べている。訪れた彼の地は、急発展する日本に比べて「ほとんど変化がないともいえるような感じ」を受けたらしい。

その理由の一つが、街の景観にあった。

ハンブルクという街は戦火でかなりの被害をうけたところである。ところが、この街の再建にあたっては、日本の場合とはちがって、戦前のとおりに復旧されたということであった。建物の内部はともかく、外観は元のとおりに建てろというのが政府の方針であったらしい。ヨーロッパの街は全体にこうした傾向がつよいようで、おおむね静かで高層建築も少なく、いわば百年前、二百年前のたたずまいを残しているといった感じである。
 
こうした姿を、十年もすれば街の様相が一変してしまうような今日の日本とくらべてみて、好もしいとみるか、あるいは進歩に相反しているとみるか、一概にどちらときめるの はむずかしいが、いずれにしても興味あることだと思った。

松下は、そのような進歩の有り様を自動車にたとえている。ヨーロッパが時速30kmで走っているのであれば、日本は時速80kmで進んでいるという。この頃の日本は急速な経済成長の過程にあり、前年に「国民総生産自由主義国中第二位」という地位を達成してもいた。

ここで財界人であれば、さらにアクセルを踏み、一気に諸外国を追い抜こうと発破をかけても良さそうなものだが、松下は異議を唱える。スピードが速ければ、それだけ事故が起きることも考えられ、時に人命をうしなうような事件もありえてくるからだ。

今日、高度成長のひずみ、とかいわれて社会経済のいろいろな面にわたって多くの問題が生じてきているのも、一つには、多少スピードの出しすぎがあったということではないだろうか。(中略)

やはり、もう二十キロぐらいスピードをダウンして、いわゆる経済速度とでもいおうか、六十キロぐらいの適切な速度で走った方が事故も少なくなり、バランスのとれたより好ましい発展の姿が生まれてくるのではないだろうか。(中略)

やはりなんといっても政治の面でそういう雰囲気をつくっていく導きというかコントロールがなされることが望ましい。そういうものがあってはじめて国全体として適正なスピードに是正することも可能になるのではないかと思う。

1964年に東京五輪、1970年には大阪万博が開催され、日本は高度経済成長に沸いていた。一方で、公害問題や長時間労働など、現在にも尾を引く課題が勃発し始めた時期でもある。特に、週60時間以上の長時間労働の比率は15%を超え、過労死も起きていた。

日本メーカーでは企業間競争が過熱。松下も電機業界では当事者のひとりであったが、「そこから非常な進歩発展というものが生まれてきたことは事実」と認めながらも、社会が前進する速度への違和感と共に、人間生活をおろそかにしてはいけないと私論を結ぶ。

なんといっても大事なことは、お互い人間がそれぞれに社会生活、人間生活というものを良い意味において味わい、楽しんでいくということではないだろうか。産業にしても、その 他一切のものはそのために意義があるのであって、産業のために人間生活が存在するわけではない。

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この時点で松下は加速主義的な姿勢へのアンチテーゼとして釘を刺した格好だが、その後の日本はオイルショックという事変が起き、バブル崩壊という転換点を経ても、スピードを緩める素振りさえ見せなかったというのが現実ではないだろうか。コロナ禍における「経済とのバランス」なり「東京五輪の延期」なりを見ても、人間生活が産業のために存在しているかのように思わされる。

さらに、政治が主導する「雰囲気づくり」について昨今を振り返っても、働き方改革にせよ、リモートワーク推進にせよ、いずれも時々の外圧によるところの変化が大きいはずだ。国としての導き無きままにあるのは、50年前とそれほど変わりないということか。

もし、50年前のこの段階で、松下の提言をもとにスピードを緩めることができていれば、日本の姿も、そこで働く私たちのメンタリティも、大きく違っていたかもしれない。

松下幸之助は「政府は日本人に一服させよ」と言っていた

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