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シン・ウルトラマンと日米安保 ウルトラマンは米軍、怪獣は核兵器の暗喩なのか? 太田啓之(朝日新聞記者)

ウルトラマンは米軍、怪獣は核兵器の暗喩なのか?/文・太田啓之(朝日新聞記者)

庵野監督の「原点」

「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の大ヒットで、国民的な映画作家となった庵野秀明監督が脚本を担当する映画「シン・ウルトラマン」が5月13日、コロナ禍による延期を経て、ようやく劇場公開となる。

私は40年近く前、自主映画の上映会で、庵野監督の「原点」と言える特撮作品「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」を見て衝撃を受けた。なんと、庵野監督が眼鏡をかけた素顔のまま、銀と赤に塗ったジャージと爪楊枝の容器でつくったカラータイマーを着用して「ウルトラマン」を演じるのだ。

しかし、登場するメカニック・怪獣のデザインや特撮技術は本家の「ウルトラマン」作品をも凌駕するほどの水準で、演出やカメラワークは「ウルトラマン」「ウルトラセブン」で異色作を次々と世に問うた実相寺昭雄監督を彷彿とさせる。テーマ曲には、「辺り一面 焼け野原」「街が危ない 死が迫る」などハードな内容の歌詞で本家の「帰ってきたウルトラマン」では没となった、すぎやまこういち作曲の「戦え!ウルトラマン」を敢えて用いるという徹底ぶりだ。

その結果、見る者は「ジャージとGパン姿のもじゃもじゃ頭のお兄さん=庵野監督が、次第に『本物のウルトラマン』に見えてきてしまう」という驚愕の体験をすることになる。「何が『ウルトラマン』の作品世界を成り立たせているのか」ということを徹底的に分析し、それにこだわることを通じて「『ウルトラマン』という作品の本質は『ウルトラマンのデザイン』抜きでも表現できる」ことを証明してしまったのだ。大阪市で開催中の「庵野秀明展」でもこの作品に関する展示に多くのスペースが割かれ、監督自身の思い入れがうかがえる。

この「作品に徹底的に没入することによって作品の本質を的確に洞察し、それを踏まえた上で、作品の魅力を新たな形で再創造する」という唯一無二の資質が「シン・ゴジラ」の成功につながり、「シン・ウルトラマン」「シン・仮面ライダー」の企画を生み出す原動力となっていることは疑いない。

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庵野氏

日本人は国を守れるのか

時代の空気を的確につかみ取り、作品の中に色濃く反映させる資質もすごい。

庵野監督の出世作となった「新世紀エヴァンゲリオン」が最初にテレビ放映されたのは、戦後50年に当たる1995年のことだった。「エヴァ」は、表面上は「主人公らの乗り込む巨大ロボット(らしきもの)が、正体不明の巨大生物(らしきもの)と戦う」という「よくあるアニメのフォーマット」を踏襲しつつも、実際の作劇では、少年少女、大人になりきれない大人たちの絶望的な孤立、他者との相克が、「これでもか」というほど描かれる。そして物語の背景には、人類滅亡への予感が通奏低音のように響くと共に、すべての人類を他者との愛憎から解放して「絶対幸福」へと導こうとする「人類補完計画」という陰謀が進行する――。

同じ年には阪神・淡路大震災が発生し、麻原彰晃という「象徴」の元に集った悩める青年たちが「ハルマゲドン=最終戦争」を経て、人類の絶対幸福を実現しようとした「オウム真理教事件」が人々を震撼させた。無論、「エヴァ」の企画自体はオウムの事件が明るみに出るはるか以前から始動している。それでも、これだけのシンクロニシティ=共時性が発生してしまうことに、庵野監督の類いまれな資質がうかがえる。

私自身、庵野監督を何度か取材させていただいたが、自らが強く影響を受けた作品たちを語る言葉の一つ一つが「対象について冷静に、的確に、深く考え抜く」という作業を経て発せられていることが、ひしひしと伝わって来た。作品世界にのめり込む「没入」と、作品の魅力を徹底的に分析する「知性」の両輪が、庵野監督の創造力を支えている。

そんな庵野監督が最も愛する特撮作品の1つが1966~67年にかけてテレビ放映された「ウルトラマン」であり、それを現代に復活させる「シン・ウルトラマン」は、本当に楽しみで仕方がない。

と同時に、ロシア軍がウクライナに侵攻し、私たち日本人も「今のままで自分の国を、家族を、自分自身を守れるのか」という問題を考えざるを得ないこの時期に、「ウルトラマン」を題材とした映画が世に出ることについては「庵野作品がまたもや時代と共振しつつあるのか」という思いを禁じ得ない。なぜなら、東西冷戦のさなかに作られたオリジナル版「ウルトラマン」は、これまでに多くの論者から「物語の基本構造自体が、日米安保条約の暗喩ではないか」と指摘されてきたからだ。

