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【連載】EXILEになれなくて #10|小林直己

第二幕 EXILEという夢の作り方

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四場 EXILEの口癖 

 EXILEのことを語る時、よく使われる言葉がいくつかある。「Love, Dream, Happiness」「日本を元気に」といったスローガンはもちろんのこと、「絶対負けない」「ピンチはチャンス」などである。言葉を口癖、いや、合言葉のように口にすることにより、 辛い状況を打破し、メンバー同士も鼓舞し合ってきた。

 水商売、という言葉があるように、芸能界、ひいては人気商売というのは、とても不安定なものだ。そして、僕たちの音楽はときにJ-POPと呼ばれるが、その“ポップ”の言葉通り、Popular (ポピュラー : 人気のある、 評判の良い)であることが条件であり、最も移ろいやすいものの一つである。明確な指標がないまま、作品を通じ、世の中との対話を繰り返す中で、評価を受けていく。その上で、この業界の特徴でもあるのが、その商品が、生きている人、だということだ。

 誰もが、変化を繰り返し、成長していく。アーティストは、それを商品に変えていく。それぞれが自らのリズムを持ち、プロとして技術やキャラクターを高め、評価に変えていく。そんな活動を受け取った人の中で生まれた感動や元気は、数字で表すことはできない。一方で、アーティストは常に批評の目に晒されているので、「現状維持は、停滞ではなく後退」とも言われたりする。そして同時に「あの人は変わってしまった」とも。世の相対的評価が自らを表すことに対し、時に自分自身を見失ってしまうことすらある。 

 14人体制へとEXILEがメンバー編成を変えた2009年頃、EXILEの会員専用サイトが、ネガティブな意見であふれたことがあった。「なぜ 14人にしてしまったのか」「7人の EXILEが見たい」などといった多くのファンの思いが書き込まれ、さすがのオリジナルメンバーも、辛い表情をしていた。もちろん、メンバーも、「7人が14人になった」という発表だけで、この先に見据えているビジョンを、全て共有できるとは思ってはいなかった。数年後に、HIROがこの頃を思い返し、予想を上回る数の辛らつなコメントに、これほどまでに逆風が吹いてしまうのかと、当時を振り返り、苦笑いを見せたことがあった。

 そんな逆境の中ではあったが、僕たちはまっすぐ前を見据え続けた。HIROはメンバーに告げた。「でも、それだけ注目されているということだから。予定されている、この後の 14人の初めてとなるツアーで、しっかりと新たなEXILE、そして、この人数増加の意味を伝え、感じてもらうことができれば、この逆風は追い風に変わることになると思う。ピンチはチャンスだから」。 

 この「ピンチはチャンス」という言葉は、EXILEの活動において、度々登場し、重要な局面を乗り越えるキーワードのようなものだ。前身であるJ Soul Brothers時代でも、出会いがグループを進化させている。EXILE第二章の始まりでは、AKIRA、そして新ボーカル加入に向けた全国オーディションを開催し、新たな世代のヴォーカルであるTAKAHIROが加わった。そのオーディションは、日本全国を巻き込んだものであった。メンバーの危機感をもさらけ出しながらも志を伝えることに。オーディションの前面に敢えて「危機感」を出すという発想の転換は、振り返ると、まさにEXILE劇場といっても過言ではない。この出来事が、第二章のスタート・ダッシュに向けた起爆剤となった。 

 賛否両論、批判を恐れず、守りに入らない。一生、攻め続け、安住しない。破壊と創造を繰り返すEXILEスタイルは、14人での初となるアリーナツアーの演出にも反映された。オープニングで巨大な大神殿に登場したオリジナルメンバーが、「THE NEXT DOOR」という曲で登場。その神殿を自らの手で壊し、次への扉を開くと、2曲目にはEXILE14人体制のスタートを切った「Someday」で再登場、14人での初パフォーマンスを見せた。まさに、「体感できるストーリー」として体制の変化を、観客と共有したのだ。「あれから数え切れないほど夢を叶えてきたけど」というフレーズを歌うこの曲は、次世代に夢を本気で繋ぐために、新しくメンバーを加入させ、人数を増やしていくという、アイデアとEXILEの決意が込められたメッセージであった。 

