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出口治明の歴史解説! インド人に仏教徒が1%もいないのはなぜ?

歴史を知れば、今がわかる――。立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが、月替わりテーマに沿って、歴史に関するさまざまな質問に明快に答えます。2020年4月のテーマは、「宗教」です。

★前回の記事はこちら。
※本連載は第24回です。最初から読む方はこちら。

【質問1】マレーシア、インドネシア、ブルネイなどの国は、イスラーム教の国です。どうして東南アジアでここまで広まったのでしょうか。

 この連載の第9回で、iPhoneとイスラーム教はどちらもシンプルさで世界を席巻したと述べました。東南アジアに広まったのは、それに加えてイスラーム商人たちがたくさんやってきたからです。

 インドネシア東部のモルッカ諸島は昔から「香料諸島」として有名で、世界で随一ともいえる香辛料の産地でした。そこにイスラーム商人たちがやってきて胡椒や丁香などをたくさん買っていきました。彼らに香辛料を販売していた人たちが見たのは、イスラーム商人が1日に5回ぐらいお祈りしている姿でした。「わしらも真似したら、よろこんでもっとたくさん買ってくれるんやないか」と考えたわけです。

 なにしろ、イスラーム教にはキリスト教や仏教のような形の「寄付(お布施)」がありません。お坊さんや神父さんのようにお布施で食べている専従者がいないからです。商店のおじさんが、お祈りの時間になると、服を着替えてお坊さん役になる。これなら誰にでも抵抗感なく始められます。

 しかも、入信が超シンプル。「神様はアッラーフだけ、預言者はムハンマドだけです」(信仰告白=シャハーダ)とアラビア語で唱えて、「本当に信じる?」と聞かれて「はい」と答えたらOKです。このシンプルさはiPhone並みでしょう?(ただし、アラビア語は外国人にとっては、めちゃ難しい言葉です)

 1日5回のお祈りが面倒だと思う人もいるでしょう。しかし見方を変えると、どんなに忙しくてもお祈りのときは仕事がサボれるということです。上司が文句を言っても、「天国にいきたいので、お祈りしてきます」と堂々と反論できます。実際、仕事中にお祈りに出かけて1時間も帰ってこない人もいるようです。

 商売の儲けにつながるうえに、お布施はいらないし、入信も超カンタン。仕事もほどほどにできる。これでは爆発的に広まらないはずがありません。

【質問2】お釈迦様はインドで生まれたのに、いまインド人のなかで仏教徒は1%もいないそうですね。なぜ、インドで仏教は廃れてしまったのでしょうか?

 ゴータマ・シッダールタ(釈迦)が仏教を説いたのは、紀元前500年前後といわれています。

 その頃、インドのガンジス川流域では、農業の生産性が飛躍的に高まりました。牛に鉄製の犂(すき)を引かせて田畑を耕す方法が開発されたからです。この技術革新のおかげで成功した人たちは、農作業に使用人を雇うようになり、いわゆるブルジョアジーになりました。

 当時のインドで流行っていた宗教は、アーリア人が持ち込んだバラモン教でした。太陽や風など自然神を崇拝し、司祭階級のバラモンが祭祀を執り行います。儀式では神様に牛を捧げるので、バラモン僧は近隣の農地に出かけ、「神様が牛を望んでいるぞ」と強制的に牛を取り立てました。「この牛はよう働くので勘弁してください」と頼んでも、「おまえ、神様に楯つくんか」と一蹴されます。

 ブルジョアたちは大切な生産手段を奪われてしまうので、たまったものではありません。しかし、階級が高いバラモンに逆らい、この徴発を拒否できるだけの理屈がなかったのです。

 ここに登場したのが、仏教とジャイナ教です。どちらも殺生を禁じ、バラモン教の供犠や祭祀を批判しました。そこがブルジョアに大歓迎されます。バラモン僧がきても「牛はあげまへんで」と断り、「神様に楯つくのか」と言われても、「いや、うちは仏教徒ですから」「ジャイナ教徒ですから」と言い返せるからです。このご利益で仏教とジャイナ教は都市部の信者を急速に獲得し、バラモン教は地方に追いやられます。

