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免疫を助ける薬とは 「熱は友だち」「下痢は止めない」を常識に 長谷川秀樹(国立感染症研究所インフルエンザ・呼吸器系ウイルス研究センター長)×渡辺賢治(修琴堂大塚医院院長) 構成・森省歩

長谷川秀樹(国立感染症研究所インフルエンザ・呼吸器系ウイルス研究センター長)✕渡辺賢治(修琴堂大塚医院院長)、構成・森省歩

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長谷川氏(左)と渡辺氏(右)

「人類としてはかなり幸運」

渡辺 長谷川先生にお目にかかるのは、インフルエンザと漢方薬に関する共同研究でご一緒して以来、10年以上ぶりになりますね。おかげさまで、あの時は動物実験ではありますが、インフルエンザ感染による肺炎を、「補中益気湯ほちゅうえっきとう」(漢方薬)が抑制し、死亡率を低下させることを確認することができました。先生はその後もずっと感染研(国立感染症研究所)にいらして、この2年あまりは大変だったでしょう。

長谷川 本当にいろいろなことがありましたね。私の場合、漢方医として臨床経験が豊富な渡辺先生とは違い、もっぱら感染研でインフルエンザワクチンの開発をはじめとする基礎研究に携わってきました。北大の院生時代を含めると、30年近く感染研で仕事をしてきたことになります。今日は、新型コロナウイルス感染症に対してどのような漢方治療を行ってこられたのかなど、先生からお話をうかがうのを楽しみにして来ました。

渡辺 この対談の前日に、国内初となる新型コロナワクチンについて、塩野義製薬が6月にも承認申請をするというニュースが流れました。先生はこの国産初のワクチン開発にも携わってこられたんですよね。

長谷川 そうです。日本で最初の感染者が確認された2020年1月以降、感染研では、感染の有無を調べる「検査」、「治療薬」、そして「ワクチン開発」の三本柱で対策に取り組んできました。このうち私が担当したのがワクチン開発で、20年2月に厚労省から打診をされてすぐに研究班を立ち上げたんです。私たちが開発に関与した国産の新型コロナワクチンは、塩野義製のほかにも、KMバイオロジクス製も最終段階の治験がすでに始まっています。

渡辺 いずれも、ファイザー製やモデルナ製などのメッセンジャーRNAワクチンではなく、従来からあるタイプのワクチンですね。

長谷川 はい。病原体となるウイルスの成分を合成して用いる遺伝子組み換えタンパクワクチン及び感染能力を失わせた不活化ワクチンです。開発に着手した当時、国内ではメッセンジャーRNAワクチンの製造を可能にする知見や技術が限られていました。

これはほとんどの人がご存知ないと思いますが、1年もしないであれほど有効なワクチンが開発できたのはミラクル(奇跡)だったと思うんです。実は、パンデミックの直前に、ちょうどメッセンジャーRNAを使ったHIVとかエボラ出血熱のワクチンが人に打つ段階まで開発が進められていた。その歴史の偶然がなければ、もっと多くの人が亡くなっていたでしょう。その研究開発をやっていたのがモデルナとビオンテックだったのです。

渡辺 タイミングがよかった。

長谷川 人類としてはかなり幸運だったと思います。10年前だったらとても無理でした。100年ぶりのパンデミックということで承認も早かった。副反応で熱が出るワクチンなど普段の時期だったら承認されなかったでしょう。

渡辺 国産ワクチンの開発は誰もが待ち望んでいましたが、なかなか実現しませんでした。しかし通常、ワクチンの開発から承認までには10年くらいかかります。長谷川先生としては「ようやくここまで漕ぎ着けた」というお気持ちでしょうね。

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国産ワクチン事始め

長谷川 今回の塩野義製ワクチンの場合、実験に最適な動物を探し出すウイルス感受性のテストから始めなければなりませんでしたからね。この2年半を振り返ると、私にとっては「ようやく」というより、こんなに早くよくできたなというのが正直な感想です。開発開始から1年も経たない20年12月には、最初の治験にまで漕ぎ着けましたから。