 グループを生み出したメンバーだけで活動し、グループをいずれ終えていくのではなく、EXILEを「夢が叶う場所」として残していくために。人と人の出会いが夢を生み、夢が夢と新たな出会いを生み出し、広がっていく思いの連鎖をつなぐために。そして、芸能界や「Popular」の、賞味期限があるという永遠の宿命を超え、無限に夢を広げていくために。EXILEは、ひとつのアーティストグループを超え、「生き方」となった。

 だからこそ、 EXILEに加入した私は、早くEXILEにならなければいけなかった。メンバーになったからといっても、私はまだEXILEの「生き方」ではなかった。EXILEとは、「生き様」のことで、それは決して、 立場や職業やジャンルなどではなかった。ただ、組織にいるだけでは、メンバーの資格はない。EXILEになること、EXILEでい続けることへの努力が必要である、とオリジナルメンバーの言葉と活動を見ていて、感じていた。

五場 SHOKICHIのセカンド・チャンス

 同じく、「ピンチはチャンス」「絶対負けない」を地でいくメンバーがいる。 ヴォーカル&パフォーマーとして、EXILE、そして、第2世代であるEXILE THE SECONDを牽引するSHOKICHIは、TAKAHIROが選ばれたVOCAL BATTLE AUDITION ~ASIAN DREAM~に参加していた。学生時代から、バンドを組み、音楽にのめり込んだ彼は、その後、コーラス・グループや、ソロ・シンガーとしての経験を積みながら、いつか、プロのアーティストになるべく、鍛錬を積んでいた。

 オーディションでは、地元・北海道で行われた一次審査に参加し、高い歌唱力と、EXILEヘの熱き思いを印象付け、東京で行われた三次審査にまで進出した。しかし、惜しくも決勝には残ることができなかった。オーディションを終えた彼は、帰路につく飛行機の中で、羽田空港から離陸したあと、東京の街を空から眺め、「(今に)見てろよ、東京」と、悔しさを次に進むモチベ ーションに変え、心の中で必ずここに戻ってくるという決意を固めたという。

 そこからがSHOKICHIのすごいところだ。北海道に戻った後も、彼の決意の炎は消えることなく、むしろ、より熱く燃やした。さらに歌のレベルを上げるべく、札幌に開校したばかりのLDHのヴォーカル・スクール、EXPG STUDIO SAPPOROに通い始め、歌の技術を磨くとともに、LDHへのアピールも絶え間なく行っていた。そんな活動は、東京にまで轟き、EXILEメンバーが札幌校へ来校する際には、その場へ呼ばれたりするほどであった。彼は、オーディションに落ちてしまったピンチを確実にチャンスに変えていったのだ。その後、彼は 2007年に結成された、二代目J Soul Brothersのヴォーカルに選ばれ、2009年 に、EXILEに加入した。タイミングは違えど、当初オーディションを受けた時の目的を達成し、 「EXILEになる」という夢を叶えたのだ。 

 叶わなかった夢でも、ひたむきに取り組んだその経験は、必ずどこかで役に立つ。そして、形を変えて叶う夢がある。それらを教えてくれたSHOKICHIに、僕は憧れている。彼のまっすぐな瞳と、ひたむきな姿勢は、周りの人を巻き込んでいく。自然と応援したくなるのだ。自らの夢を追いながらも、他人を思いやるSHOKICHIの姿が、そんな気持ちを抱かせてくれるのだが、そうした人間性は彼自身が歩んできた道のりや経験から、身につけていったものではないだろうか。優しさと強さが同居した素晴らしい人間性。それは、彼のアーティストとしてのキャラクターにも表れている。未だなお、進化の過程にいる SHOKICHIの姿は、これからもたくさんの人の目を惹きつけるだろう。かくいう、私もその一人である。

(# 11 につづく)

■小林直己
千葉県出身。幼少の頃より音楽に触れ、17歳からダンスをはじめる。
現在では、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSの2つのグループを兼任しながら、表現の幅を広げ、Netflixオリジナル映画『アースクエイクバード』に出演するなど、役者としても活動している。

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