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連載小説「ミス・サンシャイン」#6|吉田修一

【前号まで】
昭和の大女優・和楽京子こと石田鈴の元で荷物整理のアルバイトをする岡田一心は、鈴からハリウッド女優時代に交際していた米国人スターや日系人画家との恋愛模様について明かされる。一方、一心が思いを寄せる桃田真希は彼氏と別れ、新居で一人暮らしをスタートさせた。

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夕立三味線

 気がつけば、季節は夏を迎えようとしていた。

 強い日差しに樹々の葉が白く輝く。急に雲行きが怪しくなり、ざっと降った雨が濃い土の匂いを立たせる。

 季節の変わり目で少し体調が思わしくないので、しばらく資料整理の仕事はお休みにしてほしいという連絡が、鈴(すず)さんから入ったのが二週間ちょっとまえだった。

 こちらは構わないが、もし何か買い物でもなんでも不自由があればいつでも連絡して下さいと一心は伝えた。

 電話の声は元気そうだったので、風邪でも引いたのだろうと思っていたが、一週間経っても十日経っても鈴さんからの連絡がない。一心は少し心配になり、近所の果物屋で一番高いマンゴーを買って見舞いに行った。

 幸い鈴さんはケロッとしており、「あら、ごめん。連絡しようしようと思ってるうちに、なんだかこっちがバタバタしちゃって」と一心を迎え入れた。

 聞けば、やはり風邪を引いていたらしく、熱はすぐに下がったのだが、喉の痛みが取れずに数日ゴロゴロしていたという。一心への連絡を忘れたバタバタの事態というのは、鈴さんではなく昌子(まさこ)さんのほうで、なんでも雨の日に地下鉄の駅の階段で足を滑らせて左足を折ってしまったというのだ。

 見かけた人がすぐに救急車を呼んでくれたらしいのだが、日ごろ元気な人だけに入院した途端、弱気になったという。

「まだ五十代のころだったかしらね、昌子さん、バス旅行で黒部ダムに行ったときに、やっぱりそこにあった長い階段から落っこちたことがあるのよ。当時はまだ旦那さんの雅彦ちゃんが生きてたんだけど、ちょうどそのときは海外に出張中で、たまたまあたしが一ヶ月くらい舞台の仕事が空いてたもんだから、慌てて黒部の病院に迎えに行ったのよ」

 お互いにまだ若かったこともあり、鈴さんが手配したタクシーで病院から駅へ向かう途中も、ギプスをつけた脚が動くたびにウンウン痛みに顔を歪めながらも、昌子さんは、「『急な階段だから注意しなさいよ!』なんて率先して言ったら、自分がこれだもの」と自分のおっちょこちょいぶりを笑い飛ばしていたらしい。

「あたしも、昌子さんも、体だけは丈夫じゃない。だから、そのときも言ってたのよ。あたしたちみたいな風邪もたまにしか引かないような人間は、年取ったって病気なんかじゃなくて、それこそこうやってすっ転んで骨折って、そのまま動けなくなっちゃうんじゃないかしらねえ、なんて」

 術後は順調なのだが、一人暮らしだと何かと不便もあるからと、まだ昌子さんは入院中らしく、この黒部ダムでの昔話は、先日鈴さんが見舞いに行った際、昌子さんが、「なんだか急に思い出しちゃって……」と話し出したらしい。

 そして続けて、現在神戸に暮らしている一人息子から、「こっちで一緒に暮らさないか」とずっと誘われているのだと言ったという。もちろんこれまでにもその話を昌子さんは口にした。そのたびに、昌子さんは笑い飛ばしていたらしい。

「無理に決まってるじゃないね。あたしとあの嫁が同じ屋根の下で暮らせるわけないもの。孫だってもう、なんだかうるさいだけのバンドでギター弾いてて、可愛くもありゃしない。あたしはいいのよ、ここで。鈴さんと女二人、気楽なもんじゃない」と。

 そこまで話すと、鈴さんはふっと一つ息をつき、「なんだか、気が重くなっちゃうわね、この話」と席を立ち、「ねえ、いっくん、ベランダでビールでも飲みましょうよ」と誘う。

「……ほら、オランダだかデンマークだかのビールあるじゃない。白くて、軽いやつ。あれだったら、あたし、ちょっと飲めるのよ。こういう日は昼間っから飲むと気持ちいいわよ、きっと。そこのスーパーに売ってるから、ひとっ走り買ってきてよ」

