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【連載】EXILEになれなくて #13|小林直己

第二幕 EXILEという夢の作り方


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八場 パンとRAG POUNDとEXILE AKIRA

 その頃の僕は、ちょっとやそっとのことじゃビクともしなかった。

 もちろん、ダンスの練習場所としてスタジオなんて借りられるほど、金銭的に余裕があるわけはない。地元の駅前の建物、それも窓ガラスに姿を映しては、真冬にだって大粒の汗をかくほど練習していた。近くの公園の水道の水をがぶ飲みしては戻って、の繰り返し。それは、東京に出てからも同じだった。

 新宿のビルのガラスに同じように姿を映し、200円で何本も入っているパンの大袋を買って、夜中から朝方まで練習をしていた。いや、練習というような、そんな真面目なもんじゃないかもしれない。言葉にしきれない衝動に身を任せ、4時間も5時間もずっと踊り続けていた。

 実家を出て一人暮らしを始めると、バイト代で全てを賄わなければいけなくなった。しかし、急遽入るイベントやその練習、オーディションなどに対応できるよう、自らスケジュールを調整しなければならなかった。何の能力もない自分にもできる、時給の高い定期的なバイトなんて入れることができず、日雇いのバイトに登録した。すると、年齢や体格のせいか、いつも引越しや工事現場に派遣されることばかりだった。体力はあったから良かったけれど、一年中お腹が空いていたことは事実だ。

 ある時、次の給料日まであと100円で過ごさなければいけなくなった。家にあるのは塩や胡椒などの調味料と、残り少ないマヨネーズ。肉体系の日雇いバイトを終え、夜中に家に帰る。いつも、安売りスーパーの閉店時間には間に合わなかった。

 空腹に目を回しながら帰っていると、安売りスーパーの前に、納品したてのパンの山があった。今だからこそ、ここで正直に言う。そのパンを盗んでやろうと思ったことがあった。それぐらい、空腹で思考がおかしくなっており、また、お金もなかったから空腹を満たす方法が思いつかず、切羽詰まっていた。あと一歩のところで踏みとどまれたけれど、そんな思いがよぎってしまったことがある。結局、家の近くにあった100円ローソン(この時期は大変お世話になった)に寄り、なるたけ量の入ったパスタを選び購入し、家でできるだけ膨らむように茹で(もちろん、コシはなくだるだるになっている)、マヨネーズと塩をかけ、食べた。

 そんなふうに食費さえ捻出できない生活だったけれど、ダンサーとしての活動は止めなかった。知名度を上げるべく、様々なダンスバトルイベントに出場しては、名を上げよう、良い成績を残そうと必死に戦った。

 あるダンスバトルイベントで初めて準優勝をした時、1人のダンサーに声をかけられた。当時、ビデオで何度も見ていた、有名なダンサーだ。「いいダンスしてるね。お前のジャンルと同じものを俺らも踊っているんだけれど、今度ショーを観に来ないか?」。当時、僕はまだ日本では珍しかった「KRUMP(クランプ)」という、LA生まれのダンスにシンパシーを感じ、動画を探しては見よう見まねで独学で踊っていた。その踊りを踊っているダンサーが他にもいるという。周りでは僕一人で練習していたから、同じジャンルのダンサーが日本にいること、そして、憧れていた先輩から声をかけられたことが素直に嬉しかった。

 指定された日時に指定された場所を訪れた。池袋に当時あったBEDというクラブ。ここは、かなりハイレベルなダンサーが集まる場所であり、特に、それぞれがそのジャンルのダンスの本場に足を運んでいたり、そのカルチャーや空気感を大事にしている人が多く、……いや、ここは率直に言おう。……見た目が怖い人たちが多かった(笑)。僕も、なめられないようにと顎を上げ、目線を鋭く、堂々とした姿勢を心がけた。内心、めちゃくちゃビビってはいたのだけれど。

 数組のショーに続いて、声をかけてくれたダンサーがいる、目当てのチームのショーが始まる。カーキの Dickies(ディッキーズ)のショートパンツのセットアップと、赤いコンバースで衣装を揃えている。4人という少人数ながら、溢れるほどのパッションと斬新なアイデアで、会場を所狭しと暴れていく。そう、文字どおり”暴れる”という言葉が合う勢いで、10分ほどを駆け抜けていった。「すごい……、そしてカッコ良い」。一人一人、スキルとセンスが確立されており、見入ってしまった。

 その中の一人に見覚えがあった。「あれは……RATHER UNIQUEのAKIRA?」。当時、EXILE AKIRAは、RATHER UNIQUEというラップグループでパフォーマーとして踊っていた。EXILE ÜSA、EXILE MAKIDAIが作ったそのグループは、3RAPPER、1DJ、1PERFORMERという斬新なスタイルで活動しており、その唯一のパフォーマーであるAKIRAに僕は、以前から注目していたのである。「なんで芸能人がこんなところで踊っているんだろう?」。そう不思議に思いながらも、そんな思いが吹き飛ぶほどのパフォーマンスを見せ、ショーは終わった。

 ショーが全て終わった後、挨拶をしに行こうと先ほどのグループに近づくと、なんとそこにはEXILE ÜSAとMAKIDAIがいたのだ。テレビで見る人たちが目の前にいる……話しかけたい……、いや、でもなめられちゃいけない、そんな気持ちがないまぜになり、僕はただじっと目線を向けてしまっていた。数年後、同じグループのメンバーになった後に2人から、「あの時は、直己にめちゃくちゃガン飛ばされていたよね。マジで怖かった」と言われた時には、平謝りした。ただただ、素人が芸能人に憧れていただけです。ごめんなさい……。

