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きれいはきたない、きたないはきれい 中野信子「脳と美意識」

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※本連載は第15回です。最初から読む方はこちら。

 個人的に敬愛している、映像の仕事をされている大先輩が、昨今、「何でも叩きのめしてやろう」という気分が広がりやすいことを嘆いていらした。いい悪いじゃなくて、ある種制御不可能な感情が横溢していて、もうなにかを人に見せたら伝えたりするのが恐ろしくなった……とおっしゃる。こちらまで悲しくなってくる。優れたクリエイションをする人に、こんな気分を味わわせてしまう社会とは一体何なのか。暗然とした気持ちにもなる。新しい創造の芽が生まれる前に、種子のまま永遠に沈黙させてしまうような、そんな圧を、誰が命令するでもなく、市民一人一人がむしろ自発的に掛けていて、しかもそれはいつの間にか、彼ら自身の手によって増強されてしまう。

 特にデザインの世界に限っても、この現象は枚挙にいとまがない。オリンピックの文字デザイン、とあるコンビニのコーヒーメーカー、新駅の駅名のフォント……。デザインが「伝える」という本質を超えてスタイリッシュであることを目指したとき、飢えた大衆はそれを決して見逃すことはない。コードを逸脱したデザインと、そのデザイナーを、ここぞとばかりに寄ってたかって叩きのめそうとする。デザインなど生まれてこのかた、かかわったことすらないような人まで、一緒になって叩く。上から目線でにわかの知識を振りかざし、マウントして、あわよくばその人の社会的地位や作品の評価を粉々に打ち砕き、引き摺り下ろしてやろうと群がる。これは他でもない、人間のやっていることだ。

 おそろしい、と思うだろうけれど、匿名性が担保されているなどして自分が標的にならないことがたしかなら、人は軽い気持ちで叩く動きに乗ってしまったり、自ら先鞭をつけてしまったりする。こうした行動を取る多くの人は自分が標的になるなどとは想像しない。

 心理学者のエミリー・プローニンが興味深い研究を報告している。現在の自分にとっては嫌だと思えるようなタスク(たとえば、薄気味悪い色をしているうえに発酵臭と酸っぱいにおいが同時にし、味もまずい液体を実験のために飲み干さなければならない、など)があったとする。

 こうした「嫌なタスク」は、自分がやるのは嫌だけれども、まったく自分と関係のない他人がやるなら、意に介することなく平気でやらせてしまう、というのだ。自分がやらないとなったら、その人が嫌だと思うかどうか、という想像力を働かせる手間を省いてしまう。脳はすぐにヘタってしまう怠け者だ。カロリーと酸素を消費する「想像」や「共感」というコストを、自分でない他人のために割くことができる脳の地力を持った人というのは、実際には本当に少ない。あの人は人の気持ちがわからない人だね、などという貶し文句があるけれども、人間はそもそも他人の気持ちなんてわからないほうがマジョリティで、普通なのだ。自分勝手な生き物として創造されている、という業を持ちながら、これまで生き延びているのだ。だから、繰り返し繰り返し、何度も、自分がされたらいやなことはしてはいけないよ、相手の気持ちになってものを考えなさい、と、わざわざ言葉に出して言わなくてはならないし、聞き飽きるほど聞いていたとしても、言い聞かせなくてはならないのだ。それも十分ではなく、罰則も検討する必要があるかもしれない、とさえ、ここのところ話題に上っているようである。

 そもそも人間はわずかなきっかけを好んで見つけては争い、憎み、奪い合い、簡単に分断されてしまうものだ。そうやって繁栄してきた生物なのだ。そう私が話すと、変えられないのか、解決法はないのか、といつも問われる。自分の頭で考えもせずに安易に問うことがそのまま、人間は変わらないだろうな、という嘆息の時間を私にもたらすものだとはこれまた、考えもしないのだろう。解決法はもちろんないではない。排除すべき穢れが生き延びるための武器ともなり、美点と信じていた特質が誰かを傷つける刃ともなる、ということをもっと多くの人が知るべきだ。きれいはきたない。世界中で数えきれないほど使いまわされた言葉だろうけれど、どうもまだ受け入れられる時代には至っていないようだ。アフターコロナなどといわれるが、何千年も感染症にさらされ続けてきてこの様態である。そんなにやすやすとは変わらないと考える方がむしろ妥当ではないか。

(連載第15回)
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■中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者。東日本国際大学特任教授。1975年生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。医学博士。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。脳科学、認知科学の最先端の研究業績を一般向けにわかりやすく紹介することで定評がある。17年、著書『サイコパス』(文春新書)がベストセラーに。他の著書に『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)、『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)など。※この連載は隔週土曜日に配信します。
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