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【石原慎太郎追悼】亀井静香「三途の川で待ってろよ」

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「政治家じゃなくて文人だ」。兄弟分からの弔辞。/文・亀井静香(元衆議院議員)

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亀井氏

ディーゼル排ガス規制、羽田空港…

石原が死んで、もう何日になるのかな。いまも思い出すたびに、ため息が出るよ。さびしいなあ。

彼は宇宙からやってきた「異星人」のような男だった。歴史をさかのぼってみても、石原のような業績を残した人物は他に思い当たらない。

彼は小説家や文化人という枠には収まらない。日本の文化を代表していた男だよ。俺からすれば「文人」という表現がふさわしいな。文明を見とおす鋭い感性を持った、当代の最高の文人だったと思うね。

だから石原は政治家ではない。文人としての感覚を持ちつつ、政治の場に顔を出した。文人として一種の遊び感覚だったんじゃないのかな。

政治というのは、ドロドロした人間関係という沼の中に、足と手を深く突っ込んで、利害調整をする仕事だ。そんなこと湘南の太陽ボーイにはできないよ。それに政治の世界では、ときに人を裏切ることが美徳にすらなる。でも石原は裏切ることもできない。それがあいつの美点でもあるけどな。

石原は政治家ではないけど、文人としての着想や正義感を政治の場に持ちこんで、思い切りのよいことをスパーンとやって見せた。

その一つがディーゼル車の排ガス規制ですよ。都知事へ就任した直後の1999年、国の役人が渋っているのを尻目に、「東京から日本を変える」とディーゼル車の規制に踏み切った。ディーゼル車は物流を担っているトラックが多かったから、産業人の感覚であれば、そんな規制はできませんよ。

文人だからこそ、自然が破壊されていることに対して、センシティブ(敏感)になったのではないかな。いま東京の空が青いのは、彼のおかげです。

もう一つ、いま羽田空港が本格的な国際空港になっているけど、これも彼のおかげだ。もし石原がいなかったら実現していないよ。

俺が自民党の政調会長だったときに、都知事だった石原が、党本部の俺の部屋にやってきて、「この大東京に国際空港がないのはおかしいじゃないか」と言うんだ。成田まで長時間かけていくのはおかしい、と。

それで意気投合して、すぐに運輸省(当時)の事務次官に電話をかけて、呼び出した。そして2人で、羽田に3本目、4本目の滑走路をつくるための調査費をつけろと恫喝した(笑)。行政の世界では、調査費がつけば、もう実現は決まりみたいなもの。こうやって首都東京に国際空港ができたんだよ。

石原は「これはおかしい」という文人の感覚で、生活に直結するいい仕事をしたわけだ。

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お互いに応援する関係

俺と石原は陰と陽

石原と初めて会ったときは、「格好はいいけど、しかしキザな野郎だな」と思ったね。向こうは神戸生まれで湘南育ち。根っからの都会派で、太陽ボーイだ。背も高いし、キラキラしていたよ。それは、歳を重ねても変わらなかったな。

それに比べて俺なんか、中国山地のど真ん中にある村の生まれで、その中でも、たった四反三畝、いちばん小さい田んぼしか持っていなかった農家の育ち。彼の育った世界には縁もゆかりもないわけだ。

じつは俺も昔は文学青年で、椎名麟三は全部、読んだ。あとは武田泰淳かな。戦後派の暗い作家ばかり。石原の小説なんか、ほとんど読んでないんだ。

『太陽の季節』がベストセラーになって、彼が一躍、時代のスターになった昭和31年、俺は東京大学の学生で、学費を稼ぐためにキャバレーのボーイや家庭教師など、いろんなアルバイトに励んでいた。髪型を「慎太郎刈り」にした太陽族もたくさんいたらしいが、俺はしなかった。この顔で似合うわけないだろ。

生い立ちから、見た目、性格まで、石原とは対照的だったけど、なぜか気が合った。「陰」と「陽」がぶつかって、“化学反応”が起きたのかもしれない。だから人間関係というのは面白いんだ。

