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“世界一貧しい大統領”日本人への警告「成長を求めるな、幸せを求めよ」|ホセ・ムヒカ

10月20日、健康上の理由から上院議員を辞職し、事実上の政界引退を表明したウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏(85)。清貧な暮らしぶりを貫いた「世界一貧しい大統領」は2016年4月に初来日した際、日本人へあるメッセージを残していた。/取材・構成=中村竜太郎(ジャーナリスト)
(注:記事に登場する年齢・肩書等は当時のままです)

<この記事のポイント>
●大統領が一握りの金持ちと同じ生活をしてたら国で何が起こっているかわからなくなる。国民の生活レベルが上がれば、私の生活レベルも上がる
●多くの矛盾をはらんだ時代を生きる私たちは、「私たちは幸せに生きているのか」を自らに問わねばならない
●西洋化された消費文化、経済成長に躍起になったことによって日本の良い文化が埋葬されてしまった
●変わるものだけが生き延びられる。生きることはすなわち変わることだ

「世界一貧しい大統領」が見た日本

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「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏は、2012年ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連会議で聴衆に向けてこのように語りかけた。188カ国から首脳と閣僚級や政府関係者などが参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたこの会議。約8分間のスピーチが終わると、静まりかえっていた会場は一転して、大きな拍手に包まれたという。

この日の演説をきっかけに一躍時の人となったムヒカ氏は、質素な暮らしぶりでも注目された。大統領公邸には住まず、首都モンテビデオ郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と2人暮らし。1987年製のフォルクスワーゲンをみずから運転し、公用車に乗る時も、決して運転手にドアの開け閉めをさせない。給与のほとんどを寄付し、月1000ドルで生活しているという。個人資産はくだんのワーゲンと自宅と農地とトラクター。その暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれている。

現在は大統領を辞し(2015年3月で任期5年満了)、一国会議員となったが、暮らしぶりはずっと変わらない。そんなムヒカ氏が今年4月に初来日し、小誌の単独インタビューに応じた。「世界一貧しい大統領」は、現在の日本をどのように見たのか。

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まずは、質素な生活ということで注目されたことについてたずねると、ムヒカ氏は「いやいや」と首を横に振りながら、こう続けた。

ムヒカ 多くの人は、大統領は豪華な生活をしないといけないと思い込んでいるのでしょう。けれど私はそう思わない。大統領も国民のひとりにすぎない。私は料理もするし皿も洗う。買い出しにも行く。毎朝、犬のマヌエラに餌をあげるのも私の役目。私は独立広場のベンチで、ひとりでマテ茶を飲むが、たくさんの人が話しかけてくる。警備に困るなんていわれても、かまわない。大統領が一握りの金持ちと同じ生活をしていたら、国で何が起こっているかわからなくなる。国民の生活レベルが上がれば、私の生活レベルも上がるだろう。それがいいんだ。人気が欲しくてこんなことを言っているわけではない。何度も考え抜いた末の結論なんだ。

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本名ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ。1935年5月20日、スペイン系の父とイタリア系の母の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。7歳の時に父親が亡くなり、家庭は裕福ではなかった。家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、社会運動に目覚め、極左武装組織に参加。独裁政権下でゲリラ活動に従事する。ゲリラ活動中には6発の銃弾を受け、4度の逮捕を経験。最後の逮捕では、1972年から85年に釈放されるまで約13年間の過酷な獄中生活を送った。換気口もトイレもない、2メートル×1.4メートルの独房に監禁されたこともあるという。

ウルグアイの民主化とともに恩赦で釈放。その後、左派政治団体を結成し、1994年に下院議員選挙で初当選。2010年、大統領に就任した。

子供時代に出会った日本人の思い出

ムヒカ 私は首都モンテビデオ郊外の農村で生まれた。そこには日本人移住者が住んでいた。最初はタカタさんという家族。あと、オオノさんやチバさん、彼らはみんな、花の栽培をしていた。当時日本人は50人程度かな、ウルグアイ人も日本人の園芸農家で働いていた。

タカタさんの奥さんは、地域のリーダーでみんなから愛されていた。みんなの仲を取り持ったり、仲人をしたり。私の母親はタカタさんの奥さんと仲が良かった。面白いと思ったのは、彼らの生活スタイルは純日本風だが、どちらかといえば女性が主導権を持っているようにみえたことだ。女性がきびきびしているというか、もしかしたらウルグアイ人のスタイルを真似て、日本人女性が活発になったのかもしれない(笑)。

タカタさんはウルグアイで成功していて、日本から花の栽培の専門家を呼び寄せていた。そこで働いていたウルグアイ人を通じて私も技術を教わり、一通り園芸を学んだんだ。子供の頃に日本語をこの耳で聞いていたんだよ。

記憶に残っているのが、オダさんという日本人の男性。地元のバル(居酒屋)でのことだ。あるとき中国が水素爆弾を爆発させたというニュースが飛び込んできた(注・中国は1967年に初の水素爆弾実験に成功)。まだ毛沢東が生きている時代だった。オダさんは第2次世界大戦の時、船の機関士をしていたそうで、軍国主義の日本の信奉者というか、古い国家への忠誠心を持っていた人だった。ところが水爆実験のニュースを聞くと、「中国が爆弾を作ったのはまんざら悪くない。そうしないと黄色人種はいつも欧米に服従させられる。上から押し付けられる立場になってしまう」と言ったんだ。元日本軍人で、中国シンパでもなかったのに、そんな発言をしたのには驚いた。

最初は、日本国内のことについてはあまり知らなかった。それを知ったのは工業製品を通してだ。1956年ぐらいにトヨタの小型トラックがウルグアイに輸入され、その後に入ってきたのがバイク。ヘッドライトがモダンな感じのやつで、イギリスやドイツのバイクとはまったく違っていた。けれど当時は日本製でも粗悪品が出回っていて、品質に疑いを持っていた。その後、どんどん品質も良くなってきて、日本のイメージも変わった。やがて、どんな国かはっきりとわかるようになったんだ。

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日本から学ぶべきことは多い

その後、読書を通じて日本の歴史を勉強するうちに、日本の開国にアメリカが大きな影響を及ぼしたということを知った。鎖国していた江戸幕府をアメリカのペリーが開国させたことだ。それから日本は西洋の影響を受け、一気に西洋化が進んだということも知った。面白いと思ったのは、明治維新だよ。幕府の将軍や藩主たちも、西洋諸国と戦っても意味がない、開国をしたほうがいいという決定をしたね。これこそが政治家の決断だ。それは非常に賢い選択だった。その決断から半世紀の間に、日本は近代化を成し遂げた。その変遷が大変興味深い。当時の政治家の意思決定は感心に値するよ。

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