 鈴さんが目を向けたベランダは夏の始まりを告げる日差しが降り注いでいる。開け放たれた窓から吹き抜けていく風がしっとりとしている。ついこのあいだまでの冷たくて乾ききっていた風をもうすでに思い出せない。

 この翌日から倉庫の整理が再開された。いざ再開してみると、思いのほか作業は進んでおり、鈴さんが残したいと言ったものは鈴さんのマンションへ、貴重な資料は五十嵐教授の元へ、そのほかは破棄されたせいで、気がつけば、倉庫然としていた部屋から床や白壁が顔を出し、食器棚が現れて、半分ほどが人が暮らす本来のマンションの姿を取り戻しつつあった。

 鈴さんは、場所が空くと、そこに花を飾った。

 一心に自宅から花瓶を運ばせて、生花をいけることもあれば、やはり自宅のベランダから小さな鉢植えを持ってきて、窓辺に飾ることもある。

 薄汚れていたカーテンをすべて取っ払ってしまうと、西向きの窓から午後だけだったが日も差し込んだ。

「まだ埃っぽくて、花がかわいそうね」

 そう言いながらも、鈴さんは花を増やした。

「……あたしね、昔、インタビューで、あなたの生活にどうしてもなくては困るものは何かって聞かれて、『お花です』って答えてたのよ」

 ハリウッドを拠点にした三年と数ヶ月のあいだ、和楽(わらく)京子は八本の映画に出演している。そのほとんどの作品で錚々たるアメリカの俳優たちを相手に、三番手もしくは四番手の位置を占めているのだから、紛れもなく彼女は当時ハリウッドスターだったのである。

 ただ、オスカー候補作となった『さくら、さくら』以来、彼女の出演作で大ヒットと呼べるものはない。

 出演していたのは、たとえば当時付き合っていたリチャード・クロスのような大スターが、クリスマスシーズン向けに撮影するような作品が多く、ハッピーエンドの内容は分かりやすく、そこそこヒットはするのだが、当然年末の賞レースに絡むことはなく、翌年には観客にも忘れられてしまうようなものばかりである。

 それでも、ある意味、当時のエキゾチシズムを独り占めしていた和楽京子の人気は高く、彼女が出演したテレビショーの公開録画には、百人分の客席を巡って千人が列を成したとも報道されている。

 このハリウッド時代で、皮肉にも和楽京子のその後のキャリアとして一番残るものとなったのは、アメリカ映画ではなく、『女たちの愉しみ』というイタリア映画である。

 ルチアーノ・ロッコというイタリアの巨匠が、そのキャリアの集大成として撮った、一人の詩人の生涯を描く一大叙事詩である。

 映画は老年を迎えた詩人が、その人生で出会ってきた女たちを思い出すようなスタイルで語るもので、南イタリアの港町を舞台に、あるときは漁師になりたての少年に、幼いころ、詩人が恋心を抱いていたフランス人の少女の話をし、あるときは寂れたバーのマスターを相手に、戦時中に同棲したユダヤ人女性との性交体験を語る。

 和楽京子は、彼が青年時代を過ごしたインドシナでのエピソードの中に出てくる。

 彼女が演じるのは貿易商を営む現地の裕福な華僑の娘で、彼とはプラトニックというのも憚られるような、まるでレースのカーテン越しに指先を触れ合うだけのような、とても淡い関係なのだが、この詩人の名前を後世に残すことになる『裸足の女』という有名な詩を詠む、とても印象的なシーンでの出演となる。

 劇中、熱帯地方のスコールのなか、邸宅から出てきた彼女が裸足で芝生を歩き出すシーンがある。

 若い詩人はその姿を敷地の外、原生の椰子林の中から見つめている。

 強い雨脚。

 濡れた芝生。

 女が着ている白いワンピースはびしょ濡れで、むき出しの白い肩を雨粒が流れる。

 詩人は言葉の通じない女の手の動きや、汚れた足の裏から、言葉を見つける。熱い雨のなか、詩人は濡れたノートにペンを走らせる。

 このシーンでの和楽京子は、まるで熱帯の花のようである。雨を浴びれば浴びるほどその色を増し、男に見つめられれば見つめられるほど、汗の匂いが立つ。

 当初、この『女たちの愉しみ』には、イタリア、フランスのそれぞれの代表として、ソフィア・ローレンとカトリーヌ・ドヌーブが出演予定だった。

 結果的にスケジュールの都合で二人の出演は叶わなかったが、もしも実現していれば、映画の黄金時代を飾った世界各国の女優たちが、その色香を競い合わせた記念碑的な作品になっていたはずだ。

