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新しい資本主義と渋沢栄一 渋澤健

岸田首相にも影響を与えた栄一の言葉を、玄孫が解説。/文・渋澤健(コモンズ投信取締役会長)

渋澤健

渋澤氏

富と権限を大勢で分け合う「合本主義」

私の先祖、渋沢栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝け」で、先日、こんなシーンが放送されました。三菱財閥を創設した岩崎弥太郎と、渋沢が経営のあり方について激論を繰り広げたのです。

岩崎弥太郎「おまはんは、やたら合本がっぽん合本と言うけんど……わしが思うに、合本法やと商いは成立せんがではないか。強い人物が上に立ち、その意見で人々を動かしてこそ、正しい商いができる」

渋沢栄一
「いいえ。無論、合本です。多くの民から金を集めて大きな流れを作り、得た利でまた多くの民に返し、多くを潤す。日本でもこの制度を大いに広めねばなりません」(NHK大河ドラマ「青天を衝け」第34回より)

じつはこの場面、本当にあった話がもとになっています。明治11(1878)年、このとき岩崎が43歳で、栄一が38歳。岩崎が栄一を向島の料亭に招き、選りすぐりの芸者に囲まれながら日本の未来について語り合った。最初こそ商いで国を豊かにしようと意気投合するも、事業経営について話が及ぶと、2人の意見は激しくぶつかる。

岩崎が、一部の有能な人物が権限も株式も支配するべきだとする「独占主義」を主張すれば、栄一は、富と権限を大勢で分け合う「合本主義」でいくべきだと反論。激論の末、栄一は中座し物別れに終わってしまう。ドラマですから、2人の白熱する議論がとてもドラマチックに描かれていて、視聴者も関心を寄せたでしょう。

明治・大正期の実業家である渋沢栄一は、第一国立銀行の設立を皮切りに500社の会社経営に関与。同時に、約600の社会福祉施設、病院、教育機関、今でいうNPO・NGOの設立や運営にも尽力しました。

昨今、ドラマや、2024年度から新1万円札の顔になることを契機に注目を集め、講演集『論語と算盤』が多くの方に読まれています。玄孫(栄一の孫の孫)の私は20年ほど前から著書や講演会を通じて栄一の考えを伝え、これからの資本主義のあり方を模索してきました。

このたび誕生した岸田内閣は「新しい資本主義」を国家ビジョンとして掲げましたが、岸田首相は就任前から今後の資本主義のあり方に問題意識をお持ちだったのでしょう。それで前々から渋沢栄一の哲学に関心を持たれていたようです。

総理に『論語と算盤』について最初にお話ししたのは、まだ外相だった2017年夏のこと。総理が会長を務めている宏池会(岸田派)の勉強会で講演しました。それ以降、直接お話しする機会もなかったので、2020年の自民党総裁選で、岸田さんが『論語と算盤』の観点から経済政策を語っていらっしゃったのを、新聞で知ってビックリしました。

岸田さんは自民党総裁に就任する前から「新たな資本主義を創る議員連盟」を創設。その最初の会合に私は講師として招かれました。総理就任後に設立なさった「新しい資本主義実現会議」でも、有識者メンバーに任命されました。

「新しい資本主義実現会議」のコンセプトは「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」。メンバーは経済団体や労働組合トップだけでなく、AI研究者の松尾豊東大教授や若手起業家、IT企業の経営者などジェンダー、年齢、専門分野が多彩で、それぞれの視点から「新しい資本主義」のあるべき姿の議論が行われると思っています。

栄一

渋沢栄一

「新しい資本主義」とは何か

では「新しい資本主義」とは何なのか。私自身の問題意識を説明していきましょう。

これまでの資本主義といえば、金銭的な資本向上、つまり利益を重視するものでした。私が考える「新しい資本主義」は、人的資本の向上を目指すものです。それは企業が成長して得た利益を人に分配して、その能力向上につなげ、さらなる成長を目指すということです。

「成長」の果実を広く「分配」し、それがさらなる成長につながる。この好循環を、一企業だけではなく、社会全体でサステナブル(持続的)に維持する。これが私の考える「新しい資本主義」で、これからの時代に必要なものだと思っています。