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庵野監督の原点は「帰ってきたウルトラマン」

ウルトラマン「最大の疑問」

「ウルトラマン」では「科学特捜隊(科特隊)」という対怪獣・異星人専門のチームが登場するが、ほとんどの場合は巨大な敵に対して歯が立たない。絶体絶命のタイミングで登場し、敵を倒すウルトラマンは「日米安保条約に基づき、外敵から日本を救いにきた米軍」であり、「無力な防衛組織=自衛隊」というわけだ。評論家の呉智英氏は「地球防衛軍は“ウルトラマンの傘”の下にある」としている。

そして、「ウルトラマン」という物語の最大の疑問は「なぜ、ウルトラマンという異星人が、人間の味方となって戦ってくれるのか?」という作品の根幹に関わる問題だ。

「ウルトラマン」の第1話で、怪獣ベムラーを追って地球にやってきたウルトラマンは、ハヤタ隊員が操縦する科学特捜隊専用機と衝突してしまう。瀕死のハヤタに対してウルトラマンは「申し訳ないことをした」とわび、「私の命を君にあげよう」「君と一心同体になるのだ。そして地球の平和のために働きたい」と提案する。

要するに、ウルトラマンが地球にとどまっているのは、自らが起こしてしまった「人身事故」の被害者に対する償いのためであり、地球のために戦うのは、そのついでのことに過ぎない。ウルトラマンの戦いは、まったくの「無償の奉仕」なのだ。

「シン・ウルトラマン」の宣伝コピーは「空想と浪漫。そして、友情。」だ。ビジュアルイメージ(宣伝ポスター)には「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」というオリジナル版「ウルトラマン」最終回での言葉が添えられている。「ウルトラマンが人間を守るのは、人間に対する友情からだ」ということが、作品の根幹にすえられるのではないか。

そして、作品全体のトーンは、「ウルトラマン」という作品を企画した中心人物で、脚本のメーンライターとしても活躍した金城哲夫が理想とした「科学の力を借りて、世界中の人々が人種や考えの違いを乗り越え、互いに相乗的な関係を取り結ぶ」というコスモポリタン的な世界観を、現代に復活させるものとなるはずだ。「シン・ゴジラ」がそうだったように、庵野監督は過去の作品をリメークする際、オリジナル作品を大胆に換骨奪胎しつつも、「作品を観た人々が当時味わったであろう衝撃と興奮、感動」を現代によみがえらせようとするからだ。

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脚本を書いた金城哲夫

メフィラス星人らの「再登場」

オリジナル版「ウルトラマン」で人類に対する友好姿勢を装いつつ、「ニセウルトラマン」となって人間とウルトラマンの信頼関係にヒビを入れようとしたザラブ星人、地球人の少年に対して「永遠の命」と引き換えに「どうだね、この私に、たったひとこと、地球をあなたにあげよう、と言ってくれないかね?」と言葉巧みに誘惑するメフィラス星人らの「再登場」も予告されている。

「シン・ウルトラマン」に登場する異星人は「外星人」と呼称される。これは「外国人」のもじりだろう。敵対的な外星=外国も存在する中でコスモポリタニズムを貫こうとすることの難しさ、ウルトラマンという「唯一の友好的な外星人」に頼って平和を守ろうとすることの危うさも描かれるだろう。

ただし、作中で人間とウルトラマンとの間に一時的な相克はあっても、「ウルトラマンと地球人の友情」が壊れてしまうことはないはずだ。それは、金城哲夫らが作り上げ、庵野監督自身もこよなく愛してきた「ウルトラマンの世界観」を壊してしまうことにつながるからだ。

しかし、現実世界ではどうか。ウルトラマン=米国は、ウルトラマンのように命懸けで日本を守ってくれるのだろうか。東日本大震災の時、米軍は「トモダチ作戦」と称する救援活動を展開した。その一方で、福島第一原発事故にあたっては、日本政府が原発から半径20キロ以内の住民に避難勧告を行ったのに対し、米国政府は、在日米国人に「半径80キロ以内の避難勧告」を行った。さらには「8万人の米軍人の退避計画もつくる」と日本側に通告した。非常時における「友情」のありがたさと危うさの両面が伝わってくる。

今回のウクライナ危機で、米国はウクライナへの物的な支援を強めつつも、実際の派兵へと踏み込む気配はない。「目と鼻の先」が戦場となっている欧州諸国も同様だ。その最大の理由は言うまでもなく、ロシアをさらなる窮地に追い込むことが、ロシアを核兵器の使用へと踏み込ませかねないこと、ウクライナに軍事介入することによって、自国がロシアからの核攻撃の対象となりかねないことを恐れているからだ。

国際社会の大勢はロシア=悪、と見なしているにもかかわらず、正義を実現するために、ウクライナに直接手をさしのべることはできない。なぜなら、私たちはウルトラマンのような「圧倒的に強大な力と無私の心を併せ持つ存在」ではないからだ。いかにウクライナの人々が辛酸を嘗めていようとも、国を、家族を、自分自身を、核兵器の脅威にさらさせるわけにはいかない——。

禍威獣は日本にだけ出現する

フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏は、本誌5月号の「日本核武装のすすめ」という記事で「『核の傘』も幻想です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。中国や北朝鮮に米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません」と指摘している。

ウクライナ情勢は、「核兵器による抑止」という従来の戦略を無効化することを通して、日米安保条約の有効性に対しても根本的な疑義を突きつけているのだ。

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