 田舎に引っ込んだバラモンたちは、このままでは生きていけないと危機感をつのらせ、自分たちの教えを見直します。「そもそも教義がややこしいやろ」「そやな、ヴィシュヌ神万歳! シヴァ神万歳! のようにわかりやすいほうがええな」と教えをシンプルに革新しました。

 これがヒンドゥー教の誕生です。このヒンドゥー教が地方で大ブームになります。

 地方から若者たちが都会へ働きに出るのは当時のインドも同じです。彼らは地方のヒンドゥー教徒ですから、都市部でもあちこちに神様たちの像を造って「この神様を拝むだけやで」と教えを広めていきました。

 ではなぜ、地方で仏教は流行らなかったのでしょうか。みなさんも経験があると思いますが、お経の勉強や修行で悟りを開く仏教は、習得が非常に難しいのです。いわばインテリ向けの商品だった。ところが、神様を拝めばそこそこ救われるというヒンドゥー教は、楽です。仏教と比較するなら、明らかに大衆向けの商品です。一般庶民には後者がウケて当然でしょう。

 危機感を持ったのか仏教のほうも「あっちはまた、えらいシンプルにしおったな。よし、こっちも負けておれへんで」と、難しい教義や修行を必要としない大乗仏教が生まれました。南無阿弥陀仏と唱えれば救われる浄土教などは、まさにヒンドゥー教のシンプルさを導入したものです。仏像はヴィシュヌ神やシヴァ神によく似ていますし、観音菩薩が千手になったり馬頭になったり変化するのはヴィシュヌ神の影響です。

 しかしシンプルでやさしい点では、何といっても本家本元のヒンドゥー教にはかないません。ヒンドゥー教は人口の多い下層民向け、仏教は都市部のインテリゲンチャ向けと、多少は入り混じりながらも棲み分けができていきます。

 6世紀になると、南インドのほうからバクティ信仰が広がります。これはシヴァ神などを讃えながら踊りますから、えらく楽しそうで宣伝効果は抜群でした。

 こうなると、もう仏教は太刀打ちできません。ヒンドゥー教のやさしさを真似てみたものの、お経や修行があるのでやっぱり難しい。そこで逆転の発想で、さらに教えを難しくしてインテリたちを惹きつける宗教になろうとしたのです。難解さが大切だということで、密教つまり「秘密の教えをこっそり教えたるで」という方向に進みました。高級レストランがチェーン店の大衆食堂に押されたので、真似して大衆化してみたけれど、どうしても勝てないのでやっぱり高級で、しかも、会員制のお高い店に変えたようなものです。

 この転換によって仏教はインド北部で生き残り、ヴィクラマシーラ大学などを建設して、インテリの金持ちたちがそこに富を蓄積していきます。

 しかし12世紀の終わりにイスラーム教がインドに入ってくると、彼らは偶像崇拝を禁じていますから仏教とヒンドゥー教の寺院は次々破壊されます。とくに富を貯め込んだ仏教寺院は主なターゲットにされ、徹底的に略奪されました。これでインドの仏教は完全に息の根を止められてしまったのです。一方、庶民が集まるヒンドゥー教のちっぽけな寺院は、数も多いので生き残りました。

 牛を殺さないことで広まった仏教は、インテリ向けの難しい教えがアダとなり、シンプルさとアピール力でヒンドゥー教に負け、最後はイスラーム教に息の根を止められたのです。

(連載第24回)
★第25回を読む。

■出口治明(でぐち・はるあき)
1948年三重県生まれ。ライフネット生命保険株式会社 創業者。ビジネスから歴史まで著作も多数。歴史の語り部として注目を集めている。
※この連載は、毎週木曜日に配信予定です。

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