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佐藤優のベストセラーで読む日本の近現代史 『太平洋戦争(上)(下)』児島襄

「コロナ敗戦」と「太平洋戦争敗戦」

「コロナ敗戦」という言葉を耳にする。戦争は人間が相手で、コロナウイルスという自然現象を対象にする戦いを戦争と類比的(アナロジカル)に論じることが適切かという問題は残るが、パンデミック対応で日本の構造的宿痾が露見した点では、太平洋戦争との比較には意味がある。

戦前、日本の陸海軍は巨大な官僚機構でもあった。政府と軍の官僚機構が機能不全を起こしたところに太平洋戦争敗戦の一因がある。コロナ対策でも日本の官僚機構は機能不全を起こしている。

〈米国の社会学者ロバート・マートン氏は官僚機構に潜む病理を「目標の転移」という言葉で看破した。役所内の規則は目標を実現するための手段にすぎないのに、いつの間にか規則の順守が最大の目的に置き換わってしまうという現象だ。/「一つ一つの規則に拘泥するあまり、多くの顧客に便宜を計ってやることができない」という指摘は首相―閣僚―官僚の指揮系統が働きにくい「ギルド」で暮らす医系技官に顕著にあてはまる。日本が「コロナ敗戦」と呼ばれる状況に陥った原因の一つはここにある。(中略)日本の国家公務員は2021年度で59万人。かつて政策立案と実行を一手に担った巨大な頭脳集団は精彩を失っている〉(2021年11月22日「日本経済新聞」電子版)

残念ながら危機に直面すると日本人には希望的観測で、科学的データを無視する傾向がある。『太平洋戦争』によればミッドウエー海戦(1942年6月)がそうだった。

〈図上演習も“拙速”だった。新作戦の場合、必ず図上演習を行なう。敵を過大、または過小に評価しないため、技倆は味方と同程度と予測したうえで、両軍に分かれて地図上で攻防戦を行ない、作戦計画のミス、あるいは注意すべき点を発見するのがその目的である。(評者注*1942年)2月12日から、新たに連合艦隊の旗艦となった戦艦「大和」(6万9000トン)で、第二段作戦の図演が行なわれたが、参謀たちはひとしく唖然とした。/連合艦隊の第二段作戦構想は第一段作戦に劣らず大規模なもので、アリューシャン、ミッドウェーを攻略したのち、いったんトラック島に集結。次にフィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略、機動部隊はシドニーを空襲して、再びトラックに帰航。さらにジョンストン島からハワイを攻略するというのである。/ところが、問題は審判だった。審判長は、統監と青軍(味方)司令官を兼ねた宇垣参謀長だったが、たとえばミッドウェー攻撃のさい、敵陸上爆撃機が味方空母を襲った。統監部員奥宮正武少佐(四航戦参謀)が、爆撃命中率を決めるためにサイコロをふった。日ごろの訓練成果にもとづき、高度、気象、目標などによって、爆撃命中精度のメドはたっているが、不確定要素を考慮するためにサイコロで確率を求めるのである。その結果は、「赤城」に命中弾9発と出た。とたんに、宇垣審判長は奥宮少佐にいった。/「ただいまの命中弾は、3分の1、3発とする」/9発なら沈没だが、3発なら小破である。「赤城」は再び戦列に加わった。しかし、いかにお手盛りを加えてみても、数次の攻撃で「加賀」は沈没と決まった。ところが、第2期のフィジー、サモア作戦には、沈んだはずの「加賀」が堂々と参加している〉

確率よりも指揮官の直観を重視したのである。安倍晋三政権のときの布マスク配布も市中への不織布マスクの供給予測を無視して、官邸官僚が直観を重視したために起きた悲喜劇だった。

ナショナリズムの蛇口

サイパン島が玉砕(1944年7月)した後、軍事エリートである参謀本部が戦争終結を考えるようになったのに対して、新聞は決戦を煽り、国民の士気は高まった。

〈小磯首相は、8月24日の地方長官会議で「決戦はすでに迫った」と国民の奮起をうながしたが、サイパン失陥以後、決戦態勢確立を呼びかけていた新聞は、“決戦政治”“決戦科学”“決戦議会”と唱いあげ、街には“決戦酒”なる、その実は密造酒がお目見得していた。国民の士気は高まった。生活の窮迫にともなう厭戦感が心底に消えないにしても、人々は、やがて決戦がある、真珠湾、マレーであげたあの大戦果を再現する決戦がくると語りあい、期待しあったのである。この士気の高まりを、参謀本部は歓迎しながらも、いささか当惑した。/「最近の輿論指導上注意すべき点左の如し/イ『決戦』なる言葉を妄に使用し、決戦の成果に大なる期待を懸くる如きは、失敗せる場合の為、注意を要す。/ロ、最近、観念的必勝論と合理的敗戦論と横行しありて注意を要す」/(「機密戦争日誌」10月3日)/“徹底せる対外施策”を行なおうとすれば、その初動で挫折し、“闘魂の振起”をはかれば、行き過ぎの必勝論を生む〉

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