渡辺 開発は異例のスピードで進められてきたということですか。

長谷川 そう思いますね。「遅い」という声もあることは承知していますが、今後のパンデミックに備えて役に立つ研究開発になるだろうと思います。

渡辺 先生の本来の研究であるインフルエンザですが、この2年あまり、国内でまったく流行しなかったのは世界的に珍しいそうですね。

長谷川 ええ、私はWHO(世界保健機関)のワクチン株選定会議に出席していますが、日本から持っていくデータがなくて困るほどでした。次の流行期のワクチンに使用するウイルス株を選定する大事な会議なのにこんなことは初めてです。欧米や中国では、コロナ禍でも流行がみられましたから、日本だけ流行がない理由ははっきりしません。考えられることはまず鎖国していること、それからマスクなどの感染対策が効いているのでしょうが、当初はコロナと二重感染を起こすかもしれないと覚悟していましたから、ちょっと不思議に思っています。

熱は友だち

渡辺 この2年あまり新型コロナウイルスの変異を観察し、症状の変化を見てきて、あらためて感染症とはこういうものかと学ぶところがありました。日本では今、新型コロナに対する3回目と4回目のワクチン接種が進められていますが、これもウイルスの変異に合わせて、接種の目的が変わってきたからですね。

長谷川 そういう面がありますね。もともとモデルナ、ファイザーのワクチンは感染予防ではなく、重症化予防を目的としたワクチンなのですが、それでも1回目から3回目までの接種では、重症化予防効果とともに相当程度の感染予防効果も期待されていました。しかし4回目については、若い人より高齢者でより有効性が示されているので、高齢者の重症化を予防しようと目標を絞り込むことになりました。

渡辺 その点はウイルスの性質の変化に関係があるわけですね。

長谷川 あると思いますね。武漢株やアルファ株やデルタ株は「上気道」(鼻と喉)だけでなく「肺」で増殖することがありました。鼻や喉が痛くないのに、自覚症状のないうちに肺炎が進行して血中酸素飽和度が低下しているから怖かった。ところが現在のオミクロン株は主に上気道で増殖しますから症状がわかりやすい。これはウイルスが棲みつく場所を変えたからです。その結果、新型コロナも季節性のインフルエンザや風邪とまでは言えませんが、肺炎による重症化のリスクがかなり低減されたとみられるのです。

もしかしたら、風邪の原因として知られる4つの季節性コロナウイルスも、ヒトに入ってきた当初は肺炎を起こす強毒性のものだったのかもしれません。徐々に感染部位が肺から上気道に移っていき、現在のような風邪になったのではないかという推察もできます。逆に鳥インフルエンザが致死的な肺炎を引き起こすのは、鳥から直接ヒトに入ってくるからですね。

渡辺 人類とウイルスとの悠久の関係史を想起させるお話ですね。

長谷川 長い歴史を背景にしているという意味では、漢方にも重なってくるのではありませんか。

渡辺 はい。古代中国生まれの漢方は、さまざまな感染症と闘いながら育まれてきたようなものですから。実は感染症の治療は漢方の得意分野なのです。ただ、西洋医学とはちがい、漢方は、細菌やウイルスそのものをターゲットにするものではありません。一言で言えば、人体に本来的に備わっている免疫力などの生体防御機能を引き出すことによって、あらゆる感染症に対処する。ですからアルファ株、デルタ株、オミクロン株と変異してきましたが、症状の出方が違うのでそれに応じて使う漢方薬も変化しています。アルファ株は肺胞で増殖するので症状が分かりにくく、重症化リスクが高かったですが、オミクロン株は上咽頭で増殖するため、発症がわかりやすくかなり御しやすくなりました。

長谷川 渡辺先生が新型コロナの最初の患者さんを診られたのはいつ頃のことですか。

渡辺 第1例を経験したのは20年4月、いわゆる第1波の時です。この時は世界で最も早く大流行が始まった中国・武漢でその効果が確かめられていた「清肺排毒湯せいはいはいどくとう」(中国の公認治療薬)という新しい漢方薬を処方しました。ただし、中国で緊急開発された清肺排毒湯には日本では入手しにくい生薬がいくつか使われていたため、台湾にいる知人の医師らに生薬を送ってもらった上で調合しなければならないという苦労がありました。また、中国での規定投与量は多すぎると考えられたため、日本での投与量を3分の1に減らすという工夫も必要でした。

清肺排毒湯

清肺排毒湯

長谷川 患者さんはどのような症状を訴えておられました?