 時を戻そう。ÜSAらが去り、その後、チームのメンバーに挨拶をすると、さっきのショーとはうって変わって礼儀正しく、温かい人たちだった。PATO、SEVA、JUN、そしてAKIRAの4人は、後輩である僕を優しく受け入れてくれ、また僕も、一気に4人の仲間が、また、兄のような存在ができたことが嬉しかった。その後、頻繁に練習を重ね、僕はついにそのグループ、RAG POUND(ラグパウンド)の正式メンバーとなった。ショーにも出るようになり、僕自身のダンサーとしての知名度も、上がっていった。

 AKIRAはその頃、EXILEとしての活動を並行して行なっていた。真夜中に行われるショーの翌日に、早朝からテレビの撮影が入ったりすることも多々あった。しかし、そんな時でも、直前までRAG POUNDの全体練習には必ず顔を出し、誰よりも熱く、ストリートダンスの活動に取り組んでいた。オリジナルで作った衣装のペイントや、アレンジまでAKIRA本人がしていたのである。「俺は、他のEXILEメンバーのように下積みをしていないから、このRAG POUNDのクラブでの活動がある意味、自分の下積みだと思って全力でやっているんだ」と、AKIRAから聞いたことがある。

 AKIRAは、ショーの後は翌日の仕事のスケジュール上、先に帰ることが多かった。AKIRAを見送り、他のメンバーでお疲れ様の乾杯をしていると、AKIRAから毎回、必ず連絡があった。「ナオキへ。今日はお疲れ様でした! せっかくの乾杯に参加できず、申し訳ありません。次のショーも、最高なものにしましょう! 練習しておきます。次回もよろしくお願いいたします! アキラ」。後輩の自分にも、必ず敬語で送ってくるのだった。今まで、先輩や年長者からこのような連絡をもらったことがなかった自分は戸惑った。どれほど、人間ができているのだろうと。

 ずっと気になっていた僕は、ある日のリハーサルで、AKIRAに思い切って尋ねてみた。するとAKIRAは、「俺はHIROさんの真似をしているだけなんだ。HIROさんに憧れてるんだよね」と清々しい笑顔で言った。自分がやっていることを、これほど素直に「真似」だと言える人がいるだろうか。その潔さと、明快な言葉と態度に、僕はいっぺんにAKIRAのファンになった。そして、そんなAKIRAが憧れる「HIROさん」という人はどんな人なのだろう、と同時に興味を持った。当時の僕は、もちろんHIROとの面識はなく、EXILEのリーダー、という知識くらいしかなかった。

 その時に初めて、EXILEに興味が生まれた。僕は、AKIRAをきっかけにEXILEを知ることになった。

 RAG POUNDが生んでくれたのは、 AKIRAとの関係だけではない。

 当時、RAG POUNDのメンバーだった、もう一人のEXILEメンバーがいる。僕が、RAG POUNDに加入した当時、別の仕事のために一時期参加していなかったのだが、数ヶ月後にカムバックした時に、あるクラブの前で初めて会った。僕が新メンバーとして参加していたことは聞いていただろうが、初めて見る顔に違和感を覚えたのだろう。その人は、集合場所で大きな顔をしていた僕を見て、赤いメッシュキャップを逆にかぶりながら、「PATOさん、こいつ誰スカ?」と言った。当然と言えば当然の反応なのだが、当時はそう思えないくらい、ものすごい冷たい目をしていたのを今でも覚えている。

 NHKのEテレで「Eダンスアカデミー」という番組を持ち、コーヒーショップをいくつも経営しながら、家庭を持つTETSUYAさんがこんな言い方をしていたとは、今では誰も想像がつかないだろう(笑)。

 実は、このRAG POUNDには、他にもEXILE TRIBEメンバーが何人か所属している。……というか、RAG POUNDでの付き合いから始まり、お互いに刺激を受け、切磋琢磨し、偶然にも今ではEXILE TRIBEとして同じ道を歩いていると言った方が正確だろう。

 例えば、GENERATIONSの佐野玲於は、彼が小学生の頃から一緒に踊っている。同じく関口メンディーも彼が学生の時から共に練習していた。三代目 J SOUL BROTHERSの岩田剛典は、ここで知り合ったことをきっかけに、僕が三代目 J SOUL BROTHERSメンバーのオーディションに誘った。

 その後の話を少し。2021年1月に開幕した世界初のプロダンスリーグ・Dリーグには、僕をRAG POUNDに誘ったダンサー・Twiggz 率いるチーム「FULLCAST RAISERZ」が参加し、素晴らしいパフォーマンスで、ダンスシーンに衝撃を与えている。いわゆる「ストリートダンサー」として活動していた当時の仲間が、今でもこうして各方面で活躍する姿を見て、刺激をもらうと同時に、僕自身もこのままではいられないという、次へと向かうモチベーションに繋がっている。

(# 14 につづく)

■小林直己
千葉県出身。幼少の頃より音楽に触れ、17歳からダンスをはじめる。
現在では、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSの2つのグループを兼任しながら、表現の幅を広げ、Netflixオリジナル映画『アースクエイクバード』に出演するなど、役者としても活動している。

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