
【9-芸能】Jポップの百花繚乱 勝ち残るのは誰?|近田春夫
文・近田春夫(音楽家)
音楽においても内向きの自国主義は高まっている
King Gnuの「白日」を聴くたびに思い知らされることがある。それは、カラオケで歌いやすい曲を作ることが、もはやヒットの秘訣ではないという事実。
だって、あんな難しい曲、素人はまず歌いこなすことができないもの。YouTube 上のミュージックビデオを、短編映画を観るかのように楽しむ。Jポップの主たる用途は、そんな風に変わってきているのかもしれない。
Official 髭男 dismに関しては、キーボードがサウンドの要を握っている。しかも、キーボードといっても、シンセサイザーではなくピアノ。
日本のロックは、基本的にギターが中心だった。しかし、ヒゲダンはピアノを弾くメンバーがヴォーカルを兼ねる。
自分もキーボード奏者だから分かるんだけど、彼らのレパートリーからは、ギターを爪弾きながらというよりは、ピアノのキーを押さえながらコードを動かして曲を作った痕跡が窺える。すると、和声と旋律との関係が繊細になる。
特にKing Gnu とヒゲダンに象徴されるように、今の日本では、ハイトーンな声質が好まれる傾向がある。そういう声は、ピアノとの相性もいい。そして、サウンドと足並みを揃えるように、どの曲の主人公も清く正しく美しい。
ロックバンドのみならず、もちろんアイドルの楽曲も、女性性の強いものが支持される。この流れは、Mr.ChildrenやSpitzの時代から続いてるのかも。
その点、アメリカに目を向けると、あの国で2020年の夏からビルボード首位に輝いていたのは、カーディ・Bの「WAP」。この曲名、「Wet Ass Pussy」の略語だから。彼我の違いにめまいすら覚える。
トランプ大統領の登場やコロナの影響もあって、音楽においても内向きの自国主義は高まっていると思う。今、全米で1位の曲が何かなんて、気にしている日本人はほとんどいないもの。
アメリカでは、ヒップホップがチャートを席巻して以降、ミニマルなループを軸に楽曲を作ることが主流になっている。コードも頻繁には動かさない。
しかし、日本語はそういう曲の作り方には向いていない。口語としての日本語は、英語のような強弱アクセントじゃなくて、高低のアクセントを持つ。つまり、歌詞のみの時点で音程を伴う。
不可避的に、ミニマルなフレーズを繰り返すよりは、起伏に富んだメロディーに対し、何かしらの感情を喚起させる和声を補うことになる。そういう意味では、アメリカとシンクロして音楽が進化していくことは難しい。
King Gnu やヒゲダンのメロディーやハーモニーは、日本語のロックを追求した上での論理的帰結であるように思う。