「お前」「亀ちゃん」の関係

あいつと出会ったのは中川一郎先生との縁だった。俺は警察庁を辞めて、1979年に衆議院選挙に福田派から出馬したけど、このとき中川先生にも世話になった。中国山地の奥まで来て、応援演説をしてくれたんだ。中川さんは熱血漢で国民的な人気も高かったから、あれはありがたかったね。

だから初当選すると、当時、中川さんを中心に反共を旗印に集まっていた派閥横断の「自由革新同友会」という政治団体に参加したんだ。10人足らずの少数グループで、中川さんを支えていたのが石原だよ。付き合いはそこから始まったんだ。

あと平沼赳夫もいたな。俺と石原が兄弟分で、俺の3つ下の平沼赳夫が石原の「息子」みたいな関係になって、本当に仲が良かった。

年は俺のほうが4つ下なので、面と向かって「慎太郎」とは呼べないから、「あんた」とか「お前」と言っていた。石原は俺のことを「亀ちゃん」と呼んでいた。

お互い相手の機嫌を取るようなことはしない性格だから、ぶつかることは何度もあった。水をかけられそうになったこともあったよ。

「お前が書いた処女作には、障子に男のシンボルを突っ込むという、当時は誰も小説の題材にしたことのない描写がある。あの『太陽の季節』は当時の若者たちを象徴する、ある意味では時代を象徴した衝撃的な文学作品だったと俺も思う。しかし、あとはなんてことねえな」

俺がこう言ったら、「何だと!」と石原が怒って、水の入ったコップを持って立ち上がったから、このときは俺もギョッとなったよ。

そんなこと言われたら、そりゃ怒るよな。それに俺は、さっき言ったように暗い小説ばかり読んでいたから、『太陽の季節』もろくに読んでいなかったし、他の作品なんて全然、知らないんだよ(笑)。

まあ、そんな酒席の放言ばかりではなくて、政治思想の違いから激論を戦わせたことも少なくなかった。

たとえば天皇制では意見が大きく違った。俺は、日本は天皇の存在があってはじめて、国家として存在していると考えている。でも石原の場合は、俺から見ると西欧の君主制に近いイメージを抱いていたように感じるな。

このように相いれない点があれば、お互い妥協しないから、火花が散るような議論になった。いってみれば真剣で立ち合っているようなものだ。木刀じゃない。お互い真剣で斬るか、斬られるかという議論を何度もしたものだ。

でも石原はじつに気持ちのいい男で、衝突しても後に引きずらないんだ。あいつも「亀ちゃんはいい男だ」と、いろんな人に言ってくれていたようだしね。お互いに惚れ合っているようなところがあるんだよ。石原のファミリーがヤキモチを焼いて、葬式に俺を呼ばないぐらいの仲なんだ(笑)。

いくらコロナの感染が拡大しているとはいえ、最近まで雑誌で対談連載をしていたのだから、普通は俺を呼ぶものだろ。

そういえば、その対談が盛り上がって、当時、首相だった安倍晋三に発破をかけに行こうと、実際に首相官邸に押しかけたことがあった。

控室でずいぶん待たされて、ヒマを持てあましたから、2人で「昭和維新の歌」を熱唱したのは楽しい思い出だな。五・一五事件で犬養毅首相を射殺した海軍中尉、三上卓が作った歌だよ。

大声で歌っていたら、開いているドアの向こうで、官邸スタッフが目を丸くしているのが見えた(笑)。

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石原氏

「裕次郎よりうまいんだ」

歌といえば、俺は歌うのは好きだけど、音痴なんだよ。石原はうまいんだ。でも俺とは逆に積極的に歌うことはなかったな。たまに歌うのは、鶴田浩二の「赤と黒のブルース」とかムード歌謡。裕次郎の曲は歌わないんだよ。「俺は裕次郎よりうまいんだ」とか言って。

俺には専属のバンドがいるんだ。カラオケは嫌いだから、生演奏で歌うんだけど、あいつは、そのバンドをこうほめたことがある。「あんたたち大したものだね。亀ちゃんの歌に合わせるんだから」って。

俺が「この歌で女性陣が泣いたんだぜ」と自慢したら、石原がなんと答えたと思う? 「それは亀ちゃんの歌が、あんまりにも下手で可哀想だからだよ。哀れんで泣いたんだ」とか言いやがったな。

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