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橘玲さんが今月買った10冊の本

2つの未来

治療法のない感染症が社会を大きな混乱に引きずり込んでいる。今後、世界はどのように変わっていくのだろうか。

進化心理学者のピンカーは、「グローバル化とテクノロジーの進歩で、世界はますますゆたかになり、ひとびとは幸福になり、価値観はリベラル化していく」と予想する。それに対して歴史家のハラリは、AI(人工知能)の指数関数的な高度化によって、人類が「ホモ・デウス(神人)」と「無用者階級」に分断される暗鬱な未来を描く。『21世紀の啓蒙』と『21 Lessons』を読み比べれば、現代を代表する2人の知識人が、どこから「楽観論」と「悲観論」に袂を分かつかがわかる。100年単位で考えればピンカーが正しいのかもしれないが、コロナ後は感染拡大を抑えるために、ハラリのいう「AI独裁」で効率的に人間の移動を管理しようとするのではないだろうか。

『痴漢外来』では、日本には数少ない犯罪心理学の専門家である著者が、性犯罪は意志の問題ではなく「依存症」だと説く。痴漢行為は「4大卒、会社員、既婚」の男性に圧倒的に多いが、これは満員電車で会社に通う男性の一般的な属性だ。異性と身体を密着させて長時間を過ごす異常な環境では、痴漢(窃触(せつしよく)障害)が顕在化するのは避けられないという。

現代社会でもっともおぞましい犯罪のひとつは子どもへの性的虐待だ。『「小児性愛」という病』では、性依存症の専門外来で小児性犯罪者と向き合ってきた著者が、この性倒錯(パラフィリア)も依存症という「脳の病気」で、加害者を道徳的に非難しても治療にはつながらないと述べる。女子中学生2人を殺害し懲役17年の判決を受けた男は、「極刑」を望んで控訴し、「自分に下される判決としては死刑しかない」と語った。

性倒錯は多様でSM(サド/マゾヒズム)のようにサブカルチャーとして社会に受け容れられたものもあるが、「動物性愛」はほとんどのひとから嫌悪されるだろう。『聖なるズー』では、セクシャリティを研究する女性ライターがドイツのズー(動物性愛者)たちを取材している。手に取る前は「なぜこんなテーマを」と疑問に思ったが、自身の性暴力の被害体験を理解するための長い旅の記録だとわかった。

動物愛護団体はペットを去勢して「永遠の子ども」として扱い、動物性愛者はペットを「パートナー」にする。そこに共通するのは動物の「擬人化」だ。心理学においても、ラットの実験で「愛情がある」「子どもに冷淡」などと説明することが当たり前に行なわれている。『動物に「心」は必要か』では、日本の行動心理学を牽引してきた著者が、心理学に亡霊のようにまとわりつく「擬人主義」を批判する。

数年前に南アフリカを旅したが、ヨハネスブルクで自由に歩けるのは高級ホテルの周辺だけで、市街はサファリツアーのように、車に乗って窓越しに眺めることしかできなかった。そんな街で新聞記者のインターンをした著者による『世界最凶都市 ヨハネスブルグ・リポート』は、格差と人種問題によって生まれた異形の社会を描いている。

『女たちのシベリア抑留』で驚いたのは、降伏後に日本軍の司令部から「ソ連軍の要求するものは、抵抗せずに渡すこと、その第1は酒、第2は女」との通達があったこと。帰国した女性看護師たちは、それでも抑留の日々を当時の仲間とともに懐かしむという。

『エンド・オブ・ライフ』は、末期がんを患った在宅医療の看護師と、著者の母親の在宅での看取りを重ね合わせたノンフィクション。死を受け入れるには長い時間が必要だが、疫病は患者からも家族からもその機会を容赦なく奪っていくだろう。

「排外主義者たちの夢は叶った」という一文で始まる『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、在日韓国人3世の作家によるディストピア小説の話題作。近年読んだ小説のなかでもっとも大きな衝撃を受けた。

「今月買った本」は橘玲、森絵都、手嶋龍一、本上まなみの4氏が交代で執筆いたします。

(2020年6月号掲載)



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