 そして、この『女たちの愉しみ』の撮影を終えたころ、和楽京子はアメリカの所属映画会社との契約延長をせず、日本に舞い戻ってくる。

 当時のインタビューで、彼女はこんな風に語っている。

「ハリウッドでは美しいキスシーンの演じ方を教わりました。私の青春時代はハリウッドで過ごした年月のことだと言い切れます。でも、ルチアーノ・ロッコ監督とお仕事をして、もう一度、人生を語る映画監督との仕事をしたいと思うようになりました。日本にいらっしゃる、そんな監督たちのことがきっと恋しくなったんだと思います」と。

 帰国後、数年は彼女にとって思い通りの仕事が続く。

『竹取物語』で世界中を席巻したあと、この作品を超えられずにいた千家(せんけ)監督は、和楽京子の帰国を待っていたように、のちに「芸者三部作」と呼ばれる作品を撮る。

 ある意味で、消えゆこうとする日本情緒がにじみ出ているような渋みのある作品を立て続けに撮り、その全ての主演に和楽京子を据え、銀座のクラブに押されて斜陽化する芸者の矜持と悲しみを、薄れゆく日本文化と重ねて見事に切り取っていく。

 なかでも三部作のラストを飾った『夕立三味線』という作品は、芸者から銀座のクラブの雇われママとなった和楽京子が一時は贅沢な暮らしをするのだが、信じた男に金を騙し取られ、元の向島の芸者へ戻っていくという物語である。

 そのストーリー自体に目新しさはないものの、千家監督はこの作品のラストシーン、和楽京子が渋滞して騒々しい銀座の街から戻った向島の町並みの描写に、日本的な美しさのすべてを詰め込んでいく。

 小さな花を咲かせた鉢植えの並んだ路地を少し疲れた和楽京子が歩いてくる。彼女の前を三輪車の子供たちが横切り、長屋からは秋刀魚を焼く煙が漂ってくる。

 夕暮れの打ち水に濡れた石はきらきらと輝き、どこかから三味線の音がする。少しずれたその音色に、和楽京子が小さく舌打ちをする。

 ただ、疲れていたその顔に小さな笑みも浮かぶ。そしてとつぜんの夕立となる。彼女は着物の裾をからげて走り出す。石畳を蹴る下駄の音が高くなる。

 おそらくこの時期が和楽京子にとっても、そして日本映画界にとっても黄金期の最後となるのであろう。

 東京オリンピックの興奮が終わるころになると、観客たちの興味は映画から目新しいテレビへと移っていくのだ。

 その年、初めての夏日となった。夕立が降りそうな空模様だった。

 アパートの狭いベランダにしゃがみ込んで、桃ちゃんは白いスニーカーを洗っている。まるで下着のような短パンとノースリーブのシャツだけなので、その尻の形や背骨がくっきりと見える。

 一心は部屋に寝転んだまま、足先で扇風機の風をベランダの方へ向けてやった。

 背中に風を感じたらしい桃ちゃんが、お礼の代わりに泡のついた親指を突き立てて見せる。

「そういえば、エアコンどうなった?」と一心は声をかけた。

「大家さんがすぐ業者に頼んでくれたんだけど、来週になるって。この時期、混んでるらしくて」

「カビの臭いくらい、俺たちでも掃除できないのかな?」

「私もそう聞いたんだけど、古いエアコンだし、高圧洗浄しなきゃ無理なんだって」

 洗い終えたスニーカーを干した桃ちゃんが部屋へ戻ってくる。

「そんな格好でベランダ出たら、誰かに覗かれない?」

「これ? 普通の部屋着だよ」

 実際、桃ちゃんの言う通りなのだが、跳ねた水で腹が濡れ、ヘソに張りついている。

「いっくんも脱げばいいのに。この暑いなか、ジーンズなんて穿いてないで」

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