というのも、いま私たちは重要な時代の節目に立っており、従来の資本主義は今後、通用しなくなるからです。

戦後の日本は先進国の大量消費を満たすため、テレビや自動車などの大量生産で大成功しました。そのモデルに対して、アメリカなどからジャパン・バッシング(批判)が起きると、Made By Japan(貴方の国でつくります)という海外進出モデルにチェンジして対応した。

ところが競合国が増えたこともあって、その「昭和モデル」が通用しなくなりました。だが、次の成功モデルが見つからないまま、長期低迷が続いている。これが平成の日本の姿だったのではないでしょうか。

しかも日本社会は、これまでに体験したことのないような大変動に直面しています。それは人口構造の激変です。昭和の成功モデルを支えていた、若い人の多いピラミッド型の人口構成から、高齢者が多く若者が少ない逆ピラミッド型に変わりました。従来のように豊富な労働力に頼るわけにはいかないし、一人一人の生産性を向上させないと、経済成長はおぼつかない。そのうえ新型コロナウイルスの蔓延で、これまでの経済の常識が変わり、世界的に先行き不透明になっています。

つまり、いま日本は新しい成功モデルを構築すべきなのに、それは過去の延長線上にはないわけで、まさに「グレート・リセット」が求められているのです。そんな時代だからこそ、混沌とした幕末、明治を生き抜いた渋沢栄一の理念が注目されているのではないでしょうか。

新しい資本主義実現本部

実行力が問われる岸田内閣

渋沢栄一は何を訴えたか

栄一の生涯は1840年、社会情勢が混沌としていた江戸末期からスタートしました。今の埼玉県深谷市にある血洗島の農家に生まれた栄一が、自らの才覚で武家中心の身分制度を乗り越え、活躍の場を広げていったのは、大河ドラマでご覧になったとおりです。20代後半で明治維新という「グレート・リセット」に遭遇した栄一は、幕臣から維新政府の官僚、そして実業界と、活躍の場を変えながら、果敢に時代の荒波へ立ち向かい、大きな成果を残しました。その経営哲学がつまった『論語と算盤』は「新しい資本主義」を考える上でも示唆に富んでいます。

タイトルにもなっている「論語と算盤」という2つの言葉を説明しましょう。「論語」は道徳を意味し、「算盤」とは経済活動を指します。栄一は「論語と算盤は合致している」という「道徳経済合一説」を唱えました。目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない、という説です。

ただしそれは、お金儲けや競争を否定しているのではありません。一人ひとりの努力によって、それぞれが仕事に就いて稼ぐ意欲を持つべきだと、栄一は考えていました。

一方で、ただ稼ぐだけでは持続的ではないと考えていたのです。

〈経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない〉
〈正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない。したがって論語と算盤を一致させることが今日の大切な務めである〉

この「幸福の継続」「富の永続」という言葉は、現代風に言えば「サステナビリティ」(持続可能性)だと解釈しています。1パーセントだけが大富豪になっても、99パーセントが取り残されているような社会では、残された層の不満が積み重なって、いつしか爆発する。そんな社会は長くは続かないよ、持続可能性はないよ、ということです。

いま、企業の社会的責任という言葉が口にされますが、渋沢の〈論語と算盤を一致させることが今日の大切な務め〉とは、企業は単なる利益追求に走るのではなく、社会的責任を果たした上で事業活動に励むべしということです。『論語と算盤』が出版されたのは大正5(1916)年ですが、渋沢は当時から企業の社会的責任を指摘していたのです。

機会平等を重視

また、栄一の理念には、いまでいう「インクルージョン(包摂性)」も含まれています。「包摂」とはひとつに包みこむことで、栄一が理想として描いていたのは、一部ではなく、みんなが豊かになる社会です。しかし、それは「結果平等」を意味しません。

〈国民の全部がことごとく富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があって、誰も彼も一様に富まんとするがごときは望むべからざるところ。したがって富の分配平均などとは思いも寄らぬ空想である〉

みんなが豊かになることは理想だが、能力差もある。「富の平均的分配は空想だ」と明言しています。

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