渡辺 最初の患者さんは、自宅待機を命じられていた50歳代の男性でした。当時は抗ウイルス薬による治療は確立されておらず、パルスオキシメーターの数値も少しずつ低下しつつあるということでしたので、いつでも入院できる態勢を取ってもらいながら、清肺排毒湯をご自宅に急送しました。

長谷川 結果はどうでしたか。

渡辺 服薬した日の夜、これまでにないくらい発熱して咳も悪化。腹部の膨満感と咽喉の腫れもひどくなって、「もうだめか」と思ったそうです。ところが翌日には熱が38度台に下がり、気分もすっきりしてきたとのことで、ご本人から「夜中はさんざんでしたが、朝にはもう治ったみたいです」とのお電話がありました。ちなみに翌々日、熱は37度台にまで下がり、その後、完全に解熱、回復しました。これが漢方の治り方です。すなわち、発熱などの不快な症状はウイルスを排除するための生体が持っている力で、それを最大限に引き出せれば短期間で治癒に導くことができます。

長谷川 発熱によってウイルスが排除されたということですね。

渡辺 その通りです。1800年前の後漢末期に書かれた漢方の古典『傷寒論』にも、感染症に対しては、「熱を上げる」ことが肝要と書かれています。病原微生物は熱に弱いからです。十分に熱が上がらない場合は、お粥をすすれとか、布団をかぶれとか、熱を上げる対処法もいろいろと書かれています。コロナ患者さんの中には、「解熱剤ください」という人が多いのですが、漢方医としては、「解熱剤を安直に服用しないでほしい」というのが本音です。

漢方では、「下痢」や「嘔吐」も止めてはいけないものとされています。これは容易に想像がつくと思いますが、ウイルスや細菌を体外に排除するための、生体が持つ仕組みだからです。事実、ノロウイルスは下痢をするだけでも治ってしまいます。

長谷川 とすれば平熱が低めの人は新型コロナからの回復も遅いということになりますか。

渡辺 一般的に、高齢者や体力のない方は、漢方治療でも熱が出にくく、そのぶん治りが遅くなる。免疫の過剰反応は起こしにくいので、重症化のリスクは少ないですが、後遺症が残りやすいのも、熱が十分に上がらない方です。要するに漢方では「熱は友だち」であり、発熱はカラダがウイルスを退治している証拠なのです。

長谷川 西洋医学の最新の知見から考えても、『傷寒論』の指摘は理にかなっていますね。インフルエンザや新型コロナに代表されるRNAウイルスがヒトの体内で増殖する際、ポリメラーゼと呼ばれるRNA合成酵素が働くのには至適な温度があります。新型コロナウイルスが肺から上気道に棲み処を変えたのも、この熱を避ける変異の可能性もありますね。つまり、発熱はウイルスの増殖も抑制することに役立っている。

渡辺 なるほど、何やら強力な援軍を得た思いです(笑)。

長谷川 渡辺先生が診てこられた新型コロナの患者さんの延べ数はどれくらいになりますか。

渡辺 外来で診てますので、今の基準でいう、酸素飽和度93くらいまでの軽症から中等症Ⅰまでの方ですが、50人くらいになります。

長谷川 重症化してしまった患者さんは?

渡辺 幸い一人もいません。

長谷川 それは凄いですね。ウイルスの変異に応じて漢方薬の処方も変わってくるのでしょうか。

渡辺 発熱などを促して生体防御機能を引き上げるという漢方の治療原則は変わりませんが、アルファ株では肺炎を起こしている可能性が高かったので、清肺排毒湯を使うことが多かったです。デルタ株になって、上気道症状が少し出るようになりましたが、オミクロン株は上気道症状が発病初期に出るため、感染初期に漢方治療ができるので、「葛根湯かっこんとう」や「麻黄湯まおうとう」など、通常の感冒でよく使う漢方薬で対応しています。

長谷川 渡辺先生はスタンフォード大にも留学された免疫学の専門家でもいらっしゃいます。免疫学の視点から言うと、大きく分けて「自然免疫」と「獲得免疫」で構成されるヒトの免疫システムのうち、漢方薬は主として外敵への最初の防御機能としての自然免疫を活性化するということになりますか。

渡辺 初期はその通りです。冒頭で触れた長谷川先生との共同研究でも、感染させたマウスに補中益気湯を与えると、サイトカイン(生理活性物質)が分泌され、自然免疫力の上昇が見られました。

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スプレータイプのワクチン

長谷川 こういう譬えがふさわしいかわかりませんが、漢方薬はヒトの自然免疫をスタンバイ状態に導くということのようですね。

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