見出し画像

夏目三久さんのこと|中野信子「脳と美意識」

★前回の記事はこちら
※本連載は第30回です。最初から読む方はこちら。

 あるテレビ番組で、はじめてお目に掛かったとき、美しい人がいるな、ではなく、不思議な空間があるな、と思った。どうも、夏目さんのまわりの空気だけ、手ざわりが違うような感じがするのだ。ひんやりと澄んでいて、心地よい。高原の秘密の森の中を散歩しているような……といったらあまりに詩的すぎて、本人が恥ずかしがってしまうかもしれないけれど。

 容姿の良さはもちろん画面越しにも伝わるものだから、彼女がどれほど魅力的な外見を持っているかについては、私がわざわざ書くまでもなく、衆人の能く知るところだろう。背が高く、小顔でほっそりとして、ショートヘアのよく似合う、笑顔のかわいい、愛らしい人である。

 なんといっても素晴らしいのは声である。「鈴をころがすような」とか「鈴を振るような」という表現があるけれど、それはきっとこの人の声のような響きをいうのだろうな、と思った。夏目さんの声が聞こえてくると、うっとりと聞き惚れてしまい、ずっとそこにいたくなってしまう。電波に乗せるにはどうしてもカットオフがあるから、限られた周波数の範囲内でしかあの美しい声をみなさんに聞いていただけないというのは実にもったいないことだと思うのだけれども、それでも、放送で流れる声でさえ、どことなく神秘的な調子がある。いわんや、生で聞く夏目さんの声がどれほど素晴らしいことか。無機的なニュース原稿を読んでいるのもよいのだけれど、個人的には、美しい詩や物語を夏目さんの声でもっと愉しみたいなと思ってしまう。

 夏目さんの持っている独特の空気感をお伝えするのは難しい。その人の匂いや微細な表情の変化は、画面には映らないし、佇まいのゆかしさや折り目正しい品の良さも十分には伝わり切らないかもしれない。多くの人が知りたいのは、やはり夏目さんの人柄についてではないかとも思う。いかに容姿や声などフィジカルな要素が美しくても、内面はどうなのだろうと気になる人も少数ではないだろう。

 放送されることのない、スタジオに入る前の様子や、番組後の雰囲気など、あまり公にすべきことでもないし、文章でどこまで伝えられるかというところではある。が、一言でいえば、夏目さんはいつも「きちんとしている」。「きちんとしている」というのは、整理整頓がされていないと落ち着かない人であるとか、潔癖症だということではなくて、人間として「してはいけないこと」の感覚がちゃんとしているのだ。

 心が痛むニュースを読まなければならないとき、夏目さんは自分も本当に心を痛めてしまう。あるいは、誰かが誰かのためにさりげないやさしさを見せたりするとき、夏目さんは他人のことであってもそれに感じて目を潤ませてしまう。また、不当に誰かを責め立てようだとか奪いとろうだとかする悪意を見て取れば、それに対して凛とした態度をとり、かえってその相手が恐縮してしまうような、静かな威厳とでもいうべき素地を持ってもいる。

 言葉にしてみると、できそうなことばかりかもしれないが、案外これが難しいもので、夏目さんほどきちんとできている人というのは本当に珍しいように思う。

 たいていはどこか妥協をして、世に棲む身として折り合いをつけているものである。またそうしなければこの世の中を生き延びてはいけないという世知辛さもある。そんな中、しかもテレビという場所で活躍していながら、こうした世の風潮に染まらずにまっとうな感性を純粋に保ち続けていられるというのは、稀有なことである。これを育ちの良さという人もいるだろうし、それこそが夏目さんの知性であり教養だという人もいるだろう。また、人柄の良さというのはこういうことだという人もいるだろう。こうあるためには、その人の中に確とした基準がなければならず、その領域は脳においては前頭前野の内側にある。たしかに、この領域を育てるには、家庭環境や教育水準など一定の質が求められるから、これは育ちの良さや知性と表現するにふさわしい資質であろう。

 夏目さんの周りだけが、時間を超えて存在しているような感じがするのはこのためなのだろうと思う。世俗のものとは異質なほど澄んでいて、出会う人を虜にせずにはおかない夏目さん。彼女は自ら大きな声で触れ回るような人ではないけれど、その人としての美しさ、振る舞いの基準となる知性を、多くの人がもっと吸収していけるといいなと思っている。

(連載第30回)
★第31回を読む。

■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

「文藝春秋digital」は2023年5月末に終了しました。今後は「文藝春秋 電子版」https://bunshun.jp/bungeishunju をご利用ください